<ヒストリーパーク ロシアの歴史>(2018.02.20)

パベーダ広場の大聖堂が在る辺りで、何やら凄い勢いで大きな建物の工事が行われていて、その建物に「新しい博物館」がオープンしたと伝えられたのが昨年11月でした。

↓こういう建物が登場しています。
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以来、その「新しい博物館」を訪ねてみる機会をなかなか設けられずにいたのですが、「開館直後の賑わい」や「年末年始休暇関連の変則的な開館時間」というような、やや落ち着かない要素が気にならない時期でもあることから、一寸訪ねてみることにしました。

↓階段を上がると入口扉が在るのですが、何か非常に立派な入口です。
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ここは“ヒストリーパーク”と名付けられている施設で、「公園を散策するような気軽さで、ロシアの歴史を学ぶ」という場になっています。

入館は無料です。主に冬季には活躍する外用の上着等を預かる場所も完備していて、無料で利用可能です。逆に言えば、管内の見学には存外に時間を要するので、外用の上着を安心して預けられる場所はなかなかに有難いです。

事前には然程の知識も無かったのですが、この館内を順路に従って見学すると、ロシアの起源と言われる<ルーシ>が起こったような時代から始まって、エリツィン政権やプーチン政権という「最近の時代」に至るまで、「2千年の時間を超える散策」というような感じを体験出来ます。

紹介されている内容は、言ってみれば「ロシアの“歴史の教科書”に出ているような内容の殆ど全部」というような内容です。また、日本国内では例えば『○○の歴史』というような具合で、国内の本、または外国で出たモノの翻訳で外国の特定の国や地域の通史を扱った本が在り、「ロシアの」というモノも見受けられます。その種の本で読むことが出来るような内容に関して、この“ヒストリーパーク”の展示では「殆ど全部」が観られるような感じです。

通史の中での時代区分には色々な方法が考えられます。「X世紀」、「1XY0年代」というような年代の数字で区切る、「○○朝」、「○○王国」、「○○政権」と主要な支配勢力の時期で区切る、或いは首都が置かれた場所の名を並べて区切るというように色々なやり方が在ります。が、ここでは「○○公の時代」、「皇帝○○の時代」と人物に主眼を置くような方式で時代区分が示されています。

“ヒストリーパーク”で「○○公の時代」、「皇帝○○の時代」と人物に主眼を置くような方式で時代区分が示されて、西暦の年代がその展示場所に記されるようなやり方を採っているのは、館内の通路の壁に多くのスライドが示され、多数据えられたタッチパネルで「歴史の中で伝えられる多くの人達の物語」を伝えることが、展示の方針の柱のように見受けられるからであると思われます。

“ヒストリーパーク”では、<ルーシ>が起こったような時代やキリスト教が容れられた時代、ロシアで現在使われている文字の起源というような話しから、イワン雷帝や<大動乱>、ロマノフ朝の登場と歴代皇帝の治世、そして革命や2つの世界大戦やそれ以降と「2千年の時間を一気に超える」ような空間に入り込むことになります。19世紀以降の展示に関しては、「歴史のページに姿を見せるサハリン」というような内容も出て来ます。

「新しい施設が“どういう場所”なのか?」ということで漫然と立寄った感だったのですが、タッチパネルで出て来る説明等を沢山読んだのでもなく、「一通り観る」感じで中を廻ったのでしたが、何か「凄く大きな余韻が残る」というような場所でした。

ロシアでは、モスクワやサンクトペテルブルグ等に昔の貴重な文物を所蔵していて、それらを順次展示しているような場所が在る訳ですが、この“ヒストリーパーク”にはそういう貴重な所蔵品が在るでもありません。画像・映像やテキスト情報や音声情報等を介して、「ロシアの長い歴史を追体験する気分になる」ような場所です。

ロシアに在って、「由来がよく判らない祝日?」ということになる場合も在る祝日に<国民統一の日>が在ります。“ヒストリーパーク”は、その<国民統一の日>の頃にオープンしました。

