ネベリスクで開催された<第10回 友好都市経済交流促進会議>の文字を入れたノート(2017.07.13)

↓ネベリスクで開催された<第10回 友好都市経済交流促進会議>の際、会議資料と併せて配布されたモノです。
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↑左上側にネベリスクの市章が入っていますが、ノートの表紙に大きく<第10回 友好都市経済交流促進会議>という文字が入っています。催事に合わせて用意されたモノであると判ります。

ネベリスクの市章は2000年に登場したもので、国の東側に位置する地域であることから朝日をイメージした太陽が在り、街のシンボルであるトドの図案、水産業を基幹的産業としてきた海辺の街であることを示す魚が入った図案です。

↓市章にも登場するトドを視た経過はこちらにも御紹介しました。
>>ネベリスクのトド(2017.05.06)

↓このノートが秀逸なのは、表紙を開いた中のページの隅にも、確りとトドが居るということです。
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↑画では右側に次のページが少しだけ透けていますが、トドは全頁に居ました。

↓こういうノートをテーブルに置きながら催された会議の様子は、下記のコンテンツを御参照下さい。
>>ネベリスク市での<第10回 友好都市経済交流促進会議>の開催(2017.07.13)

コルサコフ市章の入っているノート(2017.07.12)

コルサコフの文化センターには<オケアン>という愛称が冠せられています。“オケアン”は英語の“オーシャン”に相当する語で、「大海」、「大洋」というような雄大な海を意味する言葉です。

そのコルサコフの<オケアン>の館内には、各種の展示会や講演会等を行えるようなホールが在りますが、そこを会場に<稚内・コルサコフ定期航路利用促進合同会議>が催され、会議に参加する稚内代表団もお邪魔しました。

↓その会議で、各参加者にこういうモノが会議資料と併せて配布されました。
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↑紋章が入ったノートとボールペンです。

この紋章ですが、コルサコフの市章、より詳しく言えば「コルサコフ地区の紋章」です。サハリンでは地区毎にこういう紋章が定められていて、行政府の本庁舎に掲げられていたり、何処かの部局が仕事をしている分庁舎的な場所の看板に描かれていたり、行政府の公式な書類に刷り込まれていたりしますし、ウェブサイト等でも使われています。

コルサコフのこの紋章は2002年に制定されたようです。当時、コルサコフ地区行政府で文化関係の仕事に携わっていた人達と、サンクトペテルブルグやモスクワの紋章に詳しい専門家達とで意見交換をしながら案を纏めて制定したということです。そして、その後地方行政の制度が少し変わるようなことが在ったということですが、その都度に「地区の紋章」として決議を行う手続きを重ねて、現在もこの紋章が使用され続けています。

コルサコフの紋章は「青地に金の鐘と3本の銀の鍵」です。

コルサコフは「サハリンで最も古い街の一つ」と言っていて、1853年にネヴェリスコイの一隊が“ムラヴィヨフスキー砦”と呼ばれた拠点を築いた故事を以て建都と考えています。そうしたことを踏まえて、「魂の始まり」というような象徴的な意味を有する鐘を紋章に使っています。

3本の鍵がこの鐘の上に在ります。中央は羅針盤のような方向を示すモノが鍵の持ち手側に在り、これは「街を正しく導いていく意志と力」を意味するものだといいます。右は魚、左は地元に独特な樹木であるトウヒを表し、豊かな海や森を擁する地域を象徴しているといいます。

2002年の登場以来、行政制度が多少変わっても、手続きを経て公式な紋章として使用されているという辺りに、地元の皆さんの“愛着”を感じる紋章です。地域の歴史を拓いたというような伝統の豊かな地域であり、豊かな海や森に抱かれた地域であることに喜びや矜持を感じているということなのでしょう。

