花束の出番が多い…(2018.06.20)

自身や所属先に関係することで「花束を贈る」というようなことになって、その準備に関わってみる、或いは用意した花束を何となく眺めるという場面が「年に何回位あるだろうか?」と不意に考えました。

稚内市役所では、或いは他所の職場でも同じような感じであると思いますが、例えば「定年退職を迎える先輩が最後に出勤した日に帰る場面」で花束を贈って多年に亘る功を労う気持ちを伝えようとする例が在ると思います。「花束を贈る」と言えば、思い浮かぶのはそういう事例で、毎年のように手近な部署でそういうことが在るのでもないので、これも毎年ではありません。

近年は、稚内市サハリン課が事務局を務める<稚内国際文化交流協議会>で、今や稚内の人気者でもあるユジノサハリンスクのグループ<ルースキー・テーレム>が稚内公演を行う場面で、「この日の、これの機会に花束を」という例が在るのが思い浮かびます。

そういうように、「花束を贈る」というようなことになって、その準備に関わってみる、或いは用意した花束を何となく眺めるという場面が意外に少ないことに思い至ります。

↓そういう妙なことを考えたのは、稚内市サハリン事務所のオフィスでこういうモノを眺める機会が在ったからです。
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↑慶事が在って、御招きを頂いたので足を運ぶこととなったのですが、慶事の主役に花束を贈ることになり、持って出る少し前に辺りに置いた花です。「凄く見栄えが好い」と思わず見入ってしまい、写真に収めました。

ユジノサハリンスクでは、「花束を贈る」というようなことになる場面が、稚内に居る時よりも格段に多いように見受けられます。

自身や所属先の関係で「花束」という話しにはならなくても、「慶事」と名が付く場面であれば、集まる人達の中の個人、または何処かの関係団体等による「花束」が「必ず」と言って差し支えない程度に登場しています。

これは「仕事上の」という交際に留まらず、個人間の交際、更には手近な家族関係の中でさえも「花束」は登場します。

家族間で、「これを!今日はあなたの誕生日だから…」と帰宅途中に求めた花束を贈るというような話しはありふれています。更に、家族間で言い争いのようになってしまった少し後、「俺も悪かった…」と花束が登場するというようなことも在るようです。

そして「花束」が「社会的な慣例」でもあるようになっている日も在ります。毎年3月8日の<国際女性デー>や、9月1日の学校の始業日がそういう例に相当します。

ユジノサハリンスクでは、「色々な意味」で花束の需要が高いと見受けられる状況なので、花を売る店が存外に眼に留まります。通常の商店のように、朝の9時や10時から午後7時頃という営業時間の場所も在る他方に、早朝から深夜まで営業している例や、「24時間営業」まで在ります。実際、早朝の時間帯に戸外に出て、その種の店を視掛けて何となく驚きます。序でに言えば、ユジノサハリンスクに留まらず、ロシア国内で或る程度の人口規模である都市へ行けば、高い確率で「24時間営業の花屋」に出くわすようです。

こうした花ですが、かなり遠い国々も含む様々な国からロシア国内へ輸入された花卉類がロシア国内流通ルートでサハリンに至っているというモノや、大きな温室で様々なモノを栽培している地元業者が栽培した花卉が混在しているようです。聞けば後者がやや少数派ながら、相対的に安価で良質であると、扱っている店の評判が高いようです。

この種の花を「慶事で贈る」場合ですが、ロシアの慣行では「必ず奇数」にしているようです。「3本、5本、7本…23本、25本…」というのは慶事の際には好い選択です。「2本、4本、6本…」という「偶数」は、「専ら弔事の際」に贈る花に限定されるということです。

よく知られる歌に『百万本のバラ』が在ります。「百万=1,000,000」は「偶数」となってしまいますが、この歌の歌詞の場合の「百万」は、「辺りが埋め尽くされる程な夥しい数のバラの花」という意味で、「具体的な本数」のことではないものと想像出来ます。

写真に収めた花は23本という「慶事」のためのモノですが、贈った際には先様に非常に喜んで頂けました。

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