「プーチンの選挙」?(2018.02.14)

昨年末―速いもので、もう年が明けてから「丸2ヶ月」です。―のことでしたが、「2018年3月18日 ロシア連邦大統領選挙」という広報看板を視掛けました。

↓看板を視掛けた経過を御紹介しました。
>> <2018МАРТА>という看板(2017.12.26)

こんな看板を目に留めるようになった少し後、友人が「少し可笑しかったこと」と紹介してくれた話しが在ります。

友人の同僚が「一寸、教えて…」と尋ねて来ました。

「どうしたの?」と話しを聴くと、同僚は「プーチンの選挙は何時?」と尋ねます。

友人は「確か3月で…」と思い出し、近くに在ったモノの中に「3月18日」と書いて在ったので、それを教えてあげました。

やがて別な同僚が現れて尋ねました。別な同僚は「プーチンの選挙は何時?」と尋ねます。

友人は「さっきも言っていた人が居た。3月18日!」と即答しました。

そういう些細な出来事でしたが、少し経って友人は酷く気になりました。「“プーチンの選挙”というのは何だろう?」とです。

友人の同僚達が“プーチンの選挙”と口々に言及していたのは「大統領選挙」に他なりません。

↓実はそのプーチン大統領の写真が大きく載った看板をユジノサハリンスク市内で視掛けました。
「プーチンの選挙」.jpg
↑こういう街角の大きな看板は、サハリンでは「有力な広告媒体」と考えられているようで、色々なことで利用されているようです。

このプーチン大統領の写真が大きく載った看板ですが、所属政党の<統一ロシア>で用意したのか、支援者や支持者が用意したのか、“出自”がよく判りません。また、左側に「2018年3月18日」で、右側に「強き大統領。強きロシア」という文字が在るばかりで、「大統領選挙に立候補しているプーチン氏の宣伝」なのか否かが些か不明確な感じもしないでもありません。

上述の、選挙管理委員会が掲出する投票日を報せる看板以外で、大統領選挙関係と見受けられる広報関係のモノは、他にも色々と在るのかもしれませんが、この看板を視掛けただけです。更に、日本の選挙では“選挙カー”が街中を走り回りますが、その種のモノは今般の大統領選挙ばかりではなく、秋のサハリン州議会議員選挙でも視掛けませんでした。政党や候補者の関係と見受けられる、街頭の看板は色々と在りましたが。

「大統領選挙」を口々に“プーチンの選挙”と言う人が存外に居ることに気付いたということを話題にした友人は言葉を継ぎました。

友人は30代で、“プーチンの選挙”と言っていた同僚達も近い世代です。そういうような世代の人達にとって、「概ね人生の半分か、それ以上」が「プーチン政権の時代」です。更に30代の人であれば、日本の中学生や高校生に相当する年代、国政の仕組み等を学んで知るような年代以降、ずうっと「指導者」は基本的に変わっていない訳です。

こういうことなので“プーチン”という「大統領の個人名」が、半ば「大統領」という「一般名詞」と混同されてしまっているのかもしれないということなのです。

この選挙に関して、選挙管理委員会による「投票の呼び掛け」もなかなかに盛んです。

筆者は、夜の限られた時間に住まいのテレビを点けて視るのですが、その限られた時間の中だけでも「投票の呼び掛け」を趣旨とするコマーシャルが存外に多く流れます。

その「投票の呼び掛け」を趣旨とするコマーシャルの中、少し驚いた内容が在りました。

「3月18日の選挙で投票して下さい」と言われても、例えば「その3月18日の前後1週間は出張中で地元を離れている」というような事例は多く在ると思われます。

コマーシャルの中で、「投票日に他地域へ出ている方は、事前に選挙管理委員会に申し出て手続をして頂くと、出先で投票が出来ます。是非、予定が決まったら直ぐにその手続を!」と呼び掛けているのです。

例えば、ユジノサハリンスクに住んでいる方が、何かの都合でウラジオストクやモスクワ等に出る場面は幾らでも在ります。過日も、用事の在る方達と電話連絡を取ってみれば「ウラジオストクへ行くので空港に着いたところである」と応えた人や、「今はサンクトペテルブルグで、時差の関係で深夜だから寝ていた」と応えた人が在った―そういう時は戻る予定等を極々手短にお尋ねして「妙な時間にすみません。おやすみなさい…」ということになります。―ことを思い出します。こういうような、ウラジオストクやサンクトペテルブルグへ出掛けるという人は、事前手続きをして、本来のユジノサハリンスクの指定場所ではなく、ウラジオストクやサンクトペテルブルグの指定場所で投票が行えるというのです。