そういうコルサコフの人達に愛されている紋章が入ったノートを、筆者はそのまま持ち帰りましたが、大切に愛用させて頂きたいと思います。

↓コルサコフでの会議に関しては、下記の稚内市ウェブサイト掲載のコンテンツを御参照願います。
>>コルサコフ市での<稚内・コルサコフ定期航路利用促進合同会議>の開催(2017.07.12)
posted by 稚内市サハリン事務所 at 07:00Comment(0)モノ

「サハリンのコルサコフ港の隣りは日本の北海道の稚内港です!」とロシア全土の皆さんに教えてあげたくなるニュース(2017.07.20)

サハリンのテレビ局ASTVのウェブサイトで「注目したい話題」に出くわしました。

↓サハリンのテレビ局ASTVのウェブサイトに掲載された記事(ロシア語)
>>Билеты на паром Вакканай-Корсаков-Вакканай теперь можно купить в Интернете

↓これは稚内港から出航しようとする場面ですが、この<ペンギン33>の乗船券に関して、ロシアの方が“ネット販売”で求められるようになったというニュースが伝えられました。
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**** ↓拙訳↓ ****

7月20日からロシア国民は「稚内―コルサコフ―稚内」の連絡船乗船券をインターネット利用で購入出来るようになる。サハリンの住民、またはサハリン州を訪れる人達が、2016年からはユジノサハリンスクとシャフチョルスク、ホルムスク、ネベリスク、或いはオハとノグリキとの間のバス乗車券を、2017年からはコルサコフとクリル諸島を結ぶ航路(使用船<イーゴリ・ファルフトディーノフ>)、ペトロパブロフスク・カムチャツキーとセベロクリリスクとを結ぶ航路(使用船<ギパニス>)の各航路の乗船券を求めることが出来るようになっているRFBUS.RUというウェブサイトで、この乗船券が求められるようになるのである。

このウェブサイトの利用で、日本の稚内への旅行が手配出来るということになる。

自身や家族の乗船券を求めるべくユジノサハリンスクへ向かう必要が在ったサハリンの他都市の住民は、このサイトのお蔭でそういう必要も無くなる。支払いは銀行の決済用カードを利用する現金を動かさない型であり、「手元」にはロシア国民の国外旅行用パスポートと有効な査証(ビザ)、或いは出発の5日前までに査証の取得が適う旨を証するものが在れば善い。

乗客との連絡は登録時に指定する電子メールアドレスを介して行うこととなるが、これにより必要な連絡、殊に天候等により運航状況の変更等も乗客に連絡可能ということになる。

大人に伴われる5歳までの乳幼児1人は無料で、6歳から11歳までの児童は通常料金の半額となる。そして<ペンギン33>では、乗客1人につき2個の手荷物、総重量50㎏までは持込が可能である。

この航路に関して、ロシア国民は所在地や居住地と無関係に乗船券を購入して航路が利用出来るようになる。サハリンへ至った旅行者は、コルサコフ港に向かって稚内港を目指すことが出来る訳だが、そのために必要なのは査証と国外旅行用のパスポートに、サービスを利用する端末(スマートフォン)だけだ。

海を行く<ペンギン33>は、2017年9月19日まで運航を行う計画だ。

「“コルサコフ・稚内”の航路には既に長い歴史が在る。1999年から日本の<ハートランドフェリー>社が<アインス宗谷>を運航していた。遺憾ながらこの航路による貨客輸送が減少してしまい、日本の関係機関の努力も在ったが、航路が会社にとって大きな負担となってしまった。2015年9月、この航路は運航を停めてしまった。新たな運航体制を模索して巧く行かなかった中、サハリン州当局による支援が在った。2016年、サハリンと北海道のオレグ・コジェミャコ、高橋はるみ両知事が航路維持の重要性ということで一致した。そして<サハリン海洋汽船>(SASCO)社がこの航路の運航可能性を探り、“稚内―コルサコフ―稚内”の運航に供する双胴船<ペンギン33>を見出した」と<ダリトランスセルヴィス>社のゲンナージー・コトリコフ副社長は述べた。