この<国民統一の日>は、<大動乱>と呼ばれた17世紀初めの混迷の状況下、ロシアを占拠したポーランド軍を国民軍の尽力で撃退したという故事に因む祝日であるとされます。(勿論、“ヒストリーパーク”でも<大動乱>という展示コーナーが在って、時代の状況等を学ぶことが出来ます。)他方、「11月の祝日」として定着していた<革命記念日>が廃されたことで、「その時季の祝日」として、革命以前の時期に祝われることが在った旧い祝日が復活したようでもあります。

そういう<国民統一の日>に登場した“ヒストリーパーク”には、「永いロシアの歴史への想い」、「ロシアの歴史の中での私達の地域たるサハリンの“位置”?」というような問題意識が滲んでいるように見受けられました。

筆者個人は、「ロシアでこんなことをやっていた時代?日本史では?」等と考えながら見学した一面も在りました。例えば「戦国の余燼」というような感も在る、かの<大坂の陣>が起こっていたような頃、ロシアでは<大動乱>が終結に向かってロマノフ朝が登場したような時代だったのです。日ロ関係の出来事では、例えばかの大黒屋光太夫が願い出て謁見したのは女帝エカテリーナ2世で、彼女の治世のことも紹介されています。そういう具合に視ると、非常に面白いという側面も在りました。

その他、1980年代や1990年代頃の情報も豊富で、「あっ!!これ!!」と強く記憶に残っているような画像や映像の紹介も在り、強い印象を受けました。

それにしても、この“ヒストリーパーク”に入ると「“教科書”の世界の中に入り込んで不思議な旅をした」というような感覚に包まれます。現時点で、展示内容はロシア語のみですが、意外に面白い場所です。

この場所は「児童生徒の学習の場」という性質も色濃いように見受けられますが、普通の大人が訪ねても面白い場所だと見受けられます。実際、一緒に訪ねた稚内市サハリン事務所のスタッフは、「面白かった。入場無料で好い。休日に友人を誘って、また行く!」としていました。

“ヒストリーパーク”の展示室内は、スライドのようなモノを投射する場合に適切な、やや落とした照明になっています。そんな中で、過ぎる程に豊富な情報が供される、「“教科書”に入り込んでしまった?」という展示の場を通り抜けて出口に至ると「“時間の旅”から“今日”に戻って来た!」と感慨のようなモノが沸き起こります。

この“ヒストリーパーク”は、例えば「サハリン滞在の中で思いがけず時間が出来た」というような場合に、開館中であれば好い立ち寄り先になるかもしれません。休館日の月曜日を除き、午前11時から午後6時の開館ということです。

展示内容の更新・追加が行われた<戦史博物館>(2018.02.20)

パベーダ広場の大聖堂の横に建つ宮殿のような建物は、正式名を<展示・記念複合施設 “勝利”>とする博物館です。

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↓長く「展示準備中・内装工事中」という具合で観られなかった状況から、「各指定時刻のガイドツアーのみ」という体制ながら観られるようになったと訪ねてみた経過が在りました。
>> <展示・記念複合施設 “勝利”>(戦史博物館)(2017.09.19)

「観られるようになった」と訪ねた際には、1945年のサハリンでの戦闘に関連する事項の展示、史料学習コーナーのようなモノ、占守島の戦いに関する等身大の人形や本物と見受けられる車輛も使ったディオラマが在りました。他方、施設は「戦史」に関して広く紹介することを目的としており、第2次大戦の他、日露戦争のような戦争や、アフガニスタンやチェチェンのような近年のものまで、19世紀後半から20世紀のロシアが関わりを持った戦争、或いはサハリン州の区域での出来事を丁寧に工夫しながら紹介することを目指しているとも聞きました。

この程、「新しい展示の追加」が行われ、従前の1945年のサハリンでの戦闘に関連する事項の展示も大幅に更新され、随分と様子が変わりました。

従前は「各指定時刻のガイドツアーのみ」という体制でしたが、現在は「随意に見学」ということも出来るようになっています。占守島の戦いに関するジオラマは「ガイドツアー」のみで、それを含む見学は入場料が300ルーブルですが、それを除く各展示を随意に見学する場合の入場料は100ルーブルです。