日本の選挙で行われる<期日前投票>は、嘗ては<不在者投票>と呼ばれていて、投票日当日の不在を理由に、投票日の前の定められた期間に指定場所で投票を行うことが出来る仕組みです。こういうのに対して、ロシアの盛んに宣伝されている仕組みは<滞在地投票>とでも呼ぶべき仕組みです。

こういう<滞在地投票>というルールが形成されたのは、「飽くまでも“投票日”に有権者が示す意志」を尊重するということなのかもしれません。

或いは、“プーチンの選挙”と「大統領選挙」の日付を友人に尋ねた人達は、2月頃や3月頃の色々な予定を思い浮かべていて、「場合によって<滞在地投票>というようなことも?」と想いを巡らせていたのかもしれません。

この<滞在地投票>というようなルールは、「ロシア全土の有権者」が投票を行うことが出来る、「大統領選挙」だけのルールなのだと見受けられます。地方レベルで、何人かの候補者の中から意中の候補に投票するようなことになっている選挙であれば、「滞在中の他地域で投票」というようなことをやり出すと、酷く混乱してしまいそうです。

こういう「社会の仕組み」に関することは、色々と興味深いものです。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 07:00Comment(0)話題

百貨店<サハリン>:夜の輝き=写真展『65RUS - 彩光のサハリン』(2018.02.15~03.15) 展示写真より

百貨店<サハリン>:夜の輝き.jpg
日が落ちてしまうと、老舗百貨店の典雅な建物がライトアップされる。
紅く輝く<Сахалин>(サハリン)のロゴの下辺り、緑の部分は時々色が変わる。
暗くなっても車輛の通行量は多く、何時も「何やら忙しそう…」な雰囲気が漂っている。
(2017.12.28 撮影)


☆ 2018年2月15日から3月15日の期間、<稚内副港市場>で開催されている写真展『65RUS - 彩光のサハリン』の展示写真を御紹介しています。

★ 今回御紹介した画は、写真展で展示予定の写真一覧から、稚内市サハリン事務所の現地スタッフに選んで頂いた「お気に入り」の一つです。

鳩:ドリンスク(2018.02.10)

↓幼稚園児や保護者達が、「スノーホッケー」というようなゲームの大会で盛り上がっていた、ドリンスクの広場の傍です。
鳩:ドリンスク.jpg
↑サハリンで時々視掛ける「桜色?」な塗装を施した建物が在って、その前の街路樹に非常に多数の鳩が集まっていました。

集まった鳩達は、特段に鳴き声を上げるでもなく、殆ど動かずに群れて木の上で翼を休めていました。

ドリンスクに限らず、厳冬期にもこうした鳩を視掛けます。何時も「何を食べているのか?」と、少々不思議です。

そういう感じ方とは別に、元気に動き回っている幼稚園児や保護者達の直ぐ傍で、そんな様子を眺めるような、眺めてるでもないというような具合で鳩達が集まっている様が少し可笑しく、写真に収めました。

「誰?」 「ネヴェリスコイ提督です…」=写真展『65RUS - 彩光のサハリン』(2018.02.15~03.15) 展示写真より

「ネヴェリスコイ提督です…」.jpg
コムニスチ―チェスキー通とミール通の交差する辺りに、1853年に一隊を率いてサハリンで活動し、サハリンの色々な知識をロシアにもたらしたことで知られるネヴェリスコイ提督の像が在る。
この像は、冬季には吹き付ける雪を被ってしまうことが多い。
(2018.01.09 撮影)


☆ 2018年2月15日から3月15日の期間、<稚内副港市場>で開催されている写真展『65RUS - 彩光のサハリン』の展示写真を御紹介しています。

★ 今回御紹介した画は、写真展で展示予定の写真一覧から、稚内市サハリン事務所の現地スタッフに選んで頂いた「お気に入り」の一つです。

Колбаски(カルバスキ)=Small Sausage(スモールソーセージ)?? (2018.02.02)

「今日は…一寸、スパゲッティでも…」と思い付き、夕食の時間帯にレストランへ立寄りました。

スパゲッティ一皿を頂くだけというのも寂しいので、併せて適当な一寸した肴を頼んで、1杯だけビールでも頂いてみることにしました。

メニューを視れば、「Колбаски(カルバスキ)」という文字が眼に留まりました。レストランが入居するビルの上階には、外国系の企業のオフィスが在るようで、色々な国からの人達がレストランに出入りしている様子も見受けられます。そんな事情の故か、メニューには英語の添え書きが施されています。

