雨の降る日(2017.06.29)

前週の土曜日辺りから、「曇天基調で時々やや強い雨も交じる」という具合で、肌寒いような感じが続きました。肌寒いような感じに関しては、「1週間でたった1回??」という感じだった、晴れた水曜日以降に少しだけ改善していますが、それでも「曇天基調で時々やや強い雨も交じる」状況は続きます。各地で暑さに倦んだ皆さんは、稚内へ飛んで、<ペンギン33>で宗谷海峡を越えてみると「“涼しい”を通り越した感じ」を味わうことが出来る筈です。

こういう日々で、戸外に出るのがやや面倒にはなりますが、食事を楽しみたいという想いは留めることも出来ません。そこで、「少し雨が…」と思いながら夕食を摂りに出掛けました。歩いている途中で雨がやや強くなって来ましたが、無事に目指す店に着き、夕食を愉しんだ訳です。

↓外が見える窓辺に陣取ってゆっくりしていました。目の前にバス停が在ります。
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↑ユジノサハリンスクの道路は、多くの方が指摘していますが、“側溝”の状況が好くない感じで、雨の日は水が溜まり易いように見受けられます。道路面が「池の水面?」のようになって、丁度停車していたバスや、辺りの建物の壁や看板が路面に映り込んでいます。

乗客が乗降するために停車中のバスの後ろより側に赤い看板が視えます。画の下側に、赤い看板が路面に映り込んでいる様も見受けられます。

この赤い看板に「ЗАЙМЫ」(ザイムィ)という大きな文字が在ります。何となく「何年か前にはこんなにこの文字の看板が?」と思う程度に、街の随所で視掛ける看板です。聞けば、これは日本で言う“消費者金融”に相当するもので、「要注意…」とも伝わります。

傘を使う人も使わない人も足早に通を行き交い、目の前のバス停でバスが停車して多くの人達が乗降する様子や、多少水を跳ね上げながら行き交う車輛を随分と眺めていましたが、雨脚はなかなか弱まりませんでした。何時までも眺めている訳にも行かないので「雨ニモ負ケズ」と帰宅しました。

Индейка(インヂェイカ)=七面鳥(2017.06.26)

「外国語の単語を覚える」というようなことを言うと、中学校や高校で英語を勉強するような場面で、カードやノートに教科書に出て来るような単語を書き出して、何回も読んだり書いたりして記憶に留めるようにしたというようなことを思い出すかもしれません。

そうやって覚えようとした英単語が簡単に記憶に留まらない他方、興味を持ったようなモノの名前―飛行機、車輛、船、楽器、外国のバンドの名前や楽曲の名前等々―は、特段に努力するということでもなくとも、何回か確認して書き出す等していれば、何時の間にか覚えてしまう場合も在りました。

国外に滞在した場合、「好んで食べるモノの呼称」というようなことであれば、何度か確認してみて、視たり口にしたりとしている間に何時の間にか記憶に定着するという場合が多いように思います。筆者としては、例えば「鶏肉」を意味するкурица(クーリッツァ)は、かなり以前にモスクワに滞在する経過が在った時にそうやって記憶したという一例です。“スタローバヤ”というカフェテリア式の食堂に入って、「多分、鶏肉であろう」と思えたモノについて、それを指し示しながら「クーリッツァ?」と尋ね、「間違いなく鶏肉であろう」というものを頼みたい場合には「クーリッツァ」と言ってみる訳です。

現在滞在しているユジノサハリンスクでも「クーリッツァ?」とか「クーリッツァ」と言ってみる場面は在ります。スタローバヤ”というカフェテリア式の食堂を利用する場合の他、スーパーの惣菜コーナーで時々発生する状況です。

↓迂遠なようですが、何時もランチを楽しむ店でこういう料理に出くわして、鶏肉の「クーリッツァ」という語を覚えた経過を思い出してしまいました。
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↑これは鶏ではなく、七面鳥であるということです。

何時もランチを楽しむ店では、二者択一か三者択一のようになっている文字で書かれたメニューから料理を選んで頼むようになっています。

とりあえずШницель(シュニッツェリ)という文字がメニューに視えました。これは“シュニッツェル”とドイツ語から来ている料理の名前で、粉を塗した肉類を揚げ焼きにするカツレツです。日本のトンカツのように、熱い油の中に入れて揚げるのとは少し作り方が異なるもののようです。

この“シュニッツェル”なら「大変に結構!」と思ったのですが「○○のシュニッツェル」という「肉の種類」を示す語が、余り馴染みのない語でした。Индейка(インヂェイカ)というのです。