コトリコフ副社長によれば、2017年1月1日以降、ロシアと日本の両国で、双方の国民が往来する際の査証体制の緩和ということが同時並行的に行われているのだという。これは2016年12月15日から16日に催されたロシアのプーチン大統領と日本の安倍首相による会談の中、ロシアと日本の両国関係をより広範な互恵的関係に向けて行こうということでの、意見の一致を踏まえた措置であるという。

これによって、ロシア国民は「30日を超えない範囲で短期滞在をすることが可能で3年間有効の数次査証(マルチビザ)」を取得する手続きを取ることが適うようになり、他にも日本の受入期間等の保証義務が廃され、独自に旅行の手配を進められるようになった。

こうした査証体制の簡素化を受けた券の新たな販売体制を検討するということについて、<ペンギン33>の入出港時の代理店を務める<ダリトランスセルヴィス>社では「稚内―コルサコフ―稚内」の連絡船乗船券をインターネット利用で購入出来るように提言し、日本側の賛同を得たのだという。

**** ↑拙訳↑ ****

“ネット販売”で求められるようになったという「事実そのもの」に加えて、航路の経過、査証緩和の件も併せて話題になっています。

話題になっている「RFBUS.RU」というウェブサイトも視てみました。

↓記事で紹介されるバスの乗車券や船の乗船券が購入出来るウェブサイト(ロシア語)
>>RFBUS.RU официальный сайт. Расписание автобусов. Купить билет на автобус онлайн. Автовокзалы и перевозчики. Бронирование и цена билетов и туров через Интернет

ウェブサイト<RFBUS.RU>の「出発地」(ОТКУДА)の欄に“Кор”と入れると「Корсаков порт, Сазалинская область」(コルサコフ港 サハリン州)と選択肢が出て選べます。「目的地」(КУДА)の欄に“Вак”と入れれば、「Вакканай порт, Япония」(稚内港 日本)と選択肢が出て来ます。間違いなく利用出来ることが判りました。

後からパスポート情報等を求められるとのことですが、その際に「ロシアのパスポート情報に該当しない情報」を入力すると「販売不可」となるようです。

「8月運航の便での旅行需要」を念頭に準備を急いだものと見受けられますが、“成果”に期待したいところです。

この記事を御覧になった皆さんで、ロシアにお友達がいらっしゃる方におかれては、この件を御報せして頂ければ幸いです。

雨のアムールスカヤ通(2017.07.21)

昨夜遅くの、眠ってしまったような前後から雨が続いている様子です。

今日の雨に関しては「強くなる」と言われていて、河川の氾濫等に関する注意喚起もなされ、時節柄好まれる「水辺のレジャー」は「避けるべき」とされています。

↓雨の中、アムールスカヤ通に出て事務所を目指しました。
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↑正直に言うと、「改まった会合」が控えているでもないので、「少し派手に濡れても…構わないか…」という服装で戸外に出ました。車輛が通過すると、一寸大き目に水が撥ねます。

慣れ切った道筋ですが、辺りの集合住宅に寄った辺りは濡れた土で滑り易い箇所も見受けられるので、真面目に歩道を歩こうとしますが、車輛が近付く都度に「水飛沫に警戒せよ!」と立ち止まって、極力道路から離れた側に身を寄せます。

ユジノサハリンスクの道路に関しては「側溝の状態?」という話しを時々耳にします。少し強めな雨の日は、随分と路面に水が溢れる感じがします。

雨の朝に…(2017.07.20)

「7月20日」のユジノサハリンスクですが、朝の気温は「17℃程度」のようです。「出たくない!」とか「出られないじゃないか?!」というような非道状態でもありませんが、雨が交じっています。屋内は、日没頃のように薄暗く、照明の点灯が必須です。

↓ユジノサハリンスク市庁舎の辺りです。
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↑雨で薄暗い感じの中、花の色が殊更に鮮やかに視えます。