「Колбаски(カルバスキ)」という文字の脇には「Small Sausage(スモールソーセージ)」という英語が添え書きされていました。

「Small Sausage(スモールソーセージ)」という文字を視て思い出したのは、ドイツで“ニュルンベルガ―・ヴルスト”と呼んでいる種類です。以前に「“小指”のような大きさの、一口で二口で食べられるようなソーセージが“ニュルンベルガ―”と呼ばれている」とどなたかに教えて頂いた記憶が在る代物です。色々な場所で視掛けると、頂いてみることが在ります。因みに、ユジノサハリンスクでも、この時にスパゲッティを頂こうと入った店の近くに在る別な店で“ニュルンベルガ―・ヴルスト”をロシア語訳した「ニュルンベルグスキエ・カルバスキ」という呼び名のモノを出しています。

そういう訳で、「ビールの肴に好適!!」と筆者が思っている“ニュルンベルガ―・ヴルスト”風な、正しく「Small Sausage(スモールソーセージ)」というモノを期待していました。

↓「待つこと暫し」で、店員さんがテーブルに持って来たのはこういうモノでした。
колбаски.jpg
↑「美味しそうだ!」と思わず眺めたということ在ったのですが、それ以上に「これが“Small”(スモール)なのか?!」と多少驚いたので見入ってしまったのでした。

実は「Колбаски(カルバスキ)」は、“ソーセージ”を意味する「Колбаса(カルバサー)」の、文法用語で“指小形”と呼ばれる表現で、英訳するとすれば「Small Sausage(スモールソーセージ)」となる訳です。

画のソーセージは「Small(スモール)=小」というより「普通な大きさ」という感じです。寧ろ「多少ヴォリュームが在る」とさえ思えます。

「Колбаски(カルバスキ)」ではなく「Колбаса(カルバサー)」と呼ばれるのは、例えば「ボローニャ・ソーセージ」というように、寧ろ「塊のハムの、やや細長い形状のモノ?」というような按配の、「家庭で何回かに分けて、輪切りにして調理して頂く」というイメージのモノであるそうです。

こうした「Колбаски(カルバスキ)」と“指小形”で呼び習わされている「普通な大きさ」という感じのソーセージは、スーパーの総菜コーナーでも色々な種類を視掛けます。

この時は、勝手にイメージした「Small(スモール)=小」の範囲を超えると思いながらも、フォークとナイフで切り分けて、ソーセージを美味しく頂きながらビールを飲みました。

コムニスチ―チェスキー通の歩道:大雪の日に…=写真展『65RUS - 彩光のサハリン』(2018.02.15~03.15) 展示写真より

コムニスチ―チェスキー通の歩道:大雪の日に….jpg
夜通し降り続いた雪は早朝に些か弱まっていた。そういう間隙に、除雪車輛が精力的に動いている様子が見受けられる。
「作業が追い付いていない」箇所も見受けられるものの、主要な通では歩道にも除雪が入り、市内の路線バスも動いていた。ユジノサハリンスクは意外に雪に強いかもしれない。
(2017.12.13 撮影)


☆ 2018年2月15日から3月15日の期間、<稚内副港市場>で開催されている写真展『65RUS - 彩光のサハリン』の展示写真を御紹介しています。

★ 今回御紹介した画は、写真展で展示予定の写真一覧から、稚内市サハリン事務所の現地スタッフに選んで頂いた「お気に入り」の一つです。

ロシア製の手袋(2018.02.20)

手近で使い続けているモノに関して、長く使っていれば「何時、何処で求めたのか?」が判らない程になってしまう場合が在ります。そういうモノには妙な愛着も湧く他方、使い続け過ぎて傷んでしまい、「流石に使い悪い…」ということになってしまう場合も在ります。

筆者にとって、手袋がそういうような代物でした。「何時、何処で求めたのか?」が判らない程になってしまっていた、シンプルな軍手のようなニットの手袋を上着のポケットに殆ど常時入れて在って、随時使用し続けていました。稚内に居ようが、ユジノサハリンスクに居ようが、その状態は変わりませんでした。ところが、手袋の指先が何となく傷み始め、何時の間にか「指先が出てしまう」という、「スマートフォンの画面に触って操作し易い」という“アイディア商品”か何かのような具合になってしまいました。使い続け過ぎて傷んでしまい、「流石に使い悪い…」ということになってしまった訳です。

↓そこで近所の店に立寄り、300ルーブルで求めたのがこういう手袋です。
ロシア製の手袋.jpg
↑「流行」のようなモノとは全く無縁な、実にシンプルな手袋です。ロシア製だということです。本当に厳しい作業等の際に着用するような種類でもなく、寒い日にその辺に出るような場面で使うようなモノと見受けられます。