このИндейка(インヂェイカ)が即座に思い出せず、料理が席に届くのを待つ間、「そう言えば何度か確かめた語だったが…」と思い出そうとして一寸考えていました。そのうちモノが登場し、「そうだ!七面鳥だった!」と思い出した訳です。

日本では、米国等で七面鳥を頂く慣習が持ち込まれた経過が在るものの、七面鳥の肉が多く出回っているでもないので、鶏肉で代用されているという話しを聞きます。クリスマスにチキンを頂くというのがそんな例で、米国では七面鳥だと言います。

そういう「やや馴染みが薄く、普段は然程頂かない種類の肉」なので、Индейка(インヂェイカ)が即座に思い出せなかった訳です。

単語を巡る話題はどうでも構わないのですが、写真の「七面鳥のシュニッツェル」は、鶏肉よりも「サッパリした」感じの噛み応えが在る肉であるように思いました。添えられたケチャップを点けて頂くのですが、「意外に合う!」という感じです。しかし他方で「鶏肉の」と言われて供されても、七面鳥との区別はよく判らないと思います。

ユジノサハリンスクでも、鶏肉の方が登場場面は圧倒的に多いですが、それでも時々「七面鳥の肉」と称するモノ、或いはその加工品に出くわします。こういう稚内では余り視掛けないような気がするモノに出くわすと、「色々な経路で色々なモノが入って出回っている」ことを意識せざるを得なくなります。

<サハリンスカヤ・フィルアルモニア>:第69期終幕コンサート(2017.06.28)

<サハリンスカヤ・フィルアルモニア>?

これは音楽や舞踊の活動を行うグループを擁し、そうしたグループによる公演活動を行う他、各地のアーティストを招聘して地域内での公演を催す公設の団体です。サハリン州では、そうした幅広い活動を行う公設団体というものは、この<サハリンスカヤ・フィルアルモニア>だけのようです。

ロシアでは民族音楽や、小編成での楽器演奏、歌謡、ジャズやフュージョンのような音楽や演舞のようなものを「エストラードナヤ=バラエティー」というように呼んでいますが、そうした分野の音楽活動等を行う団体が1947年にサハリン州に設けられたのが、この<サハリンスカヤ・フィルアルモニア>の起こりと考えられており、その活動の歴史は既に70年にも及びます。

ロシアでは、各地の劇団や楽団が各々の劇場などで公演を盛んに行う時季を“セゾン”=“シーズン”と呼びます。大概は「10月頃から、年末年始を挟んで6月頃」となっています。

2016年秋からのシーズンが、2017年の6月末で閉幕することとなり、『第69期終幕コンサート』が催されたのです。

会場となったのは、ユジノサハリンスクの劇場<チェーホフ・センター>です。この<チェーホフ・センター>の大ホールは585席在るそうですが、会場には多くの人達が詰め掛け、満席状態でした。

『第69期終幕コンサート』は“第69期”の活動を振り返りながら、<サハリンスカヤ・フィルアルモニア>が擁する各グループが演目を披露し、日頃から応援している地元ファンに感謝の意を表しながら、次のシーズンへ踏み出す区切りにしようとするような催しです。

出演団体は民族楽器の<ブラチーナ>、ヴァイオリンやヴィオラにピアノ伴奏が加わって歌唱も入る<ディヴェルチスメント>、舞踏のグループである<ディアローグ>、そして<ジャズタイム>です。

開演時間が過ぎて、客席の聴衆が落ち着いた辺りで幕が開くと、各グループの楽器を演奏するメンバーがステージ上に現れました。手前の左手に様々なサイズのバラライカ―何となく見覚えが在る感じのモノから、コントラバスのように大きなモノまで在ります。―やバヤンを持った<ブラチーナ>のメンバーが、手前の右手には弦楽器を手にした<ディヴェルチスメント>のメンバーがそれぞれ陣取り、後ろ側に<ジャズタイム>のメンバーが並んでいました。

こういうような中、<ディアローグ>のメンバーが華麗なダンスを披露し、司会役を務めた<ディヴェルチスメント>の女性歌手が“第69期”の活動を振り返るコメントや楽曲紹介等をしながら、各グループの演目が代わる代わるに展開されました。楽器を演奏するメンバーはステージ上に待機し、演奏を順次行っていましたが、各グループが擁する歌手は各々の出番で舞台の脇から登場しました。