「新しい展示の追加」と聞いたので、最初にその新しいモノを目指しました。

<日露戦争>に関連する展示が設けられていました。展示はやや小規模な感じではあったものの、なかなかに興味深い内容でした。

ビデオや当時の画で日露戦争のあらましが紹介されていましたが、その他に「1905年に上陸した日本軍の侵入経路と、ロシア軍との交戦経過」の概略、巡洋艦<ノヴィク>のサハリン入りというようなことが紹介されていました。

日露戦争の末期にサハリンの占領を目指した日本軍は、現在では「コルサコフ郊外のプリゴロドノエのLNG工場が視える辺り」ということになる女麗(めれい)に上陸し、現在のユジノサハリンスク市の一部に相当するウラジミロフカへ北上し、やや西のダリネェーでロシア軍と交戦に及んでいます。そうした経過が、モニター状なモノに地図や文字を映す型でしたが、紹介されていました。日露戦争に関しては、少し古い映画の『二百三高地』に描かれたような、大陸での大規模な激戦が知られていますが、サハリンでも地上の戦いが在ったのです。

巡洋艦<ノヴィク>に関しては、船の大きな模型やモニターに映るCGも含む解説図版が色々と在り、加えて艦上で砲手が戦闘に参加しているイメージの、等身大の人形を使った小規模なジオラマが造られていました。この艦のことが非常に大きく紹介されていました。

巡洋艦<ノヴィク>は、旅順(ロシアでは「ポルト・アルトゥール」と呼ばれる)攻略を目指して日本軍が陸海の戦力を周辺に展開していた中、「ロシア艦隊が増援を迎える前に駐留していた艦隊に打撃を与えよう」という思惑で待ち受けていた日本艦隊とロシア艦隊とが交戦に及んだ「黄海海戦」に参加した艦です。ロシア艦隊が大打撃を被り、行動可能な状態で残った艦が方々に散った中、<ノヴィク>は単独で日本列島の太平洋側を北上し、サハリン近海に到達します。そしてコルサコフの沖で日本艦との交戦に及んで敗れ、擱座しています。

巡洋艦<ノヴィク>に関しては、「最後まで単独で闘い続けた」という文字どおりの“孤軍奮闘”のヒーローというイメージが在るのかもしれません。因みにこの<ノヴィク>は、サハリンで擱座した後、日本側で引揚げて改修し、樺太の川に因んで<鈴谷>と命名され、日本海軍によって運用された経過が在るということです。(序でに加えておくと、日露戦争後の時代、<ノヴィク>が<鈴谷>になった例のような、「ロシア艦隊出身の日本艦」は幾分見受けられました。)

こうした<日露戦争>の展示の他、ロシアにとっては少し重い意味が在るアフガニスタンやチェチェン等、比較的近い時代の戦争の様子を紹介する展示も在りました。言わば<現代の戦争>という展示です。

この<現代の戦争>という展示では、アフガニスタンの戦地に設けられたソ連軍のテントと見受けられるモノが据えられて、兵士達が使用した武器や野戦服や、従軍記章(勲章)や資料写真が多く在りました。「チェチェン紛争関係の報道で視たような?」という写真も幾分在って、多少生々しい感じもしました。

少し象徴的なのは、地球儀が据えられ、第2次大戦以後の比較的知られている様々な戦争を紹介するパネルが周囲に置かれているという展示でした。歴史と共に、残念ながら多くの犠牲が払われる戦争も付いて回っているという感でしょうか。

そして、本来は最初の順路である筈なのですが、「あの場所は以前に観た」と後回しにした、1945年のサハリンでの戦闘に関連する展示場に入り、少し驚きました。

従前は、ソ連軍がサハリンでの軍事行動に踏み込んだ経過や、関係者に関する史料が少し視られるコーナーという感じだったモノが一新されていました。入口辺りには、日露戦争と戦後の経過のあらましが紹介されるビデオが在って、サハリンに在った国境で「国境を守備する兵士」という日本側、ソ連側の等身大の兵士の人形を使ったイメージの展示が行われていました。そしてソ連軍が軍事行動に踏み込んだ経過、当時のソ連軍の計画、そうした計画で実施されたモノやされなかったモノ(「北海道上陸」という実施されなかった計画を紹介する展示に注目してしまいました。)、1945年9月2日の日本の降伏文書調印のこと、樺太のソ連化のこと、1940年代後半に入った頃のサハリンの街について、往時のソ連兵の服装や装備を等身大の人形で紹介する展示等、非常にボリュームが増えて多彩な展示になっていました。