実は店で、視掛けの違いが全く判らないような、この300ルーブルの手袋と、200ルーブルの手袋とが並んでいました。

「何が違うのでしょう?」と店員さんに尋ねると、「温かさ」ということでした。300ルーブルの方は、画に視える外観の下に薄い手袋が縫い込まれていて、“二重構造”になっているというのです。

この“二重構造”ですが、確かに「一味違う」ような温かさです。着用してみると、外見の手袋の中に「もう一枚」が判ります。この手袋は、ゴワゴワしているように見えて、存外に手に巧く貼り付く感じで、手袋着用のままでポケットから財布を取り出して一寸買物も出来ますし、上着の懐に手を入れてシャツの胸ポケットに入れたモノを出し入れするようなことも出来ますし、ボールペンを手にして字を書くことも出来ます。

非常に気に入ったのですが、一つ「細かい気になること」も在ります。何か「小指の部分」が「少々長い?」のです。

この手袋は、比較的廉価な普及版の男性用の手袋ということになるようで、「平均的なロシア人男性が広く使う」ことが想定されているようです。実は、サハリンで男性の友人や知人と会って話すような場面で時々思うのですが、何となく「手が大きな方」が多いような気がします。掌も広く、指が長い感じです。そういう手であれば、この手袋はもっとしっくりと使い易いことでしょう。

筆者は、どちらかと言えば大柄な部類で、身に着けるモノに関しては「一寸、小さ目?」と思う場合が多々在ります。この手袋のように「微妙に大きい?」は、個人的に少しだけ珍しいことです。

「寒いロシア」での「普通な普及版の防寒具」というモノは、さり気ない工夫が施されていて、「寒さに負けずに」という暮らしに合っているのかもしれません。

サハリンでは、この手袋が活躍するような低温がもう少し続きそうな気配です。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 08:00Comment(0)モノ

ファストフード店の飲料用カップから…(2018.02.15)

最近のユジノサハリンスクでは「雪が交じれば氷点下10℃を多少下回る程度。晴れれば氷点下20℃程度」というのが、未だ暗い朝の時間帯の感じだと思います。

2月15日の朝、戸外の様子を住まいの窓から伺って「晴れている…」と判り、気象情報をインターネットで確かめれば「氷点下23℃」で、実際に戸外に出てみれば「なるほど…氷点下20℃台…」という感じでした。身体を動かして歩いた時、「氷点下20℃台」の場合は、戸外用の上着が体の動きで擦れる場合に出る音が「氷点下10℃台」の時と多少違う気がします。その他、戸外で直ぐに手袋を着用しなければ、「急激に指が冷える」という感じになります。そして、「氷点下10℃台」と「氷点下20℃台」とでは、名状し悪い“空気感”の違いも否めません。

その氷点下23℃な中、以前にこのブログでも取り上げた、24時間営業のファストフード店へ向かいました。朝食にヴォリュームの在るサンドイッチを愉しみたかったのです。

↓これが以前にその店を取上げた記事です。
>>「所変われば…」:「世界一のファストフードチェーン」の店はユジノサハリンスクにも…(2017.10.03)

サンドイッチを店員さんに用意して頂き、飲物も頼んで会計を済ませ、ゆったりと朝食を愉しむというような時間は、存外に心地が好いもので、最近はかなり高い頻度でこのファストフード店に立寄ります。先日は顔馴染みな店員さんに「そう言えば…昨日は見えませんでしたね?」と声を掛けられました。

↓サンドイッチを平らげてしまって、飲物を頂きながら一息入れている時、何気なくカップを視て面白いと思い、写真に収めました。
ファストフード店の飲料用カップから.jpg
↑日本も含めた様々な国々で広く知られている、非常に御馴染なロゴマークが入った赤いカップが使われています。

余りにも有名な<コカ・コーラ>の流麗な書体のアルファベットで構成されるロゴの脇、右側に小さな文字が並んでいます。これに眼を留めました。

文字はロシア語で、「ЗАРЕГИСТРИРОВАННЫЙ ТОВАРНЫЙ ЗНАК」(ザレギストリーラヴァンヌィー タヴァールヌィー ズナーク)と在ります。これは直訳すれば「登録済みの商品の記号」とでもいうような感ですが、<登録商標>という意味に他なりません。なるほど、余りにも有名な<コカ・コーラ>のロゴは<登録商標>です。

こういうことがロシア語で記されているということは、このカップがロシア国内で製造されているか、他所で製造されているにしても「ロシア並びにロシア語圏の国々に向けて出荷」ということになります。こうした容器に関しては、見慣れない文字が在って「何処で製造??」というモノも見受けられるのですが、このファストフード店のカップのように「正しくロシア向け」というモノも視掛ける機会が多いと思います。