<ディヴェルチスメント>はクラシック系統の曲、ロシアで馴染みな歌謡曲をヴァイオリン等で演奏する、所謂“室内楽”な訳ですが、各々に見事なソプラノとアルトの歌声を披露する2人の女性歌手が居て、1人での歌唱の他に2人で合唱した場面が秀逸でした。

<ブラチーナ>の「大小様々なサイズのバラライカにバヤン」という編成の演奏は「小さなオーケストラ」のようで面白いものでした。稚内では「<ルースキー・テーレム>の女性の衣装」として御馴染みな感じの衣装を身に着けた女性歌手も登場し、ロシアの伝統的な歌を披露しました。あの種の楽器の音は、「平原に畑が拡がって、遠くに森」という「ロシア!」というイメージの風景を想起するものですが、ステージ背景のスクリーンに「夜の都市の道路で、車輛の前面から街灯が点る道路を視たような画」が映写された場面が在り、「意外に都会的な様子にも合う音かもしれない?」と新鮮な感じで演奏に耳を傾けた瞬間も在りました。

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<ディアローグ>に関しては、「10代?」と思えるような若いメンバー達が躍動する様子に少し圧倒されました。<サハリンスカヤ・フィルアルモニア>が擁するグループとしては、最も新しいグループということになるということですが、方々の催事に積極的に参加しているそうです。

<ジャズタイム>は筆者にとっては馴染みです。今回は「一番後ろ」で演奏していて、演奏している様子が視え悪かったのがやや寂しかったのですが、「かなり派手なサックスのソロ」が入る場面が在って、それを嬉しく聴いていました。2人の女性歌手のパフォーマンスも冴え渡っていました。

こういうような、各々に特徴が在るグループの演目が続々と繰り出されるステージだった訳ですが、「何時の間にか約2時間の公演が最終盤に…」という感じでした。更に言えば「複数グループが出演するコンサート」のようなモノでの、「サハリン辺りの皆さんの演出の好み」のようなもの、「色々なモノが代わる代わるに登場」というような感じが好まれるという傾向を実感したような気がします。

最後に、<サハリンスカヤ・フィルアルモニア>のイリヤ・アレクサンドロフ代表がステージに登場しました。この方は振付師、俳優という感じの活動をされていた方と見受けられますが、何か「名物プロデューサー」という雰囲気を醸し出している方でした。アレクサンドロフ代表は、ユジノサハリンスクの主に<チェーホフ・センター>を会場とした公演や、サハリン州内各地での公演に足を運んだ皆さんへの感謝、公演を支えた会場関係者への感謝を述べ、各グループの代表を紹介しながら、シーズンの活躍を労うコメントをされていました。その中で、小さな子どもが居る中で仕事を続けている関係者が在って、都合でその場に居なかった関係者に言及し、労いのコメントと「各関係者に贈った花束に加えて、皆さんの拍手をお届けしておこうと思います」と代表が言って、場内が沸き上がった場面が見受けられました。そういう様子に「それぞれの事情を持ちながら仕事を続ける人達に優しい社会?」ということを感じました。

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そして、秋に開幕する新しいシーズンが“第70期”という節目でもあるので、益々好い公演を目指して行きたいということと、変わらぬ応援を観衆に呼び掛けていました。そして大喝采の中で閉幕です。

アレクサンドロフ代表が「彼とは、一年中“ずうっと!!”一緒に仕事をしていた感で、つい最近の『国際日露文化フェスティバル 2017』でも、催事のテーマソングというべく『友情の歌』を準備して頂いた」と紹介していた<ジャズタイム>のウラジーミル・キンジーノフさんには、その『国際日露文化フェスティバル 2017』の直前にお会いしました。その時「シーズン最終盤まで催事が目白押しだが、28日の“終幕コンサート”の後は暫く休暇を取ることが出来る」と話していました。各グループの皆さんは各々力を尽くして来たことが伺えるお話しです。

こういうような訳で「皆さん、お疲れ様でした…」という感も在るのですが、聞けば<ディアローグ>は“第70期”に向けて『第69期終幕コンサート』の翌日から、早速に新しい演目を容れたパフォーマンスを行うというのです。これには多少驚きました。若そうなメンバーが多いように見受けられたグループですが、大規模な催事の「直ぐ翌日」に公演ですから、凄く元気な感じです。

こういうような催しを観ると、サハリンでの各種文化活動の幅広さ、深さに驚かされます。ユジノサハリンスク市が20万人程度の人口で、サハリン州全体で50万人に届かないという状態なのです。そこに「プロのミュージシャンの様々なジャンルのグループ」が幾つも活動している型になっているという状況は、少し驚きます。