ここの展示に関しては、サハリンではなかなかに評価が高い、樺太時代の研究で知られる方等の多くの専門家が携わって、随分と内容を練りながら、「多少時間を要しても…」と充実した展示を目指している様子が伺えます。そのうち、「更に新しい展示」というようなことにもなるかもしれません。

少し前に、稚内を訪ねた経過が在って、郷土資料館ということになる<北方記念館>を御案内したこともあるサハリンの方に会った時、その方が言っていました。「ロシアと日本との間で起こった出来事に関して、一部は“ロシアの歴史”として聴いたり読んだりしている。が、それらに関して“日本の歴史”として、全然知らない視点で語られているというモノには稚内で全く初めて触れた。それが忘れ難い」とです。恐らく、こういうことに関しては“逆”も在り得るように見受けられます。

<戦史博物館>に関しては、展示内容について、現時点ではロシア語による情報のみです。大きな街の展示施設で見受けられる“音声ガイド”のようなモノが好いのか、或いは一部の展示施設に見受けられる「外国語による展示解説の冊子」のようなモノが好いのか、方法は色々と在り得るでしょうが、ロシア以外から来る「国外の人達」に向けた発信が在っても善いかもしれません。

しかしここは、既に「児童生徒の学習の場」、「社会人の研修の場」として一定の人気が確立していると見受けられ、訪ねた時には児童生徒のグループや、何かの制服を身に着けた大人のグループが見学に訪れていました。

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※ 展示室内で「カメラの使用は御遠慮下さい」ということだったので、壮麗な感じがする建物内の吹抜けの画を掲載しておきます。
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パベーダ広場:輝く夜=写真展『65RUS - 彩光のサハリン』(2018.02.15~03.15) 展示写真より

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<戦史博物館>は華々しくライトアップが施され、何か「ファンタジーの世界の宮殿」のようである。それを背景にヨールカが輝く。ここのヨールカは速いテンポで次々と光の色が変わる仕掛けだった。よく視ると、ヨールカの前に「マローズじいさん」と「スネグーロチカ(雪娘)」という、ロシアの新年とクリスマスのキャラクターの人形が据えられている。ロータリーに徒歩で近付けないので、キャラクターと肩を組んで写真を撮ることは困難だ。
(2017.12.23 撮影)


☆ 2018年2月15日から3月15日の期間、<稚内副港市場>で開催されている写真展『65RUS - 彩光のサハリン』の展示写真を御紹介しています。

★ 今回御紹介した画は、写真展で展示予定の写真一覧から、稚内市サハリン事務所の現地スタッフに選んで頂いた「お気に入り」の一つです。

流氷に覆われたコルサコフ港の夕暮れ(2018.02.19)

稚内港からコルサコフ港へ向かう計画の貨物船に関して、コルサコフ港の氷の状況が在ることから、出航を順延したという話題が伝わって来ました。

↓下記のリンクで配信されているような情報でもアニワ湾に氷が入っている状況は判ります。そして、偶々アニワを訪ねて海面が凍っている様子を視た経過が在ります。そういうことで、何やらコルサコフ港の様子が酷く気になり、夕刻に足を運んでみました。
>>【海氷情報センター 海氷・流氷の速報】

↓午後6時半を過ぎてしまった辺りです。「摂政宮殿下行啓の折り」という1925年の出来事が伝わる高台に上がり、コルサコフ港の北埠頭を望みました。
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↑埠頭に停泊中のコンテナを積んだ貨物船のような、少し大きな船は氷に負けずに動き回っている様子が伺えます。

ここの氷には“隙間”が在って、海面が覗いています。その覗く海面が夕陽の光を受けて、独特な色彩に光っています。

↓眼を転じて南埠頭の側を望みました。
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↑画の奥、右側に林立しているクレーンの左側に、夏季には稚内・コルサコフ航路の船が発着していた場所が在ります。防波堤の内側や周辺は、最近の低温傾向で氷が厚くなっているような感じです。