更に、左側の上に相当する辺りに「0,8л」という文字が在って、下線が付されています。これは「下線の辺りまで飲料を注ぐと0.8リットル」ということです。

この「下線の辺りまで飲料を注ぐとXリットル」という「数字と線」が画のようなカップやグラス類に付されている例は、随分古い話しなのですが、筆者はドイツで視掛けて「こんなことをやっているのか?!」と少し驚いた記憶が在ります。ロシアでもこの種の、「欧州諸国の流儀」が意外に広く入っていることに気付かされます。このファストフード店のカップの事例の他、「下線の辺りまで飲料を注ぐとXリットル」という「数字と線」を他所の店のビアグラスで視掛けたことも在ります。

日本国内で「ファストフード店のカップに入った清涼飲料」というと、「カップに氷を入れてから、機械で飲料が注がれ、蓋をしてストローが添えられる」というイメージが在ると思います。随分以前に何かで読んだのですが、有名なチェーンの或る店では、朝や昼の混み合う時間帯に素早く、何秒かでも早く飲物を提供することを目指し、「冷たい飲物用のカップに専ら氷を入れる要員」をカウンターに配置することさえしているといいます。ユジノサハリンスクの店で冷たい飲物を頼む際に、こういう日本の例が頭を過らない訳でもないのですが、ユジノサハリンスクでは「氷は入らない」のが普通です。

画の「下線の辺りまで飲料を注ぐと0.8リットル」と示されているカップには、氷は入らず、店員さんが機械で飲料をカップに注ぎ入れるだけです。ですからこの画のカップには「確り0.8リットル」の飲料が入っています。サンドイッチを頂きながら飲んでも余り、食後に一息入れながらという状態で飲んでも「ほんの一口残る?」という場合も在ります。なかなかの量で妙に飲み応えが在ります。

「下線の辺りまで飲料を注ぐとXリットル」という「数字と線」がカップやグラスに在るのは、何か「欧州諸国の流儀」のようだとしましたが、日本国内でも思い当たる事例は在ります。

鹿児島等では「焼酎のお湯割りグラス」というものがポピュラーなようです。例えば稚内市の友好都市である枕崎市で製造されている<さつま白波>というようなロゴマークが小さなグラスの正面に在って、裏側に「5:5」とか「4:6」と短く“線”が引かれているのです。これは「“線”まで湯を注ぎ、その後に焼酎を注げば、5:5や4:6の美味いお湯割りが簡単に出来る」という仕掛けなのです。これはなかなかに便利です。グラスは販売にも供されていて、日本国内で入手可能です。

序でに申し上げると、例示した<さつま白波>に類するような「本格焼酎」はユジノサハリンスクでは視掛けません。酒類について、ロシアでは輸入の規制が厳しく、入っているモノに関しても非常に高価で、「日本で気軽に愉しむような種類の酒が手軽に」とは行きません。

実は「日本の土産」と称して、自身で一寸頂こうと持ち込んだ<さつま白波>をユジノサハリンスク市内で友人に振る舞ったことが在りました。友人によると「昔、凍ってしまって“多少の糖分”が加わったらしいジャガイモで、自家醸造のウォッカのような酒を造ったという人が在って、それを飲んだことが在る。日本の“ショウチュウ”と言うのか?これは?これはその、昔飲んだことがあるモノにやや似ている…」という感想を頂きました。その時は“五合”(900ml)のパックが、何人かで試飲して直ぐに空いてしまいました。

ファストフード店で「何となく飲料のカップが気になった」ということから話しが拡がりましたが、「身近な一寸したこと」が非常に興味深く思える場合も在るのがユジノサハリンスクでの滞在です。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 07:00Comment(0)モノ

<ヒストリーパーク ロシアの歴史>(2018.02.20)

パベーダ広場の大聖堂が在る辺りで、何やら凄い勢いで大きな建物の工事が行われていて、その建物に「新しい博物館」がオープンしたと伝えられたのが昨年11月でした。

↓こういう建物が登場しています。
ロシア史の世界 (1).jpg

以来、その「新しい博物館」を訪ねてみる機会をなかなか設けられずにいたのですが、「開館直後の賑わい」や「年末年始休暇関連の変則的な開館時間」というような、やや落ち着かない要素が気にならない時期でもあることから、一寸訪ねてみることにしました。