>>САХАЛИНСКАЯ ФИЛАРМОНИЯ(ロシア語によるウェブサイト)
posted by 稚内市サハリン事務所 at 10:39Comment(0)カルチャー

ユジノサハリンスクに関する“誤解”:「方角」…

ユジノサハリンスクに関する「案内地図」のようなモノは日本でも一部に作成されています。

日本で視掛けるモノですが、大概は「横長のデザイン」です。図の下側に「ユジノサハリンスク駅」が据えられ、図の上側のやや左寄りに「ガガーリン公園」、そして右側へ「スキー場=ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ」、「勝利広場」で昨年以降に作成された図であれば「大聖堂」が入るかもしれません。

通常、「地図」では「上=北 下=南」で、自ずと「左=西 右=東」です。そういうことで、「ユジノサハリンスク駅が南で、ガガーリン公園やスキー場が北」と思ってしまいますが、実は「誤解」です。

ユジノサハリンスクというのは、スキー場を擁する東側の丘陵と、日本海側の地域への道路が延びる西側の山地とに挟まれた「東西幅が狭い場所で南北に長く市街が拡がっている」という都市なのです。

「案内地図」で「ユジノサハリンスク駅」は「下」というのが多々見受けられますがこれは「西」であり、「ガガーリン公園」や「スキー場」は「上」ですがこれは「東」です。

コルサコフ港に船で到着してユジノサハリンスク市内に向かう場合、ユジノサハリンスク空港へ通じる辺りを通り抜けて「北上」をすることになります。そして「ユジノサハリンスク駅」が視える場合には、進行方向の左手に「巨大なレーニン像の向こうに駅らしきモノ」が覗くのです。

コルサコフ港やユジノサハリンスク空港は、ユジノサハリンスクの市街の「南」です。「ユジノサハリンスク駅」が「南」であるとすれば、コルサコフ港やユジノサハリンスク空港からユジノサハリンスク都心部へ入る際に「駅の傍で線路を超える踏切を通過して駅舎が視える」という場面が生じる筈ですが、それは在りません。強いて言えば、コルサコフ港からユジノサハリンスク方面へ延びる道路に1ヶ所「線路を越える」場所が在りますが、これはユジノサハリンスクの市域に入るかなり前です。

横長のデザインになった「案内地図」で「ユジノサハリンスク駅」は「下」というのが多々見受けられますがこれは「西」であり、「ガガーリン公園」や「スキー場」は「上」ですがこれは「東」ですから、進む方向に関しては少し注意をするべきかもしれません。

街で実際に「方角」を知る場合、ユジノサハリンスク駅前の広場に聳え立っている巨大なレーニン像が「好い目印」になり得るかもしれません。午後から夕方の時間帯、レーニン像の「背中側」に太陽光が当たりますから、そちらが「西」寄りです。そして朝から昼頃までは「正面側」に太陽光が当たりますから、そちらが「東」よりです。太陽光線が像に当たる様子が判り悪い曇天でも「背中側=西 正面側=東」と記憶しておけば好いのです。

豊原時代は、現在のレーニン通が「大通」と呼ばれていて、鉄道駅の方角に「西1条、西2条、西3条…」となっていて、当時もスキー場が設けられていて、麓に「樺太神社」が在った丘陵の方向に「東1条、東2条、東3条…」となったそうです。

「案内地図」のレイアウトのために、ユジノサハリンスクに関して話題になる場合、「何か方角が??」と判り悪くなってしまったお話しを時々耳にするので、敢えて話題にしてみました。

“Болоньезе”=ボロネーゼ(2017.06.20)

「ピザが美味しい」という話しのお店を初めて訪ね、結果的に「ピザ生地の上に所謂“シーザーサラダ”がそのまま載っている?」というような風変わりなメニューを頂くこととなったのですが、そのお店はピザの他方でパスタも得意としているということを知りました。

何となくなのですが「美味いパスタ料理?一寸、御無沙汰しているような?」と気になり始めました。そしてパスタが気になると同時に、「ピザが」ということで頂いたのが、「非常に独特?」なモノであったことから「如何にもパスタ!!」という感じのモノを頂いてみたくなりました。

↓結果的に、“Болоньезе”=ボロネーゼという、所謂“ミートソース”のスパゲッティ―の「元ネタ」のような、挽肉とトマトソースというパスタを頂くことにしました。
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イタリア語の呼称に、そのままロシア語のアルファベットを当てているのは、日本でやっている“カタカナ表記”な方式に近い感じです。何処の由来であろうと「各国でポピュラー」というようなモノは、色々な地域で、各々の型で“定番化”して行くのでしょう。

