残念ながら…(2017.05.31)

稚内・コルサコフ航路に就航すべく回航中であった<ペンギン33>は、5月30日夕刻までにサハリンのコルサコフ港に到着しました。

しかし、6月2日の悪天候が予想されることから欠航となってしまいました。

コルサコフを出る「今季初」の便は6月5日の予定となりました。

**** ↓北海道サハリン航路 の発表↓ ****

2017/05/31(水) 現在

=欠航のお知らせ=

いつも北海道サハリン航路をご利用いただき誠にありがとうございます。

さて、今年度初便往復を6月2日、3日で予定してございましたが航路上の悪天候により、やむを得ず、本日欠航の決定となりました。

ご利用予定のお客様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解のほどお願い申し上げます。

発行済みチケットに関しましては発券代理店にて払い戻し・変更の手続きを承ります。
お手数ですが当該代理店までお申し出ください。

**** ↑北海道サハリン航路 の発表↑ ****

「入試」のシーズン(2017.05.31)

先日、「最後のベル」という11年制の学校の卒業式の日に見受けられる様子や、そういう時季に「未成年の飲酒が目に余る」として州法で「3日間の酒類販売禁止」という措置が取られていることを御紹介しました。

その11年制の学校を卒業した生徒達は、各々の進路に向けて準備中なようですが、進学希望者にとって「5月末から6月」は「入試」のシーズンであるようです。

ロシアでは大学は“Университет”(ウニヴェルシチェート)や“Институт”(インスティトゥート)と呼ばれます。前者は例えば法学部や文学部や経済学部等々の色々な学部を擁している大学という感じで、後者は例えば“医科大学”、“工科大学”というような専門の少数の学部で構成されている大学という感じです。

これらに進学を希望する11年生達は、ЕГЭ(イェゲ)と呼び習わされている「統一国家試験」を受験することになります。

この試験は、“数学(基礎)”と“国語(ロシア語)”は「全受験生が必須」で、他の各科目は「進学を希望する大学が指定する科目」を選択することになります。

この試験は、例えば「5月31日は“数学(基礎)”の日」という具合に「科目毎の指定日」に受験をすることになります。そして各科目の試験は「最大3時間55分間の筆記試験」であるということです。

「最大3時間55分間」というのが不思議ですが、一説には「学校等での連続4時間を超える活動に際しては、食事の提供義務が生じる」というような規則が在って、それを回避しようと「最大3時間55分間」を公言しているのではないかとのことです。

受験生達は広大なロシア全土の各地で、各々の住んでいる街の指定会場で受験をします。会場によっては、余計なモノを持ち込まないように、空港の保安検査場に在るような探知機を潜るようになっている場合さえあるそうです。連続3時間も試験問題に向き合っていれば御手洗にも行きたくなることもあるでしょうが、そういう場合は「申し出て、係員が同行」ということになるそうです。

選択科目が多岐に亘ることから、この試験の期間は概ね3週間に及ぶそうです。受験生達は、本人の点数を後日知ることも出来る仕組みが在るそうです。

6月20日頃になると、各地の大学でこのЕГЭ(イェゲ)と呼び習わされている「統一国家試験」を受験した進学希望者の願書を受け付けます。学校の卒業証明書のようなものを添えて、願書を提出する訳です。

このЕГЭ(イェゲ)の制度になったのは比較的近年らしいのですが、各大学ではウェブサイト等で「本学の必要科目は○○、△△…得点はXXX以上…」というようなことを公表しているそうです。それを視て、「希望する大学が求めている条件と自身の成績が合致するか?」と考えて願書を出すのです。「明らかに求められる条件に届かない…」となれば、願書を出しても入学が叶わない可能性が高くなってしまいますから、色々と考える訳です。

試験は各科目が100点満点となっているようです。なかなかに難しい試験で、各学校で「成績上位でなかなかに優秀」とされる生徒で50点程度という感じが多いそうです。人気の高い難関校では、その試験に関して「選択3科目で250点」というような条件を示し、受験生達は「過酷だ…」と感じているようです。