↓階段を上がると入口扉が在るのですが、何か非常に立派な入口です。
ロシア史の世界 (2).jpg

ここは“ヒストリーパーク”と名付けられている施設で、「公園を散策するような気軽さで、ロシアの歴史を学ぶ」という場になっています。

入館は無料です。主に冬季には活躍する外用の上着等を預かる場所も完備していて、無料で利用可能です。逆に言えば、管内の見学には存外に時間を要するので、外用の上着を安心して預けられる場所はなかなかに有難いです。

事前には然程の知識も無かったのですが、この館内を順路に従って見学すると、ロシアの起源と言われる<ルーシ>が起こったような時代から始まって、エリツィン政権やプーチン政権という「最近の時代」に至るまで、「2千年の時間を超える散策」というような感じを体験出来ます。

紹介されている内容は、言ってみれば「ロシアの“歴史の教科書”に出ているような内容の殆ど全部」というような内容です。また、日本国内では例えば『○○の歴史』というような具合で、国内の本、または外国で出たモノの翻訳で外国の特定の国や地域の通史を扱った本が在り、「ロシアの」というモノも見受けられます。その種の本で読むことが出来るような内容に関して、この“ヒストリーパーク”の展示では「殆ど全部」が観られるような感じです。

通史の中での時代区分には色々な方法が考えられます。「X世紀」、「1XY0年代」というような年代の数字で区切る、「○○朝」、「○○王国」、「○○政権」と主要な支配勢力の時期で区切る、或いは首都が置かれた場所の名を並べて区切るというように色々なやり方が在ります。が、ここでは「○○公の時代」、「皇帝○○の時代」と人物に主眼を置くような方式で時代区分が示されています。

“ヒストリーパーク”で「○○公の時代」、「皇帝○○の時代」と人物に主眼を置くような方式で時代区分が示されて、西暦の年代がその展示場所に記されるようなやり方を採っているのは、館内の通路の壁に多くのスライドが示され、多数据えられたタッチパネルで「歴史の中で伝えられる多くの人達の物語」を伝えることが、展示の方針の柱のように見受けられるからであると思われます。

“ヒストリーパーク”では、<ルーシ>が起こったような時代やキリスト教が容れられた時代、ロシアで現在使われている文字の起源というような話しから、イワン雷帝や<大動乱>、ロマノフ朝の登場と歴代皇帝の治世、そして革命や2つの世界大戦やそれ以降と「2千年の時間を一気に超える」ような空間に入り込むことになります。19世紀以降の展示に関しては、「歴史のページに姿を見せるサハリン」というような内容も出て来ます。

「新しい施設が“どういう場所”なのか?」ということで漫然と立寄った感だったのですが、タッチパネルで出て来る説明等を沢山読んだのでもなく、「一通り観る」感じで中を廻ったのでしたが、何か「凄く大きな余韻が残る」というような場所でした。

ロシアでは、モスクワやサンクトペテルブルグ等に昔の貴重な文物を所蔵していて、それらを順次展示しているような場所が在る訳ですが、この“ヒストリーパーク”にはそういう貴重な所蔵品が在るでもありません。画像・映像やテキスト情報や音声情報等を介して、「ロシアの長い歴史を追体験する気分になる」ような場所です。

ロシアに在って、「由来がよく判らない祝日?」ということになる場合も在る祝日に<国民統一の日>が在ります。“ヒストリーパーク”は、その<国民統一の日>の頃にオープンしました。

この<国民統一の日>は、<大動乱>と呼ばれた17世紀初めの混迷の状況下、ロシアを占拠したポーランド軍を国民軍の尽力で撃退したという故事に因む祝日であるとされます。(勿論、“ヒストリーパーク”でも<大動乱>という展示コーナーが在って、時代の状況等を学ぶことが出来ます。)他方、「11月の祝日」として定着していた<革命記念日>が廃されたことで、「その時季の祝日」として、革命以前の時期に祝われることが在った旧い祝日が復活したようでもあります。

そういう<国民統一の日>に登場した“ヒストリーパーク”には、「永いロシアの歴史への想い」、「ロシアの歴史の中での私達の地域たるサハリンの“位置”?」というような問題意識が滲んでいるように見受けられました。

筆者個人は、「ロシアでこんなことをやっていた時代?日本史では?」等と考えながら見学した一面も在りました。例えば「戦国の余燼」というような感も在る、かの<大坂の陣>が起こっていたような頃、ロシアでは<大動乱>が終結に向かってロマノフ朝が登場したような時代だったのです。日ロ関係の出来事では、例えばかの大黒屋光太夫が願い出て謁見したのは女帝エカテリーナ2世で、彼女の治世のことも紹介されています。そういう具合に視ると、非常に面白いという側面も在りました。