この「ユジノサハリンスクで頂いたボロネーゼ」ですが、日本国内のイタリア料理系のメニューを前面に出しているようなファミリーレストラン等で頂くモノと遜色が在りません。寧ろ、惜し気もなく豪快に粉チーズを掛けて供される感じは「非常に満足度が高い」ものでした。

このボロネーゼは380ルーブルでした。

パグラニチニク広場(Сквер Пограничников)の花壇前にカフェ(2017.06.27)

レーニン通とパグラニチナヤ通が交差する辺りに、パグラニチニク広場が在ります。

パグラニチニク広場は、“パグラニチニク”こと「国境警備軍将兵」の活動を記念した大きなモニュメントが在る広場ですが、花壇が整備されて街路樹が小さな森のように植えられ、ベンチも多く設置された気持ちが好い場所です。ベンチで休んでいる人も在れば、愛犬を連れて散歩している人、親子連れや子ども達の姿も見受けられます。

↓このパグラニチニク広場のレーニン通寄り辺りの眺めです。
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↑通路の真中に花壇が整備されていますが、花壇の前に変わった型の建物が視えます。

何か最近は「些かの不満」も禁じ得ない程度に肌寒い感じが続いていますが、花壇の花は鮮やかになっています。その花壇の直ぐ前の「円形の小さなドーム型」な建物がなかなか目立ちます。動き回る場合に「あれが視えたら…」と目印に出来そうな感です。

「円形の小さなドーム型」な建物はカフェです。ユジノサハリンスク市内等に多くの店舗が展開されているチェーン店で、パンやケーキやその他の商品、更に飲物を持ち帰り、または店内で頂くことが出来る店です。因みに、この店のケーキはなかなかに好いです。

外周が硝子で円形をした建物ですが、中の収容可能人数はそれ程多いようにも感じられません。花壇に面した辺りは二重の扉が設えられた出入口で、出入口の真正面が賞品が並んでいて店員さんがモノを販売するスペースです。硝子越しに視える左右の“壁”に沿うように、2人が向き合って掛けるような型で3組程度のテーブルや椅子が配されています。そして真中に大き目な四角いテーブルが据えられ、椅子が8脚程度据えられています。「満席でも持ち帰りの商品を求める人が動くことも出来る」程度になっている感じです。“壁”側のテーブルの脇にコートや上着を掛けるモノが据えられています。

こういう「硝子張り」な感じを視ると、「春季、夏季、秋季限定?」のように思えなくもないのですが、雪や氷の冬季にも普通に営業をしています。

近くの木々の葉が多めになって来ている中、この「硝子張り」な感じの小さなドームが覗くと、何となく「近未来?」のような感じがします。

「ロシアや外国の地図に描かれたサハリン・クリル 17世紀-19世紀」と題された展示(2017.05.01)

サハリン州郷土博物館には、なかなかに見応えが在る貴重な収蔵品の展示も多いのですが、「身近に地域の歴史を紹介する場」というような役目も担っている場所です。

↓日本からの訪問者がここを訪れると「思わず足を停めて視てみる」場合が多そうな掲示物が見受けられます。
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↑上の方に「昔の日本人」という感じの画が入っています。左から、千島・樺太の探検をしたという最上徳内(1754-1836)、「樺太は島」である事に関して、現地で海峡の存在確かめるという探検を行ったことで知られる間宮林蔵(1780-1844)、蝦夷地探検ということで樺太や千島にも足を延ばし、“北海道”の命名の発案者としても知られる松浦武四郎(1818-1888)です。

「17世紀-19世紀」というのは、「ロシアの目線」ではサハリン近海の様子が紹介されるようになったり、詳しい現地調査の情報がもたらされたり、色々と資源の利用が図られ、交易も発生したり、定住を目指す動きが発生した時代に相当します。「身近に地域の歴史を紹介する場」であるサハリン州郷土博物館では、そういう「ロシア関係の動き」も掲示物で紹介されていますが、「近隣の日本の人達の足跡」にも確り言及して頂いているという辺りに好感を抱きました。

ロシアでは「サハリンが島であることを実地検分で明らかにした」というのは、「ネヴェリスコイ提督の一隊がサハリンで活動をした成果」に数えられています。1853年から1854年頃のことです。が、その他方でネヴェリスコイより以前に日本の間宮林蔵の事績―1809年―も在ったことを紹介しています。