↓更にコルサコフの街の側を望みました。
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↑早朝の低温が、日中の好天の中で上昇し、この時は氷点下10℃を上回っていたのですが、日が落ちるとまた気温が低下して行きます。そういう「温度変化の境界」のような時間帯です。

↓右が北埠頭、左が南埠頭という位置関係になります。両埠頭に挟まれて、水流が緩くなっていると見受けられる辺りの氷が厚く、手前のコンテナが積まれている用地の積雪と、色が見分け悪いような感じになっています。
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スタロドゥプスコエで視た「白い“埋立地”?」のようになっていた流氷を想い起すと、コルサコフ港のモノは「海上の大小様々な氷が流れて集まっている」という「流氷らしい」雰囲気であるように思えます。

船が動いて浮かぶ氷が押し分けられ、それがまた集まって、寒気で凍ったというような痕跡が判りますが、北埠頭に停泊しているような大き目な船でもなければ、ここを航行するのは少し難しいことでしょう。

そんなことを考えながら様子を視ていた僅かな間に、夕陽は低めな空の雲に隠れ、高めの空の雲の色や、雲の間に覗く空の色が変わって来ました。

↓何か「春を待つコルサコフ港」という風情が漂う光景でした。
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こういう状態であれば、風や気温の状況が変われば「俄かな変化」が起こって、船が航行し易くなることもあるでしょう。

スキー場<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>(山の空気)の夕べ(2018.02.17)

「市街に非常に近い」という特長が在るユジノサハリンスクのスキー場ですが、施設内に在るカフェで、街の中の店で見受けられるように、土曜日の夜にバンド演奏が入るという話しを聞きました。

流石に、スキー場の戸外で楽器の演奏等は出来ませんから、当然ながらカフェの建物の中で行われます。そこにバンド演奏を聴きに行くとすれば、普通にスキー場を利用する中でカフェに入る、またはゴンドラの券を求めて上に上がるということになります。

スキー場<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>(山の空気)のゴンドラですが、スキーやスノーボードをするのでもなく、「上に上がりたい」というだけの利用も可能です。筆者自身、それを何度かやっていますが、同じような利用をしていると見受けられる他の方も視掛けます。

今般、施設内に在る<リアナ>というカフェでバンド演奏が行われると聞きました。山の中腹のやや上辺り、ゴンドラの乗換地点の辺りに建物が在ります。ゴンドラの券を売る窓口で「<リアナ>に行く」と申し出ると、120ルーブルの券が在りました。

↓「1本目のゴンドラ」を上がった辺りに看板が在ります。
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↑記念撮影をしようというような人達に人気が在るポイントです。午後7時を少し過ぎた辺りで、少し静かでした。

↓何時の間にか「午後7時15分頃」でこういうような明るさになりました。
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目指す<リアナ>を見付けてみると、スキー場を利用中の皆さんが食事を摂ったり、飲物を飲んで休むような、100人やそれ以上が入れるような場所で、基本的にカフェテリア方式の店でした。更に、カフェテリア方式で料理や飲物を頼む場所の他に、半分独立しているようなコーヒースタンドが在り、街の中で視掛けるカフェの「持ち帰り」のコーヒーのような感じのモノが売られていました。街の中のカフェに多々在るようなマシーンで淹れるコーヒーでした。

少し考えて、コーヒースタンドのコーヒーを求め、カップを手に適当な場所を探しました。すると、運が好いことに演奏をするバンドの目の前、前に遮るモノが無いような場所に空席を見付け、その場所に陣取りました。

↓気に入っているバンドである<アブソリュート・ジャズ・カルテット>の演奏を悠然と愉しむことが叶いました。
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↑今回の編成は、ベース、ドラムス、リードギターとサイドギターでした。画で、立ってギターを演奏しているのがリードギターのドミトリー・カプスチュクさんで、彼の演奏が「カッコウいい!!」のです。

音楽を夢中で聞いて、何時の間にか時間が少し経ち、演奏が終わったので外に出ました。

↓午後9時を少し過ぎたような頃です。
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↑暗い夜空に、スキーコースの一部の向こうに灯りが点いている街が浮かんでいるかのようです。