「酷く寒い」という程でもないのですが、「温かい」という程でもありません。「暑い?」の後に、不意に「肌寒い?」と「数日で季節が変わっている?!」という状態なのです。

天候に関して、「夏らしくない…」と不満を言ってみても、「それでは!」と暑くなれば「暑いのが辛い…」となってしまう訳で、ここは「目下の状況」を愉しんでみようとでもする他にどうすることも出来ないでしょう。

↓雨で薄暗い日は、こういう花が一際美しく視えて、何か心奪われます。雨の滴で花が湿っている感じが、何処となく艶っぽい感じもします。
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↑正直なところ、ユジノサハリンスクに滞在する中で、街路等に据えられた花壇に目を向ける機会が増えたような気がします。

「数日で季節が変わっている?!」という状態はやや戸惑いますが、意識以上に“身体”には作用してしまうようで、或いは筆者は多少風邪っぽくなってしまったかもしれません。

「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(РСФСР)」の国章(2017.07.15)

↓屋外展示も見受けられる、サハリン州郷土博物館敷地内の西寄りな辺りに、「壁??」というように姿を見せるモノです。
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↑「“ソ連”のマーク?」という感じで、視た感じでは直径が3m弱の概ね円形のモノです。

これは1918年に設立で、1992年に「ロシア連邦」へ移行することになった「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(РСФСР)」の国章だといいます。

「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(РСФСР)」は<10月革命>の後に社会主義国ということになったロシアのことで、1922年に「ソ連」が成立した時点で「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(РСФСР)」と号するようになりました。そして“連邦”であるソ連を構成する“共和国”であり続けたのです。「ソ連を構成する共和国」の位置付けながら、「共和国自体が“連邦”の制度」という不思議に思えるような状態も見受けられました。

15の共和国で構成されていた“ソ連”は、バルト3国が「離脱」という手続きで独立を果たした後、残る12の共和国が各々に完全な独立国ということになって行きました。「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(РСФСР)」については、「ロシア連邦」となり、現在に至っています。

そういうような“ソ連”が解体という動き、その後に成立した国々が動き始めた1990年代前半辺りと、最近の様子を比べると、本当に「隔世の感」ではありますが、往時の国章が“史料”となっています。「何処」という明記はされていませんが、これはユジノサハリンスク市内の建物に掲出されていた国章で、2013年から博物館で展示されているそうです。

『ユジノサハリンスクの地図』 ― <サハリン観光情報センター> (2017.07.17)

ユジノサハリンスク市内のオフィスビルである<北海道センター>を訪ねる用事が発生した時、不意に思い出したのは1階の入口辺りに在る<サハリン観光情報センター>でした。

<サハリン観光情報センター>は、エクスカーションの斡旋や来訪者向けに情報提供を行う公的な機構で、6月に立寄ってみた経過が在りました。

↓6月に立寄った経過はこちらに御紹介しました。
>> <サハリン観光情報センター> (2017.06.21)

6月に立寄った際、「7月以降の来訪者が増えるシーズンに備えて、外国語の市内地図等を準備しているところ」と伺いました。「どうなっただろうか?」と少し気になっていました。

↓こういうモノが登場しました。<サハリン観光情報センター>の「GoSakhalin」というロゴも入って、ロシアの他地域では見受けられないサハリン州郷土博物館の建物の一部がデザイン的に巧く使われている画が入っています。
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↑大きさの比較のため、事務所に在ったボールペン―先日ネベリスクで頂いたモノです。―と並べてみました。ポケットに入るサイズで、厚紙が使われています。

↓これはこういう具合に開くと、ユジノサハリンスク市内の地図が出て来ます。
『ユジノサハリンスクの地図』 (2).JPG
↑真中に、「上が東、下が西」な横長型で地図が在ります。脇は旅行会社やホテル、レストランの広告が入っています。用紙の縦はA4版と殆ど変らず、横はA3より少し長い感じです。