その他、1980年代や1990年代頃の情報も豊富で、「あっ!!これ!!」と強く記憶に残っているような画像や映像の紹介も在り、強い印象を受けました。

それにしても、この“ヒストリーパーク”に入ると「“教科書”の世界の中に入り込んで不思議な旅をした」というような感覚に包まれます。現時点で、展示内容はロシア語のみですが、意外に面白い場所です。

この場所は「児童生徒の学習の場」という性質も色濃いように見受けられますが、普通の大人が訪ねても面白い場所だと見受けられます。実際、一緒に訪ねた稚内市サハリン事務所のスタッフは、「面白かった。入場無料で好い。休日に友人を誘って、また行く!」としていました。

“ヒストリーパーク”の展示室内は、スライドのようなモノを投射する場合に適切な、やや落とした照明になっています。そんな中で、過ぎる程に豊富な情報が供される、「“教科書”に入り込んでしまった?」という展示の場を通り抜けて出口に至ると「“時間の旅”から“今日”に戻って来た!」と感慨のようなモノが沸き起こります。

この“ヒストリーパーク”は、例えば「サハリン滞在の中で思いがけず時間が出来た」というような場合に、開館中であれば好い立ち寄り先になるかもしれません。休館日の月曜日を除き、午前11時から午後6時の開館ということです。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 07:44Comment(0)訪ねる

展示内容の更新・追加が行われた<戦史博物館>(2018.02.20)

パベーダ広場の大聖堂の横に建つ宮殿のような建物は、正式名を<展示・記念複合施設 “勝利”>とする博物館です。

戦史博物館 (1).jpg

↓長く「展示準備中・内装工事中」という具合で観られなかった状況から、「各指定時刻のガイドツアーのみ」という体制ながら観られるようになったと訪ねてみた経過が在りました。
>> <展示・記念複合施設 “勝利”>(戦史博物館)(2017.09.19)

「観られるようになった」と訪ねた際には、1945年のサハリンでの戦闘に関連する事項の展示、史料学習コーナーのようなモノ、占守島の戦いに関する等身大の人形や本物と見受けられる車輛も使ったディオラマが在りました。他方、施設は「戦史」に関して広く紹介することを目的としており、第2次大戦の他、日露戦争のような戦争や、アフガニスタンやチェチェンのような近年のものまで、19世紀後半から20世紀のロシアが関わりを持った戦争、或いはサハリン州の区域での出来事を丁寧に工夫しながら紹介することを目指しているとも聞きました。

この程、「新しい展示の追加」が行われ、従前の1945年のサハリンでの戦闘に関連する事項の展示も大幅に更新され、随分と様子が変わりました。

従前は「各指定時刻のガイドツアーのみ」という体制でしたが、現在は「随意に見学」ということも出来るようになっています。占守島の戦いに関するジオラマは「ガイドツアー」のみで、それを含む見学は入場料が300ルーブルですが、それを除く各展示を随意に見学する場合の入場料は100ルーブルです。

「新しい展示の追加」と聞いたので、最初にその新しいモノを目指しました。

<日露戦争>に関連する展示が設けられていました。展示はやや小規模な感じではあったものの、なかなかに興味深い内容でした。

ビデオや当時の画で日露戦争のあらましが紹介されていましたが、その他に「1905年に上陸した日本軍の侵入経路と、ロシア軍との交戦経過」の概略、巡洋艦<ノヴィク>のサハリン入りというようなことが紹介されていました。

日露戦争の末期にサハリンの占領を目指した日本軍は、現在では「コルサコフ郊外のプリゴロドノエのLNG工場が視える辺り」ということになる女麗(めれい)に上陸し、現在のユジノサハリンスク市の一部に相当するウラジミロフカへ北上し、やや西のダリネェーでロシア軍と交戦に及んでいます。そうした経過が、モニター状なモノに地図や文字を映す型でしたが、紹介されていました。日露戦争に関しては、少し古い映画の『二百三高地』に描かれたような、大陸での大規模な激戦が知られていますが、サハリンでも地上の戦いが在ったのです。

巡洋艦<ノヴィク>に関しては、船の大きな模型やモニターに映るCGも含む解説図版が色々と在り、加えて艦上で砲手が戦闘に参加しているイメージの、等身大の人形を使った小規模なジオラマが造られていました。この艦のことが非常に大きく紹介されていました。