こういうことで大学に願書を提出して、選考結果が受験生達に伝えられ始めるのは7月下旬頃から8月上旬頃となります。そして各々が進学の準備を行い、9月1日からが一斉に新学期です。

日本では4月1日に新学年を始める関係で、1月後半から2月、3月初めに大学等の入学試験が設定され、それ故に「冬季の荒天」で多少の問題も生じています。ロシアでは、その「荒天による問題」が起き悪いような時季に「入試」なのは結構ですが、「長い期間に亘って、各選択科目の試験を受け続ける」というのは少し大変そうです。

「最後のベル」の日に、独特な衣装で辺りを歩いていた卒業生諸君の多くが、話しを聞けば「何だか大変そうだ…」という「入試」のシーズンで奮戦中です。筆者が御厄介になった大学の近所に、2月頃になると「受験生の皆さん!春はもう直ぐだ!」と店の前に掲出していた食堂が在ったのを記憶しているのですが、サハリンではこういうのはどう言えば好いものか、よく判りません。が、とにかくも受験生の皆さんが無事に試験を乗り切って、自身の進路を拓いて行かれることを願うばかりです。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 08:00Comment(0)話題

意外に視られない「ライトアップ」…(2017.05.27)

↓午後10時頃、サハリン州郷土博物館の傍を通り掛かると、思わず足を停めてしまいます。
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↑独特な形状の建物が照明に浮かび上がります。

2013年頃だったと記憶していますが、長くユジノサハリンスクでお店を営む日本の方の尽力で、専門家を招聘してライトアップの工事を行ったということが在りました。以来、夏季にこの建物がライトアップされているということは存外に知られるようになって来ました。

このライトアップされている様子は見事なのですが、5月下旬のライトアップが始まる時季から6月頃は「意外に視られない」という感じです。

↓これはライトアップの画を撮った前日の「午後9時過ぎ」です。
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↑「午後9時過ぎ」が未だ明るく、ライトアップは点灯していません。

↓こういう様子が見られるのは、5月下旬の時季で午後10時近くです。
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↑0時を過ぎると完全に消灯していますから、5月下旬のライトアップが始まる時季から6月頃の点灯時間は非常に短いものです。

7月下旬や8月になると、暗い感じになる時間帯が少しだけ早まりますから、そういう時季の方がライトアップを視るチャンスは大きいかもしれません。

ЙОГУРТ=ヨーグルト:飲むヨーグルト(2017.05.28)

稚内も含めて、日本国内のスーパーの店頭で、お店の方や関係の企業から来ていると見受けられる方が立っていて、来店している買物客に呼び掛けて“試供品”を勧めながら当該商品の販売を推し進めている様子を時々視掛けます。(地域や店によっては“毎日”そういう様子という場所も在るのかもしれません。)

ユジノサハリンスクでも、お店の方や関係の企業から来ていると見受けられる方が立っていて、来店している買物客に呼び掛けて“試供品”を勧めながら当該商品の販売を推し進めている様子を時々視掛けます。毎日、何処ででも視掛けるというのでもなく、本当に「時々視る」感じです。ですから、視掛けると「あれ?あそこで何かやっている?」と酷く目立ちます。

ユジノサハリンスク市内や周辺の各地にどんどん出店している印象のチェーン店が4月末にスーパーの店舗を、5月後半に同じ建物内のベーカリーカフェを相次いで開いた場所が近くに在ります。好天の休日に少し歩き回り、冷たい飲物が欲しくなったのでその店に入りました。

そうすると、明らかにレジではない売場で、何やら棚の商品を整理しているような店員さん達とは「明らかに異なる雰囲気」の女性が立っていました。「こんにちは!御覧になって下さい!」というような様子で、小さな透明なプラスチックの使い捨てカップに白っぽい飲料を注いで買物客に勧めていました。

↓その「試供品を飲ませながら販売を推し進めていた」商品がこれです。
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↑「飲むヨーグルト」というモノです。小さなペットボトルに入っているモノです。