↓更にもう一つ、こういう掲示物も眼に留めました。
外国の地図に描かれたサハリン・クリルほか (2).jpg
↑これは19世紀半ば辺りの「日露交渉史」に言及したものです。

掲示物の下側の左端に「船を建造?」という画が在ります。これは<ヘダ号>です。

1853年から1854年の“黒船”と言えば、アメリカのペリー提督が率いる艦隊が来航し、当時の江戸幕府との間で条約締結に至ったという経過が有名です。が、実は同じような時期にロシアのプチャーチン提督の率いる艦隊も来航し、条約を締結した経過が在ります。

プチャーチン提督は、1853年に来航した後、一旦は沿海地方に引揚げていますが、1854年に条約締結の交渉を纏めるべく、再度日本へ来航します。この時は艦隊ではなく、沿海地方に回航されて来た<ディアナ号>の単艦で日本へ向かいました。これは、クリミア戦争で英国との戦いという展開になっていたことから、極東での英国艦隊との衝突が発生し得るという情勢判断の下、必要最低限な単艦での移動を意図したと伝えられているようです。

<ディアナ号>は函館や大阪を経て、幕府側から指定された伊豆の下田に至り、川路聖謨、筒井政憲ら幕府側の代表との協議を始めました。その協議開始から程無く「安政東海地震」と伝えられる地震や津波が発生してしまいました。<ディアナ号>は乗員の中に死傷者が発生し、船も大きな被害を受けましたが、それでも津波で流されて困っていた地元住民達を可能な範囲で救助し、船医が真摯に看病して送り届けるということもしたといいます。

プチャーチン提督は<ディアナ号>の修理を幕府側に求め、戸田村の港で修理を実施することとなりました。しかし、戸田へ回航しようとした際、風浪が俄かに強くなって破損個所に浸水した<ディアナ号>は航行困難に陥ってしまいます。「そういうことなら」と地元の船での曳航を試みましたが、今度は船が沈んでしまいました。乗員は地元の人達が救出して無事だったとのことです。

結局、帰国の際の船が無いという事情から、幕府は船を建造することを認め、<ディアナ号>から持ち出すことが出来た書類の中に在った他の船の設計図を参考に、ロシア側関係者の指導の下で日本の船大工達が船を建造しました。建造地に因んで<ヘダ号>と命名されました。

こうして、災害後の混乱を乗り越え、1855年に年が改まって交渉が再開されて「日露和親条約」が締結に至ったのでした。

こういうような「日露交渉史」の興味深い挿話が、「身近に地域の歴史を紹介する場」であるサハリン州郷土博物館で普通に紹介されているのです。

稚内市サハリン事務所の近隣に消防署や美術館が在るのですが、時々視掛けるのは「何人かの大人に引率された児童の一団が、列になって中に入って行く」という様子です。時々、こういう“見学”が行われているようです。サハリン州郷土博物館でも時々この種の“見学”が行われているでしょうから、上述の「樺太探検」や「日露交渉史」についても、子ども達に紹介されている場合が在るのだと思われます。

学術研究や、そういう色彩を帯びた文章で“参考文献”として挙げるには相応しくはないかもしれませんが、上述の「樺太探検」や「日露交渉史」に関することは、小説等で読んであらましを知ることも出来ます。例えば吉村昭の『間宮林蔵』や、『落日の宴 勘定奉行川路聖謨』は、各々に間宮林蔵による樺太探検とその後の本人の人生、日露交渉史の曙というような場面で活躍した川路聖謨や、対峙したプチャーチン提督や<ヘダ号>の顛末が活写され、少し夢中になってしまいます。何れも、近くの書店や日本国内では盛んな書籍の通信販売等で入手が容易でしょうし、吉村昭の作品は置いて在る図書館も多いと思われます。

こういう話題は、少しずつ話しが拡がってしまいますが、サハリン州郷土博物館は「身近に地域の歴史を紹介する場」ということで、サハリンの皆さんにとって興味深いと思われるようなことを紹介していますが、それは同時に「日本からの訪問者」にとっても興味深い内容となり得るのではないでしょうか。

切られた状態で売られているパン(2017.06.18)

ユジノサハリンスクで、日本国内の津々浦々に在るような、所謂“コンビニ”という感じの店は視掛けません。が、“コンビニ”と呼ぶのにやや抵抗感が在るようなスーパーで、24時間営業と看板を出している場所が幾分在り、更に「8時から23時」というような営業時間の店は比較的よく視掛ける感じです。