巡洋艦<ノヴィク>は、旅順(ロシアでは「ポルト・アルトゥール」と呼ばれる)攻略を目指して日本軍が陸海の戦力を周辺に展開していた中、「ロシア艦隊が増援を迎える前に駐留していた艦隊に打撃を与えよう」という思惑で待ち受けていた日本艦隊とロシア艦隊とが交戦に及んだ「黄海海戦」に参加した艦です。ロシア艦隊が大打撃を被り、行動可能な状態で残った艦が方々に散った中、<ノヴィク>は単独で日本列島の太平洋側を北上し、サハリン近海に到達します。そしてコルサコフの沖で日本艦との交戦に及んで敗れ、擱座しています。

巡洋艦<ノヴィク>に関しては、「最後まで単独で闘い続けた」という文字どおりの“孤軍奮闘”のヒーローというイメージが在るのかもしれません。因みにこの<ノヴィク>は、サハリンで擱座した後、日本側で引揚げて改修し、樺太の川に因んで<鈴谷>と命名され、日本海軍によって運用された経過が在るということです。(序でに加えておくと、日露戦争後の時代、<ノヴィク>が<鈴谷>になった例のような、「ロシア艦隊出身の日本艦」は幾分見受けられました。)

こうした<日露戦争>の展示の他、ロシアにとっては少し重い意味が在るアフガニスタンやチェチェン等、比較的近い時代の戦争の様子を紹介する展示も在りました。言わば<現代の戦争>という展示です。

この<現代の戦争>という展示では、アフガニスタンの戦地に設けられたソ連軍のテントと見受けられるモノが据えられて、兵士達が使用した武器や野戦服や、従軍記章(勲章)や資料写真が多く在りました。「チェチェン紛争関係の報道で視たような?」という写真も幾分在って、多少生々しい感じもしました。

少し象徴的なのは、地球儀が据えられ、第2次大戦以後の比較的知られている様々な戦争を紹介するパネルが周囲に置かれているという展示でした。歴史と共に、残念ながら多くの犠牲が払われる戦争も付いて回っているという感でしょうか。

そして、本来は最初の順路である筈なのですが、「あの場所は以前に観た」と後回しにした、1945年のサハリンでの戦闘に関連する展示場に入り、少し驚きました。

従前は、ソ連軍がサハリンでの軍事行動に踏み込んだ経過や、関係者に関する史料が少し視られるコーナーという感じだったモノが一新されていました。入口辺りには、日露戦争と戦後の経過のあらましが紹介されるビデオが在って、サハリンに在った国境で「国境を守備する兵士」という日本側、ソ連側の等身大の兵士の人形を使ったイメージの展示が行われていました。そしてソ連軍が軍事行動に踏み込んだ経過、当時のソ連軍の計画、そうした計画で実施されたモノやされなかったモノ(「北海道上陸」という実施されなかった計画を紹介する展示に注目してしまいました。)、1945年9月2日の日本の降伏文書調印のこと、樺太のソ連化のこと、1940年代後半に入った頃のサハリンの街について、往時のソ連兵の服装や装備を等身大の人形で紹介する展示等、非常にボリュームが増えて多彩な展示になっていました。

ここの展示に関しては、サハリンではなかなかに評価が高い、樺太時代の研究で知られる方等の多くの専門家が携わって、随分と内容を練りながら、「多少時間を要しても…」と充実した展示を目指している様子が伺えます。そのうち、「更に新しい展示」というようなことにもなるかもしれません。

少し前に、稚内を訪ねた経過が在って、郷土資料館ということになる<北方記念館>を御案内したこともあるサハリンの方に会った時、その方が言っていました。「ロシアと日本との間で起こった出来事に関して、一部は“ロシアの歴史”として聴いたり読んだりしている。が、それらに関して“日本の歴史”として、全然知らない視点で語られているというモノには稚内で全く初めて触れた。それが忘れ難い」とです。恐らく、こういうことに関しては“逆”も在り得るように見受けられます。

<戦史博物館>に関しては、展示内容について、現時点ではロシア語による情報のみです。大きな街の展示施設で見受けられる“音声ガイド”のようなモノが好いのか、或いは一部の展示施設に見受けられる「外国語による展示解説の冊子」のようなモノが好いのか、方法は色々と在り得るでしょうが、ロシア以外から来る「国外の人達」に向けた発信が在っても善いかもしれません。

しかしここは、既に「児童生徒の学習の場」、「社会人の研修の場」として一定の人気が確立していると見受けられ、訪ねた時には児童生徒のグループや、何かの制服を身に着けた大人のグループが見学に訪れていました。

戦史博物館 (2).jpg
※ 展示室内で「カメラの使用は御遠慮下さい」ということだったので、壮麗な感じがする建物内の吹抜けの画を掲載しておきます。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 07:37Comment(0)訪ねる