ユジノサハリンスク市内の様々な食料品を売っているスーパーには乳製品系統の品物のコーナーが設けられている場合が多いのですが、そこで気付くのは「ヨーグルト系統の加工品」と見受けられるモノの種類が少し多いということです。ユジノサハリンスクの消費者の志向として、ヨーグルト系統のモノが好まれるということかもしれません。実は以前にサハリンの方を稚内にお迎えした際、「ヨーグルト系統の色々なモノが存外に少ない」と言っていたのを耳にしたことが在りました。ユジノサハリンスクで店の様子を視れば、その意味は判りますが、聞いた当時は余り視ていなかったので「そういうものか?」程度に思っていました。

「試供品を飲ませながら販売を推し進めていた」商品の「飲むヨーグルト」ですが、330ml入りの容器です。1人で一気に飲むことも可能かもしれないような量ですが、2人位か3人位で分けて飲む方も在るかもしれませんし、冷蔵庫に置いておいて何回かに分ける場合も在るでしょう。稚内の店でも売られている、日本国内で出回っている「飲むヨーグルト」に比べると、「ヨーグルトらしい、ベタッとした感じ」がより強く残っているような感じがしました。

そして、ユジノサハリンスク市内の店で家庭向けに売られているジュース類で「イチゴ系統の味」が何となく目立ちましたが、この「飲むヨーグルト」も「イチゴ系統の味」が入っていました。考えてみれば、ヨーグルトは若干の酸味が在って、好みで甘味料を加えて頂くようなモノです。「甘酸っぱい」感じの「イチゴ系統の味」はよく合うのだと思います。

今般の「飲むヨーグルト」は1本が66ルーブルでした。幾つかの店で、この種のモノを視掛けました。色々なメーカーのモノが在って、66ルーブルは「中間位の価格?」のように見えました。もう少し安価なモノや、もう少し高価なモノも見受けられました。

今般の「飲むヨーグルト」は沿海地方を本拠地とする企業の製品のようでした。今般入手した「飲むヨーグルト」の他に、色々と牛乳を原料とする加工品、または牛乳そのものを扱っているようです。

>>ГринАгро(グリーンアグロ社 ロシア語のウェブサイト)

こういう商品にサハリンで出くわすと、サハリンの皆さんの「多少の好みの違い」に気付くと同時に、「こういうのも好いなぁ…」と思う場合が在ります。「イチゴ系統の味が付いた“飲むヨーグルト”」というのは、稚内の店で視た記憶が在りません。スプーンで食べるタイプのモノで、「イチゴ系統の味付き」というヨーグルトは求めて頂いた記憶も在るのですが。とにかくも、非常に興味深い感じです。

週末の夜にカフェバーでライヴ(2017.05.27)

日本国内の方々の街を訪ねると、“○○通”とか“○○町”というような「夕方から夜に営業の飲食店等が集まっている地区」というものが見受けられるものです。ユジノサハリンスクに在っては、そうした「夕方から夜に営業の飲食店等が集まっている地区」というようなものは見受けられません。その他方で、「夕方から夜に営業の飲食店等」は市内の方々に見受けられます。

ユジノサハリンスクで見受けられる「夕方から夜に営業の飲食店等」ですが、パリッとした服装で出入りするレストランから、普段着で構わないカジュアルな店まで色々と在って、更にカラオケや音楽が賑やかな店も在れば、静かな感じの場所も在って、なかなかにバラエティーに富んでいる様子です。

カジュアルな感じで、音楽が賑やかなカフェバーでは週末の夜にバンドが入って生演奏をしている例も意外に多い様子です。そんな「バンドが入っている」という場所を訪ねてみました。

切っ掛けは、何度も稚内へやって来ている<ジャズタイム>(稚内へ来た際には“ヴレーミャ・ジャザ”と呼んでいましたが。)の一部メンバーが、<ジャズタイム>以外のバンド活動―<Dream Box>というバンドです。―をやっていて、そのバンドが土曜日の夜にカフェバーでライヴをやると知ったことでした。