「8時から23時」というような営業時間のスーパーですが、“コンビニ”と呼ぶには抵抗が在るような少し規模が大きな店ではあります。が、「毎日、朝早めから夜遅めに営業」なので「“コンビニ”に近い感覚」で利用している感です。

↓「日曜日休業」という店も色々と在る中、「“コンビニ”に近い感覚」で利用しているスーパーで、日曜日の“朝食”を見付けて来ました。
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↑パンが、程よく切られた状態で袋に入って売られていました。

スーパーのパンを売っている棚には、実に色々な種類のパンが在って、「どれを買おうか?」と思って視ていると、目移りしてしまってなかなか求めるモノを決められないことも在ります。

そういう中で、「あれ?袋を開けたら、直ぐに“いただきます!”じゃないか?」とこの切られた状態のモノを目に留めました。

筆者の個人的な好みで「黒パン系?」なモノを選びましたが、似たような「切られた状態のパン」も幾つも種類が在りました。結局、この「切られた状態のパン」が“売れ筋”であるのでしょう。

ユジノサハリンスクではスーパーのチェーンが幾分見受けられますが、それらは2000年代に入るような頃から起こって、サハリンの経済成長の中で売り上げを伸ばして店舗網を拡げて来たという感じです。彼らは「店の草創期からコンピュータで売り上げ情報を収集管理している」ということになります。「○○はよく売れている」という情報が直ぐにドンドン蓄積され、店頭に並べる商品にそういう情報が素早く反映されているのでしょう。

この「最近の売れ筋?」というように見受けられた「切られた状態のパン」は、持ち帰って本当に「袋を開けたら、直ぐに“いただきます!”」で美味しく頂きました。序でに、時々楽しむ「飲むヨーグルト」の麦芽入りも求めて頂いたのでした。

<Семерочка>(セミョーラチカ)??(2017.06.24)

最近のユジノサハリンスクでは、何となく「リラ冷え」という言葉が在ったことを不意に思い出してしまいます。

「リラ冷え」というのは、札幌でライラック(=フランス語風に言うと“リラ”)の花が鮮やかな5月末から6月前半に、冷たい高気圧の干渉で、20℃前後になっていた最高気温が不意に10℃近くに落ちてしまう現象を指しているそうです。表現としては1960年の俳句に登場したのが最初であるらしく、1971年に作家の渡辺淳一が『リラ冷えの街』という本を上梓して言葉が広まったようです。各地では「花冷え」という言い方をするそうです。

ユジノサハリンスクは6月後半にライラックが美しく街を彩っていますが、他方で「変に寒い」感じが目立っています。「10℃に届くか届かないか?一寸だけ強めな風も冷たい…」という状態なのです。そういう中、「リラ冷え」という言葉が在ったことを不意に思い出していました。が、サハリンではライラックを「シリェーニ」と呼んでいるので、「シリェーニ冷え」とでもすると好いのでしょうか?

勝手に発案した「シリェーニ冷え」でも「リラ冷え」でも構わないのですが、肌寒く、天候も冴えない中でそういう状態に些かの不満を覚えながらも、土曜日の街を歩いていました。

↓こういう建物を視掛け、思わず足を停めました。
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↑何となく「本州方面の街を訪ねて視掛けたような?」と思いました。マンションやアパートが集まっているような辺りの一画に「1階がコンビニで2階がカフェ」という建物の感じは、地下鉄や私鉄電車でターミナル駅から何駅か行った辺りの街並みに馴染みそうな気がしました。

それにしても1階の店は「何処かで見覚えが在るような…」という感じがする看板が掲げられています。

↓少し角度を変えて建物を視てみました。
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↑看板には<Семерочка>(セミョーラチカ)と在ります。

看板は「7」という数字です。<Семерочка>(セミョーラチカ)は「7」のことです。

「7」に関しては、通常は「семь」(セミ)と言いますが、どういう訳か「形が変わった言い方」が在ります。

「семь」(セミ)に対して「семерка」(セミョールカ)とか「семерочка」(セミョーラチカ)が在ります。

「семерка」(セミョールカ)に関しては、例えば「数字の“7”が3つ」というようなことを伝えようとして「три "семерки"」(トリ セミョールキ)という言い方をされる方には存外多く出くわします。こういうように言われて、間違いを避けたい場合には「セミ セミ セミ?」(7 7 7 ですね?)と尋ねて確かめてみるようなことを筆者はしてしまいます。

「семерочка」(セミョーラチカ)については、偶々視掛けた店の看板のような、何かの固有名に使用している例が多いような気がします。

この「семь」(セミ)、「семерка」(セミョールカ)、「семерочка」(セミョーラチカ)というような形の変化は、人名(ファーストネーム)で見受けられるパターンのような気がします。