↓裏側には、地図に記載が在る場所に関する説明が在ります。
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↑こちらも脇の方は色々な広告が入っています。

こうして地図を視ると、ユジノサハリンスク市内の主だった場所は、ゆっくり歩いて巡ることが出来るような感じであることが判ります。

地図は場所を示す説明が日本語ですが、地図そのものに在る主要な通の名称は英語のアルファベットで書かれています。これは、正直なところ、カタカナで書いても現場にカタカナが在るでもないので、歩く際には実用的とは言い難いと思われます。英語のアルファベットは、一部の住所表示にも書いて在ります。

細かいことですが、1ヶ所だけ、地図上の商業施設を示した箇所で「これはもう少し南寄りだったのでは?」という箇所が在りました。

そしてこの地図ですが、さり気なく「NOT FOR SALE」(非売品)と入っています。飽くまでも<サハリン観光情報センター>や、提供を受けた場所で配布するモノであるということでしょう。

サハリンでは「観光振興」に注目され、「出来ることをやってみよう」という機運が高まっているように見受けられます。こうした案内地図は、日本語のみではなく、英語、韓国語等も視掛けました。

サハリンへお運びの際には、この地図を入手して、これを手に街を歩いてみると愉しいかもしれません。

数日毎に“季節”が変わる??:<プーシキン広場>にて(2017.07.15 - 16)

7月に入って暫らくは「肌寒い感じ」が続き、そこから不意に「30℃位?」という程度に気温が上がり、陽射しも眩しくなるという日が2日や3日続くようになります。そして「何やら曇りに?」ということになると、「少し肌寒い?」が還って来ます。

ユジノサハリンスクでは、「1日の中での気温差が大きい?」ような気がして―稚内は「1日の中での気温差が小さ目」なので、殊更にそういうように感じています。―いますが、最近は「数日毎に“季節”が揺れているのではないか?!」と思う場合が在ります。

↓これは7月15日の様子です。
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↑花壇の花が「赤!!」という感じに、強めな陽射しで輝き、並木道風に植えられた樹木の陰のベンチで、「今日は暑い…」と座って一息入れている人達が見受けられます。この日は「30℃を伺う?」ような気温になっていました。

7月15日は、夜に至るまで「ジーンズ穿きにTシャツだけ」という出で立ちで、特段に寒くなかったのですが…明けた7月16日は「Tシャツだけではやや肌寒い」という感じになり、長袖シャツを着ました。曇りで、風が吹くと「やや風が冷たくないか?」という状態でした。

↓これはその7月16日の様子です。
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↑「1日違い」とは思い悪い光線の加減です。赤い花が、何やら「造花?」というようにも視え、「何かの演劇の舞台装置」を想い起すしながら様子を視ました。この日は「多分20℃に届いていない?」ような気温でした。

少しだけカメラの角度が変わりましたが、撮影したのは同じ場所です。レーニン通とパベーダ通が交差する辺りに整備された緑地の<プーシキン広場>の、レーニン通寄りの地点です。赤い花が植えられた花壇の向こう、並木道風な木立を抜けた先に、ロシアの代表的な詩人であるアレクサンドル・プーシキンの像が在る広場です。

こういうように「ほんの数日」でいきなり10℃程も気温が上下する状態ですから、「何を着ようか?」と存外に悩みます。そして、体調の維持にも配意すべきでしょう。

「45年の友好―友好都市 ネベリスク・稚内」の記念品(2017.07.16)

↓7月13日にネベリスクで頂いた記念品です。
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↑デスクや棚に飾るモノで、「45年の友好―友好都市 ネベリスク・稚内」という文字が在ります。

ネベリスクでは7月13日に、稚内市とサハリンの3つの友好都市の代表が集って意見交換を行う<第10回 友好都市経済交流促進会議>が催されました。併せて友好都市45年を記念した催事も行われました。