ユジノサハリンスクは20万人の人口を擁する街である他方、意外にコンパクトな街で、何かで知り合った方と意外な場所で出くわすということが時々在る街です。この<Dream Box>というバンドでも活動しているという<ジャズタイム>のメンバーである、女性ヴォーカリストのエレーナ・アクシェンツェワさんに近所で偶然にお会いしてこの件を聞いたのでした。

この時季、ユジノサハリンスクで日が落ちてしまって「夜らしい」感じになるのは少し遅めな時間帯です。カフェバー<オペラ>という店は、金曜日と土曜日に関しては「朝まで」の営業なようですが、会場はその店でした。

↓店内でライヴが始まると、こういう感じです。特段に写真撮影は差支えが無いとのことだったので、少し様子を撮っておきました。
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↑バーカウンターやテーブル等が在るフロアに少し高くなっている個所が設けられていて、そこが楽器等を据えるステージとして使われます。

↓30分程度の演奏、20分程度の休憩、また演奏というような感じでライヴは続きます。
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↑ロック系なアレンジでオリジナル曲やカバー曲を演奏していました。

↓遅めな時間帯でも人の出入りが途切れず、店内は熱気に溢れていました。演奏が始まろうとする頃、バーカウンターの隅が空席になったので、その辺りに陣取ってライヴを愉しみました。
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色々な方式が在るのだと思われますが、この日は入場料やチャージのようなモノは発生せず、店内で頼む飲物等の料金だけでライヴを愉しむことが出来ました。コーヒーを何杯かと、写真のカクテルを1杯頂きました。(最初は<モヒート>と頼んだのですが、「なかなか出て来ない…」と思っていれば「ラムを切らしてしまって…」という話しなので「ウォッカベースで適当に…」ということにして出してもらったカクテルを頂いたのでした。)

実は以前にサハリンの方から「稚内のナイトライフは?」と尋ねられたことが在り、「どういうモノのことを言っているのか?」と思ったことも在ったのですが、「ユジノサハリンスクの週末の夜」を一寸だけ見ると「お尋ねの意味」が判りました。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 07:00Comment(0)カルチャー

水兵さんの仕様のTシャツ(2017.05.27)

ロシアでは水兵さんとか船員さんと言うと「紺色の横縞が入ったシャツ」というイメージが強いようです。

実際、海軍の艦艇に乗っている水兵さんについては、「紺色の横縞が入ったシャツ」はユニフォームの一部になっているようです。

↓海軍のユニフォームの一部になっている「紺色の横縞が入ったシャツ」としては長袖のモノが知られているのですが、夏用の袖なしのモノも見受けられます。
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↑このタイプのモノが、立ち寄った店では400ルーブルでした。こういう、軍や警察のような機関が利用する仕様な衣類は、存外に人気が高い様子です。

実は筆者は、4月半ばにサハリンに入ったのですが、その際には「温かめなアンダーウェア」を中心に持ち込み、何やら長袖Tシャツのようなモノばかりで、多少温かくなる日の衣類に困り始めました。そこでこういう「面白い」感じな他方で「価格も手頃」に思えるモノを入手したのです。筆者自身はTシャツ類は「XL」というサイズを着ますが、このロシアのモノのサイズは「56」と呼ばれているサイズでした。それで「ピッタリ」な感じで、大変に気に入っています。そこで、思わずこれを買い足してしまいました。

この水兵さんの仕様のTシャツを求めた近所の店では、店員さんが「うちは“国産”が主体で、ハバロフスク方面に在る工場のモノが殆どです」というようなことを口にしていたことが在りましたが、「国産の実用品」というのはロシアでは評価が高いのかもしれません。

ところで「横縞が入ったシャツ」というモノは、海軍以外の種類の軍や、制服を着用する政府系の機関で「ユニフォームの一部」となっているそうです。ただし、海軍で採用されている「紺色」と違う色が指定されているようです。何かの映画で視た記憶が在るのですが、空挺部隊ではもう少しハッキリした青の縞が入ったTシャツを使っていました。更に別な色のモノも幾例か視た記憶が在ります。筆者個人の単なる好みとしては、海軍仕様と聞く紺色や、空挺部隊仕様だという青が気に入っています。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 12:24Comment(0)モノ