この後、ゴンドラで下に下りました。ゴンドラは平日は「9時から21時」で、休日は「9時から22時」で動かしているようです。

下に下りてから街を歩いて住まいへ引揚げましたが、「スノーボードを楽しんだ帰り道」と一目で判る、「ウェア姿でボードを抱えている」というような人達を存外に多く視掛けました。

スキー場の施設内が、何やら「街の中の延長線上」のような感じにもなっているという様子が、凄く興味深く思えました。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 08:00Comment(0)訪ねる

夕空の彩(2018.02.07)

↓一日を終えて、住まいへ引揚げた直後に窓から外を眺めました。
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↑午後6時半を過ぎ、殆ど午後7時に近いような時間帯の眺めでした。こういう彩溢れる夕空を視る機会が少し増えています。

サハリンの一般的な集合住宅に関して、日本国内の住宅に見受けられる「三和土」は設けられていません。扉を開けて、中へ入れば居室に至るまで、床は全てフラットです。が、玄関扉周辺に敷物が在って、靴を脱いで居室へ進み入るのが普通です。友人宅等の他所の御宅でも大概がそういう方式です。扉を開けて「こんにちは!」となると、「靴を脱いで、中へどうぞ…」と招じ入れられるので靴を脱ぎ、「御邪魔します。今日は迎えて頂いてありがとうございます」という具合になる訳です。

筆者自身の住まいも、玄関扉の辺りに敷物が在るので、そこで靴を脱ぎます。その際、帰り道に道草して買い込んだ飲物等が入ったレジ袋を辺りに置き、着ていた上着や帽子を脱いで何時もの場所に戻すというようなことをします。そして徐にレジ袋を玄関の辺りで拾い、中身の飲物を冷蔵庫に収めるというようなことをします。

↓そんな些細なことをする数分間を経ると、空の彩は少し変わります。
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こういうようなことで「身近な場所が彩に溢れている」ということに気付くと、妙に嬉しくなって、休む前に頂く「飲物」が多少美味さを増すような気がすることも在ります。

凍るアニワ湾と朝陽:アニワ(2018.02.17)

↓下記のリンクには、北海道やや東寄りからサハリンの南部のオホーツク海の図が表示されます。オホーツク海の氷の情報が配信されています。
>>【海氷情報センター 海氷・流氷の速報】

この様子を視れば、ドリンスク経由で訪ねたスタロドゥプスコエのような場所はかなり密度が高い氷に覆われていることが判りますが、アニワ湾にもかなり氷が見受けられるようです。

↓休日を利用し、朝からアニワを訪ねてみました。
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↑海岸は「雪原」状態で、海水が視える辺りまで近寄れませんが、「浪が動く」べき海面は凍ってしまい、「固まっている」感です。遠くにコルサコフ周辺と思しき灯りも視えます。

↓明るくなって、遠くの灯りが目立たなくなる頃、雲が多くなって来ました。
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↓やがて空の一部が強く輝き、朝陽が上りました。
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↑凍る海面が朝日の色に染まります。

↓朝陽が少し高くなれば、海岸の雪も色が着きます。
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このところ、ユジノサハリンスクは「早朝の氷点下20℃」が続きます。海岸のアニワは、内陸のユジノサハリンスクに比べて少しばかり気温が高いかもしれませんが、寒さが厳しいことに変わりは在りません。

レーニン広場のヨールカ:「最後」の輝き=写真展『65RUS - 彩光のサハリン』(2018.02.15~03.15) 展示写真より

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レーニン広場のヨールカは、1月1日に花火の火が引火して燃えてしまった経過が在り、直ぐに“代打”のヨールカが登場しました。
ここのヨールカは1月22日に撤去されました。画は「最後」に相当する時期の輝きです。1月半ばを過ぎると、点灯するような時間帯の空が「麗しい夕焼け」という感じになっていました。
(2018.01.19 撮影)


☆ 2018年2月15日から3月15日の期間、<稚内副港市場>で開催されている写真展『65RUS - 彩光のサハリン』の展示写真を御紹介しています。

★ 今回御紹介した画は、写真展で展示予定の写真一覧から、稚内市サハリン事務所の現地スタッフに選んで頂いた「お気に入り」の一つです。

ドリンスクの駅前(2018.02.10)