その関係でネベリスク市が、当日訪れる稚内関係者等に向けて記念品を用意しました。それが写真の置物です。

ネベリスクではトドが「街のシンボル」のようになっています。現在の時季は何処かを回遊する時季に相当するということで、残念ながらネベリスクを訪ねた一行がトドを視ることはなかったのですが、ネベリスクの皆さんによると「多めな時季で400頭前後居るらしい」ということでした。

↓一度、様子を視てみようとネベリスクを訪ね、状況をこのブログでも御紹介した経過が在ります。
>>ネベリスクのトド(2017.05.06)

そのネベリスクのトドの写真に対し、稚内の写真として、サハリンから訪れる皆さんに中々人気の「ノシャップ岬のモニュメント」が使われています。

この置物のポイントですが、トドとイルカが互いに向き合っているという点、そして空のトーンが似たようなモノを敢えて選び、「同じ空の下で向き合う両友好都市」というような感じに纏めていることだと思います。

これは稚内市サハリン事務所でも大切に飾っておこうと思います。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 14:43Comment(0)話題

G.I.ネヴェリスコイ記念文化センター(2017.07.13)

ネベリスクの都心部を訪ねると、やや小さめで典雅なレーニン像が建っていて、一面が石畳風に整えられ、鮮やかな花壇も多く設えられた広場が在ります。広場は、4月から整備工事が始まって、6月末までに竣工したものです。

辺りには地区行政府の庁舎、歴史郷土博物館、図書館等が在ります。

↓その広場辺りで一際目立つ建物がこれです。
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↑G.I.ネヴェリスコイ記念文化センターです。竣工した広場に据えられた花壇の鮮やかさと相俟って、建物の見栄えが増したように思います。

画は、<第10回 友好都市経済交流促進会議>に臨む稚内市代表団が、ネベリスク地区行政府の皆さんの御案内で、会議会場となった館内へ向かう時の様子です。ネベリスク市の皆さんは、何かの催事で稚内関係者が訪ねると、何時も非常に温かく迎えて下さいます。

G.I.ネヴェリスコイ記念文化センターの2階には<カンファレンスホール>が在り、40人や50人の会議や、もう少し規模が大きなセミナー等を催すことが出来ます。

このG.I.ネヴェリスコイ記念文化センターがオープンしたばかりだった2011年にも、<カンファレンスホール>で<第4回 友好都市経済交流促進会議>が催されたことが在りましたが、今回が2回目です。

そして1階には<コンサートホール>が在り、様々なステージ発表を催すことが出来ます。色々なアーティストの地方公演の会場にもなっているホールです。

稚内代表団が訪れたこの日、<ネベリスク・稚内友好都市45年記念コンサート 『友好と協力の45年』>が催されました。

G.I.ネヴェリスコイ記念文化センターの建物の南側は、「ネベリスク地区児童生徒芸術学校」が使用するスペースになっています。児童生徒の課外活動として取り組まれる、音楽や舞踊や、絵画などの制作が行われているのが“芸術学校”です。この“芸術学校”で学ぶ児童生徒を稚内に招聘し、公演を催した経過も在るのですが、何時もレベルの高さに瞠目します。今般、<ネベリスク・稚内友好都市45年記念コンサート 『友好と協力の45年』>でも、芸術学校の生徒の皆さんが歌や踊りを披露してくれました。

この他、G.I.ネヴェリスコイ記念文化センターの館内には、写真や絵等を展示するようなことに供される場所も在ります。

↓ロシア語によるG.I.ネヴェリスコイ記念文化センターのウェブサイト
>>МБУК «Районный дом культуры им. Г.И. Невельского»

このG.I.ネヴェリスコイ記念文化センターは、催事会場であると同時に、“芸術学校”が建物の一部を日常的に利用していて、正しく「地域の文化活動の“センター”」という趣です。