「名画座」的な上映も行う老舗映画館(2017.05.26)

↓1990年代半ば位まで、かなり古めな写真を使ったユジノサハリンスクの絵葉書が出回っていた記憶も在るのですが、その中にこの建物の画が在った記憶が在ります。
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↑<コムソモーリェツ>と名付けられた映画館です。映画上映の他、ステージを活用した催しも出来る場所ということになっているようです。

建物の外観はソ連時代の映画館と何ら変わらないという感じである他方、中央に在る入口の両脇には、極最近の映画の広告幕が掲出されています。これが上映中の作品です。何作品かをローテーションで上映するようになっているようです。

ここに幕が掲出されている作品を観るのであれば、他にも上映館は在ります。足を運びやすかった金曜日の夕方に上映という型だったのですが、この映画館では「名画座」的な上映、往年の名作の上映を行っているのです。

↓この日上映していた『Дядя Ваня』(ヂャーヂャ ワーニャ=『ワーニャ伯父さん』)の映像が視られるYouTubeのページを見付けたので御紹介しておきます。


『ワーニャ伯父さん』は、かのチェーホフの四大戯曲に挙げられる代表作です。この作品に関して、筆者は随分以前に色々と芝居で観ていて、1970年公開の映画化作品も承知していたのですが、「大きなスクリーンで上映」と知って「是非!」と足を運んでみたのでした。

入場券を売っている場所―Касса(カッサ)と呼ばれる窓口―も、1990年代までは何処にでも見受けられた、何となくソ連時代を思わせる設えでした。が、“中身”が「やや違う」感じです。窓口脇に液晶画面か何かの薄型のテレビモニターが在り、上映ホールの見取り図が表示され、「X列のX番」と言えばそこの色が変わって「ここですね?」ということになり、コンピュータ連動のプリンタで上映作品、上映時間、座席番号が印字された券が発行されて、支払いをして券を手にします。利用してみたことはないのですが、この老舗映画館も「ネット予約」を受け付けているようですし、支払いもクレジットカードで出来ます。

ユジノサハリンスクで、何となく驚くのは「凄くクレジットカード類が普及している?」ということです。映画の入場券に限らず、「カフェで持ち帰りのコーヒー1杯を求める」というような次元の支払いで、カード使用が存外に見受けられるのです。或いはサハリンのカードは、一定の与信額で使って後から口座引落になる“クレジット”ではなく、指定の銀行口座と連動していて口座残高の範囲で利用可能な“デビット”という方式なのかもしれません。

↓老舗映画館<コムソモーリェツ>の上映ホールの手前の空間にオブジェが在りました。
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↑映画文化への敬意を表し、同時に映画を上映することに勤しんでいることに関する矜持を示すというような、「撮影技師」という感じのオブジェを好ましいと思いながら眺めました。

上映ホールは、本当に「昔からの映画館」という感じでずらりと席が並んでいる方式でしたが、椅子は最近の使用のモノに換装されていました。そして1970年の映画ということでしたが、一定以上の年代の映画ファンの他、高校生や大学生と見受けられる若者が存外に目に付いた場内でした。

この「名画座」的な上映ですが、入場料は50ルーブルでした。好天に恵まれたこの日の昼間、500ml入りのミネラルウォーターを1本求めたのでしたが、そのミネラルウォーターが45ルーブルでした。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 06:44Comment(0)カルチャー

旧 王子製紙眞岡工場(2017.05.21)

樺太時代には「眞岡」(まおか)と呼ばれていたホルムスクは、海岸部に「南北」に市街が拡がっているだけではなく、丘陵の階段状の地形に街が拓かれているので、「上下」にも市街が拡がっています。