↓ドリンスクの鉄道駅の前です。昼の12時頃です。
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↑奥の建物、赤い文字で「ВОКЗАЛ」(ヴァグザル)と在るのが鉄道駅で、鉄道会社の赤いロゴマークも在ります。

ロシア語で「駅」を示す語としては、上述の「ВОКЗАЛ」(ヴァグザル)の他に「ステーション」(Station)に通じるような語感の「СТАНЦИЯ」(スタンツィヤ)が在ります。サハリンでは、都市間を結ぶ列車が停車するような鉄道駅は「ВОКЗАЛ」(ヴァグザル)と呼ぶことが多い感で、「СТАНЦИЯ」(スタンツィヤ)は然程耳にしません。「СТАНЦИЯ」(スタンツィヤ)という表現は、大きな街の「地下鉄の駅」を指して用いるような例が多いと見受けられます。

ドリンスクの「ВОКЗАЛ」(ヴァグザル)ですが、夜遅くから朝早くの時間帯に発着している、極限られた本数の旅客列車が動く時間帯以外は閉まっています。日中、鉄道会社の関係者が事務室的に使っている可能性は考えられますが、とりあえず「ずうっと閉まっている」という感じがします。ここが開いているのを視掛けたのは、ティモフスコエからユジノサハリンスクへの夜行列車に乗車した際、ユジノサハリンスクに着く少し前にドリンスクで停車した場面で、下車する旅客や出迎えの人達の出入りしている様子を視たというだけです。

ということで、何となく「立派に視える建物の割には存在感が薄い」ような気がする駅ですが、この駅の前の広場がバス乗場として利用されていて、存外に多くの人々の出入りが見受けられます。

画の右寄りの辺りは、バスが待機するような場所になっていて、左側では発車するバスが乗客を迎えて待機中です。

手前は運行系統番号114のブイコフへ向かうバスで、奥は運行系統番号116のスタロドゥプスコエへ向かうバスです。この日の朝、流氷を眺めに行こうと、「氷上の釣り」を愉しもうとする大勢の乗客に交じって、この場所から「116」に乗車したのでした。

序でに、この画に入っていない手前側からはユジノサハリンスクへ向かう運行系統番号112のバスが出ています。広場は、看板こそ出ていませんが、「1番乗場」、「2番乗場」、「3番乗場」という感じで利用されていました。

旅客列車の本数が極端に少ない他方、ここで発着しているバスは、各系統共にそれなりの本数の便が運行されています。「112」のユジノサハリンスク行は、最も運行頻度が高い時間帯で「20分毎」です。他の系統も、多少変則的な時間帯を含むものの、「概ね1時間毎」の運行です。

サハリンでこういうような交通関係の場所を視て、時々思うのは「バス運行時刻の掲出」というようなことでも為されていれば、「更に利用し易い?」というようなことです。インターネットで運行時間帯、始発であるこの場所の発車時刻が判る場合の他方、やや判り悪い例も見受けられ、どうしても知りたければ「何件かに電話照会してみる」ようなことをしなければなりません。

こうした「人が行き交う場所」に関しては、何処の地域であっても、何となく「地域らしさ」とでもいうような名状し難い雰囲気が漂うと思います。そんな風情に触れるのは、なかなかに興味深いものです。

<復活主教座聖堂>:コムニスチ―チェスキー通から望む=写真展『65RUS - 彩光のサハリン』(2018.02.15~03.15) 展示写真より

<復活主教座聖堂>:コムニスチ―チェスキー通から望む.jpg
教会の直ぐ隣が空き地で、コムニスチ―チェスキー通に面している。が、空き地に木立が在るので、こちら側から視ると「森の教会」というような趣に視える。ユジノサハリンスク市内は街路樹や緑地や空き地の木立が目立ち、「緑豊かな街」という感だ。積雪期が進んでいる中、葉が落ちた枯れ木に雪が積もっている状態だが。
(2017.12.15 撮影)


☆ 2018年2月15日から3月15日の期間、<稚内副港市場>で開催されている写真展『65RUS - 彩光のサハリン』の展示写真を御紹介しています。

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