「在コルサコフ日本領事館」の遺構と<コルサコフ修道院>(2017.08.15)

1875年に<樺太・千島交換条約>が締結され、サハリン全土がロシアの帰属ということになった時、条約条文に「全魯西亜皇帝陛下ハ日本政府ヨリ“コルサコフ”港へ其領事官又ハ領事兼任ノ吏員ヲ置クノ権理ヲ認可ス」(ロシア皇帝は、日本政府によってコルサコフ港に領事または領事事務を取り扱う吏員を配置する権利を認める)と在ったことから、<在コルサコフ日本領事館>の開設を目指します。1876年4月1日付の開設とし、実際には最初の領事が着任出来た6月9日に開館したそうです。

当時のサハリン南部には、日本人が色々な仕事をする、所謂「出稼ぎ」が多く見受けられ、そうした日本人の保護のために領事館の開設を急いだようです。当初は、人の動きが活発な4月から9月の間に開館するようにしていたそうです。

この領事館に在勤していた日本人に関しては、1890年にサハリンを訪れている作家のチェーホフが接触していたと伝わります。チェーホフは北部の、ロシア領サハリンの中心的な街でもあったアレクサンドロフスク・サハリンスキーをサハリン滞在の前半で拠点にしますが、後半は船でコルサコフ港へ移動し、コルサコフを拠点にして活動しています。

当時の日本領事館はアイヌの集落の名でもある<クシュンコタン>と呼び習わされていた、現在のコルサコフ市域の中で最も古くから拓けていた地区に在りましたが、チェーホフもその地区の住居を借りて滞在していて、日本の領事館員達とは「御近所」でもあったようです。

<クシュンコタン>と呼び習わされていた、現在のコルサコフ市域の中で最も古くから拓けていた地区は、ユジノサハリンスク側からコルサコフへ向かう場合は、“市街”という雰囲気が始まるような、「街の入口に近い側」に相当します。鉄道施設が在る様子や、ロシア最大手石油会社の<ロスネフチ>のガソリンスタンドが視えているような辺りで道路を1本入ると視える辺りに往年の日本領事館が在ったと伝わります。都市間の路線バスでコルサコフへ向かっても、下車出来る場所が近くに在ります。(サハリンのバス停に多く見受けられるのですが、停留所名が不明瞭ではあります。)

↓その日本領事館の「遺構」と伝わる石垣が現在でも在ります。残念ながら、石垣は「往時のモノの一部」に留まっています。それでも「日本の流儀による石の積み方?」という雰囲気は何となく判ります。
コルサコフ修道院 (1).jpg
↑石垣の向こうには、「ロシア正教関係の建物?」と見受けられる施設が覗いています。

日本領事館の遺構であると伝えられる石垣の脇に門柱が据えられ、金属製の柵のような門扉も在ります。が、確り締めて外来者の出入を阻んでいるというのでもありません。車輛は勝手に敷地へ進入出来ませんが、人は普通に出入りできるような具合になっていました。

一部のロシア正教の施設に関しては、何か凄く長い、複数の呼称が在るような事例も在って、何と呼べば好いのか困ってしまう場合も見受けられます。この石垣の向こうに覗く施設についても、門柱の左右に在る看板を視て、そういう「判り悪い…」例に該当すると思いましたが、とりあえずここは<コルサコフ修道院>と称する機構の一部で、聖堂になっているようです。

来訪者が中を覗いても差支えが無い様子なので、中に入ってみました。

↓花が色々と咲いている庭園風な設えの場所に、御伽噺の世界のような建物が建っていて、少し足を停めて眺めていました。
コルサコフ修道院 (2).jpg
↑後から建物に入って、掲出されていたモノを視る限り、1996年頃から建物を順次整えて現在に至るまで活動を続けている施設のようです。

↓中には礼拝を行う施設が設えられています。
コルサコフ修道院 (3).jpg
↑礼拝を行う場所の天井が低いので、建物の入口に視える塔のような構造物は後から設えられたのだと思われました。

綺麗な場所なので、何となくこの場所でのんびりしてしまいましたが、お祈りに訪れる人達が散見しました。序でに、礼拝を行う聖堂の直ぐ隣には聖書や正教に関する書籍や色々なモノを売る売店も在りました。

この日本領事館の遺構であると伝えられる石垣については、コルサコフ歴史郷土博物館の館長さんによる市内案内に同行した際に御話を聴きました。「ロシアはもとより、色々な国々で多くの人に知られたロシアの作家が、隣国日本の人達と友好的に交流をしていたという出来事が、当地コルサコフで在ったというのが嬉しいと思う」と仰っていたのですが、これには大賛成です。そしてそこは、「心の平安を求める」というような施設になっていて、設えられた庭に季節の花が咲いていて美しい様子が視られます。

この記事へのコメント

  • 尾形芳秀

    旧「在コルサコフ日本領事館」の記述大変興味深く拝見しました。
    この場所は、1876年ごろの写真では、丘の上にポツンと領事館だけが立っていました。
    私はいつもこの場所は現在のどこにあるのか気になっていました。その場所はロシア正教会のある場所で石垣もあると聞いて大変うれしく思っています。
    8月に日本国総領事館の総領事と会ったときに、コルサコフの旧領事館跡を訪ねた、と伺っていました。それが教会のある場所だったのではと知り大変うれしく思っています。
    もし、この場所の略図を教えていただけますか。
    よろしくお願いします。今度行ってみたいと思っています。
    樺太時代は公園地区だったと思っていますが?


    2017年10月08日 09:36
  • 稚内市サハリン事務所

    >尾形芳秀さん

    記事を御覧頂きありがとうございます。

    地図を探し出して、切り取るなりコピーするというのが巧く出来ない場合が多く、巧く造ることもままならない感ではありますが…

    ↓こちらのウェブサイトでコルサコフの地図を見付けました。
    http://kartami.ru/korsakov

    鉄道と並行して海岸部に延びているВокзальная ул.(ヴァグザリナヤ ウーリッツァ)が在り、<Старый вокзал>(スタールィー・ヴァグザル)という旅客列車の乗降場を過ぎた辺りで交差しているОкружная ул.(オクルージナヤ ウーリッツァ)に入って直ぐです。<Старый вокзал>(スタールィー・ヴァグザル)の正面辺りが<ロスネフチ>の看板が上がったガソリンスタンドです。

    Вокзальная ул.(ヴァグザリナヤ ウーリッツァ)は、「ユジノサハリンスクからコルサコフを目指して車やバスで移動」という場合、「海岸側、港の側への下り坂」に視えるЮжно-Сахалинская ул.(ユジノサハリンスカヤ ウーリッツァ)が行き当たった辺りと交差している通です。

    大泊時代の“公園”は<神楽岡>と呼ばれていた場所のことだとするなら、Вокзальная ул.(ヴァグザリナヤ ウーリッツァ)をもっと進み、現在は修復工事中で多いが被っている旧北海道拓殖銀行大泊支店から広場の側に出て、高台の方へ上がった辺りに相当すると思います。

    この「日本領事館の遺構」という辺りは、こちらの記事で御紹介しましたが、なかなかに雰囲気が在ると思います。多分、現在はロシア正教の施設になっているような、少しだけ高くなっているような辺りに領事館が建っていたのかもしれません。

    2017年10月08日 10:07