そういう「南北」に加えて「上下」にも市街が拡がっている状況なので、色々と「独特な表情の景色が視られる」街でもあります。

↓「独特な表情の景色が視られる」と言う場合に「際立って独特な」と形容したくなるのが、こんな様子です。
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↑様子を眺めていると、「SF系統の映画やコミック」のような「現実離れ?」な印象も抱いてしまいます。この写真を友人に見せた時、「“街中の巨大廃墟”?何か混沌としているのだろうか?」という感想を漏らしていました。(実際、“街中”とは言っても、中心街的な場所を僅かに外れた感じになっていました。)

朽ちているような大きなコンクリートの構造物は「旧 王子製紙眞岡工場」です。

1919年9月に「樺太工業」という会社が当地に製紙工場を起こし、1921年5月に工場が全焼してしまい、1922年3月に復旧したという経過を辿ったようです。そうした経過や、元号が“昭和”に切り替わった少し後の不況等が在って、製紙業界で企業合併等により業界再編が進められ、1933年に「樺太工業」は「王子製紙」に合併となり、眞岡工場は王子製紙の工場となったのだそうです。

(※ 因みにこの眞岡工場を運営していた会社は1949年に解散し、1961年に清算を終えて消滅しているので、現在も存在する同名の製紙会社の“前身”的な性質は帯びるものの、関連性は弱いそうです。)

1945年に樺太が放棄されて以降、眞岡工場はソ連の工場になり、新聞印刷用の紙を製造する等、長く活動を続けていたそうです。1990年代に入って間もなく工場が操業を停止し、現在の“廃墟”状態になってしまったとのことです。

↓「工場」が「工場跡」ということになってからだけで、既に四半世紀が経っていますから、相当に傷んでしまっている様子が判ります。
旧 王子製紙眞岡工場 (4).jpg

↓塔のようになっている場所の金属製と見受けられる階段は錆びてしまっていて、昇降すると壊れてしまいそうに見えます。
旧 王子製紙眞岡工場 (3).jpg

「眞岡」(まおか)と呼ばれていた時代にも、街は「西海岸の海陸交通の要衝」という位置を占めていましたが、ソ連時代にも「大陸との貨物輸送の拠点」となっていて、サハリンでは最大級の港を擁する都市でした。

(※ 近年は「日本海のハブ港」となっている釜山との間を往来する貨物船、ロシアで「極東方面の輸送の要」となっているウラジオストクとの間を往来する貨物船が多く出入りしているコルサコフ港の方が、船の出入りや扱い貨物量は多いかもしれません。)

現在もホルムスクは大きな港を擁する都市で、港の出入口と向かい合うように丘の上の中心的市街地へ続く通が在ります。その辺りから地区行政府庁舎等も在る辺りを抜けて、更に少し進んで行くと集合住宅が一群を成している場所に出ます。その集合住宅が一群を成している場所の辺りから、「旧 王子製紙眞岡工場」が好く視えます。

「旧 王子製紙眞岡工場」の直ぐ横に鉄道が通っていて、鉄道と並行して道路が設けられています。この道路の辺りから「見上げるように視る」というのが、「旧 王子製紙眞岡工場」を視る場合によく在る型だと思いますが、集合住宅が一群を成している場所の辺りからは「見下ろすように視る」ということが出来ます。

この「旧 王子製紙眞岡工場」は、「サハリン=嘗ての樺太」というイメージの中では非常に「らしい」イメージの場所なのかもしれません。この場所を「とりあえず視たい」という方も多いと想像されます。サハリンを訪れる方が滞在する場合が多いユジノサハリンスクとホルムスクとの間は、1日に14往復の路線バスが運行されていて、所要時間は片道2時間以内ですから存外に訪ねてみ易い場所です。

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占守島の九五式戦車(2017.05.01)

サハリン州郷土博物館の敷地内には、幾つもの“屋外展示”が在ります。

↓正面の門から見て左側、東寄りの方にこういう車輛が据えられています。
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↑これは旧日本軍が使っていた九五式戦車です。