ポピュラーな女性の名前で「Елена」(エレーナ)というのが在ります。これには「Лена」(レーナ)と「Леночка」(レーナチカ)という形が在ります。

「Елена」(エレーナ)は「エレーナさん」と丁寧な感じで、「Лена」(レーナ)は「レーナ」とフラットな感じで、「Леночка」(レーナチカ)は「レーナちゃん」と「幼少の頃からの馴染み」とか「家族や親戚」という具合の、かなり緊密な感じになる訳です。

「семерочка」(セミョーラチカ)は「“7”ちゃん」とでもいうことなのか、とりあえず中の様子を伺ってみました。何処と無く「コンビニ風」な設えですが、「比較的小さ目な、限られたスペースに色々なモノを置こうとしているスーパー」という感じでした。パンや缶詰も在れば、ペットフードも在り、乳製品が在れば酒も在り、菓子類やアイスクリームも、トイレットペーパーや石鹸類等も、とりあえず「随分色々」と在って、辺りの集合住宅に住む人達や近隣の事業所に出入する人達の「日用の様々なモノ」の需要に応えている様子でした。

因みに、ここの店では「冷蔵庫に収まったビール」の品揃えが豊富で、「ノンアルコールのビール」も在りました。

「7」という数字が入った「何処かで見覚えが在るような…」という感じがする看板が掲げられてはいますが、特段に何かのチェーン店ということでもない様子です。

<БАЛТИКА 0>(バルティカ ノリ)=ノンアルコールの<バルティカ>ビール(2017.06.24)

稚内へ約1週間戻っていた時でした。

酒類を殆ど嗜まないという同僚が「有名なロシアのビール?稚内の<ペチカ>(※ロシア料理店)にも在る…<バルティカ>でしたか?あれに“ノンアルコール”なんて在るんでしょうか?」というような話しをしていました。

ユジノサハリンスクで視られるテレビのコマーシャルで、「ノンアルコールのビール」を取上げたモノは視たことが在ります。しかし、敢えて探した経過は在りませんでした。

ビールが色々と売られている場所に出くわし、不意にこの「ノンアルコールのビール」を思い出しました。

↓色々な種類のビールが売られている場所の中に、この「ノンアルコールのビール」が在りました。
Балтика 0.jpg
↑真中の“0”という大きな数字の下に「БЕЗАЛКОГОЛЬНОЕ」(ビェズアルコゴーリナヤ)=ノンアルコールと確り書いてあります。

この飲物は「ノンアルコール」と確り書いてあるのですが、“酒類コーナー”に他のビールと一緒に並んでいました。

もう5年程も以前ですが、サハリンの皆さんを招いた際、食事に行って「飲物は?」ということになると「ノンアルコールビールなんか在りませんかね?」と毎回希望する方が在って、食事に入った店で尋ねると何時も無いので、その方がジュースを飲んでいたということが在ったことを思い出しました。ひょっとすると、サハリンでは稚内である程度普及する以前から、ノンアルコールビールがポピュラーであったのかもしれません。

このノンアルコールのビールを飲んでみました。「甘味料の甘さ」とは異なる、「麦芽の仄かな甘み」が微かに感じられるようなサッパリした冷たい飲料です。ユジノサハリンスクの店では、各種飲料は寧ろ冷蔵庫ではない、お店の普通の棚に並んで売られている場合が多いのですが、ビールに関しては冷蔵庫に入っている場合が若干多いような気がします。そういう意味で、「冷蔵庫に入って売られている確率がやや高い?」ような、ノンアルコールのビールは、これからのやや暑い時季には好いかもしれません。

ところで<БАЛТИКА>(バルティカ)はサンクトペテルブルグのビール会社で、1990年代を通じて生産と売り上げをドンドン伸ばした経過が在る会社のようです。大きなビール会社で、誰でも知っている感じですが、ユジノサハリンスク等では「ビールと言えば…」という程度の高い人気のようにも見受けられない感じがします。

それでも<БАЛТИКА>(バルティカ)は実に様々な種類のビールを送り出しています。

>>バルティカ社のウェブサイト―製品紹介(ロシア語)

「ノンアルコールのビール」は、アルコールが入っていないのに、“酒類コーナー”に或る場合が殆どです。その“酒類コーナー”に在るということは、「酒類販売規制」が掛かる場合に販売出来ない訳です。少し不思議な気がします。