この九七式戦車は占守島(しむしゅとう)から持ち込まれたモノです。“占守”はロシア語でも“Шумшу”(シュムシュ)と書くようです。

この展示は、「終戦70年」というようなことで、2015年頃に持ち込まれて修復が施されたモノです。

修復の際に、「随分とよく調べて手が施された」と見受けられるのは、砲塔に在る<士>のマークです。

占守島に送り込まれていたのは「第十一連隊」という戦車隊でした。「十一」を縦に並べて書くと、“武士”や“士魂”という言葉の“士”という具合になります。彼らは装備品に「部隊の目印」としてこの<士>のマークを好んで描き込んでいたのだといいます。

1945(昭和20)年8月18日から8月21日、占守島に在ったこの第十一連隊等の、ポツダム宣言受諾に従い武装解除中であった日本軍部隊と、上陸したソ連軍部隊との間で戦闘が発生しました。この九五式戦車等を擁した日本側は、歩兵と火砲という装備のソ連軍を相手に勇戦し、比較的優位に戦いを進めてはいましたが、軍命で8月21日に停戦しています。

↓サハリンでは同時代のソ連軍戦車が展示してある場所も見受けられるのですが、そういうモノと比較すると、小さな車輛であることに少し驚きます。
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↑当時の「ソ連軍側」としては「必ずしも巧く運べなかった作戦」の経過に関連が在るモノの筈ですが、「“対日戦”の経過を示す」ということで、占守島に残っていた日本の戦車が「史料としての高い価値」を認められたのでしょう。正直なところ、筆者は日本国内でこの車輛を視たような記憶が無いので、多少驚きながら視ています。

この占守島の戦いの顛末に関しては、『終わらざる夏』(浅田次郎)という小説が知られています。そういう作品等も思い出しながら、この場所で九五式戦車をゆっくりと眺めることも在るのですが、親子連れが居ると子ども達が戦車によじ登っている様子を視掛けます。この小さな戦車は子ども達に人気が在るようです。

A.M.ヴァシレフスキー元帥(2017.05.14)

ユジノサハリンスクで「昔(=樺太時代)に大きな神社であった場所」と言えば、多くの人が「あそこ!」と判る場所が在り、現在は都市緑地として整備されています。

↓「神社の石段」と様相が少し異なりますが、「石段の面影」が感じられるような場所です。
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↑「石段の面影」を感じながら様子をぼんやりと視ていましたが、何か「妙な感じ」を覚えました。階段を上り切った辺りに、“人影”が在って「立ったまま動かない?」という状態なのです。

階段を上り切った辺りに、“人影”が在って「立ったまま動かない?」のを不思議に思い、階段を上がってみました。

↓階段を上り切った辺りに銅像が据えられていました。
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↑最近、「少し古い銅像」には州政府による「文化財指定」のプレートが台座に貼り付けられていたり、設置時期が判るような何かが刻まれていることも多いのですが、この銅像はそういうモノが見当たりませんでした。

「昔(=樺太時代)に大きな神社であった場所」と言えば、多くの人が「あそこ!」と判る感じな他方で、この階段を上り切った辺りに在る銅像に関しては「そういうの?在りましたか?」という反応も少なくない感じです。

↓これはアレクサンドル・ミハイロヴィチ・ヴァシレフスキー(1895年 - 1977年)の像です。
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↑第2次大戦期のソ連軍の戦史ではよく名前が登場する人物です。独ソ戦の時期に参謀総長を務めて元帥となっており、1945年6月から極東に在って、極東の総司令官となった人物です。

言ってみれば、“対日戦”の「前線の最高司令官」であった人物の像が、「日本に所縁も深い場所」に立っていることになります。が、この一帯は「戦争の経過という歴史を偲ぶ」というコンセプトで整備されている一隅であり、像が立っている場所に関して気に掛けているような方に出くわしたことは在りません。

とりあえず、「階段を上り切った辺りに不動の“人影”」ということを不思議だとか、不気味だと思っていたのでしたが、「高名な司令官の銅像」と判って、何となく落ち着きました。