「来訪者向けの看板」がユジノサハリンスクに登場(2018.09.10-12)

↓ユジノサハリンスク市行政府本庁舎前、南寄りの辺りです。「見慣れないモノ」に気付いて足を停めました。
for visitors (1).jpg
↑巨大なレーニン像の在る広場と向き合うようにユジノサハリンスク市行政府本庁舎が建っています。建物前の芝生が植えられた辺りに新しい感じの看板が在ります。

看板をよく視れば、このまま北寄りへ直進すると州立美術館―往年の「北海道拓殖銀行豊原支店」の建物を利用したモノ―や、チェーホフ広場―旅の途中に腰を下ろして休んでいるような雰囲気の作家チェーホフの像が在って、州立図書館の傍でもある広場―が在る旨が示されています。

近隣に住んでいたり、日頃から辺りで動き回っている人達にとって、ユジノサハリンスク市行政府本庁舎前のレーニン通を進めば美術館やチェーホフ像が在る広場というのは自明のことですが、ユジノサハリンスクを初めて訪れているというような方にとっては「知らない情報」ということになります。

↓こちらはレーニン通と交わり、東西に延びているコムニスチ―チェスキー通が、南北に延びるミール通と交差している辺りです。
for visitors (2).jpg
↑ここにも「見慣れないモノ」が登場していたことに気付き、足を停めました。

この4枚の看板を組み合わせて柱に据えているモノですが、西を背中、東を正面に進んで行くと視えるモノです。

看板の右上を視れば、直進するとサハリン州郷土博物館で、右下を視れば背中側が劇場の<チェーホフセンター>であるということが示されています。

看板の左上ですが、「←」(やじるし)に従って左側へ進んで行けばネヴェリスコイ広場―ネヴェリスコイ提督の胸像が在る―に行き当たることが示されています。そして背中側へ進んで行けば鉄道駅へ行き当たるということも示されています。

ユジノサハリンスク市行政府本庁舎前のモノも、コムニスチ―チェスキー通とミール通との交差点辺りのモノも「共通のピクトグラム」が使用されています。博物館や美術館のような「ミュージアム」は「建物らしきモノに“M”」というマークです。都市緑地である広場は「街中の木立」というマークになっています。

サハリンでも「観光振興」ということへの関心、期待は高いと見受けられる状況ですが、こういうような「来訪者向けの情報提供」という動きが起こっているようです。

実は筆者は8月20日に用務で稚内に向かっていて、少しの間ユジノサハリンスクを離れていました。戻ってみて「見慣れないモノ?何だ?」とこの看板に注目しました。多分、8月末から9月初頭に設置されたのでしょう。気付いた画の2ヶ所以外にも、幾分これが登場したようです。

こうした「来訪者向けの情報提供」というようなことに関しては、今後も注目してみたいと思います。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 07:00Comment(0)話題

日本の“飴細工”がサハリン上陸!(2018.09.08)

北海道の産物や商品、加えて日本文化の紹介や地域情報の発信を目指し、9月7日から9月9日の期間、ユジノサハリンスク市内の商業施設内で催される<北海道フェア>に、道北地域の自治体等による「道北ブース」が出展しています。

この「道北ブース」では、旭川在住の職人さんによる“飴細工”が登場しました。関係者は9月7日にサハリン入りしており、催事第2日の9月8日から「道北ブース」も本格的な体制になっています。“飴細工”も9月8日から登場です。

“飴細工”は大変に永い伝統を汲む技芸な訳ですが、率直に申し上げて筆者も実演を視た記憶が殆ど在りません。会場に立寄ったサハリンの皆さんと一緒に大変に興味深く様子を拝見しました。

↓例えばこういうモノが出来上がります。
08-09-2018 (4).jpg
↑左は比較的シンプルな400ルーブルのシリーズから「ペンギン」です。右は少し手が込んだ600ルーブルのシリーズから「チェブラーシカ」です。

食べられる飴を温めて、食紅等の食べられる染料で色を付しながら型を創る様子が実に面白いのです。実演の様子を、手持ちのスマートフォン等で撮影されているという方も会場では多く視掛けました。

今般、サハリンに上陸した際に乗船した<ペンギン32>の名に因んで「ペンギン」の飴細工をお願いしましたが、これは旭川の旭山動物園で人気のペンギンに因んで登場したという起こりが在るように想像します。「チェブラーシカ」は、日本でも知られているロシアの人形アニメーションのキャラクターです。「サハリン上陸!」ということで、職人さんが工夫して準備したようです。

創って、出来上がる様子を見ていると思わず頬が緩むという飴細工です。正直、食べられるとは言っても、何となく勿体ないのでとりあえず保存して在ります。

9月9日まで、ユジノサハリンスク市内の商業施設内で催される<北海道フェア>の「道北ブース」で、この“飴細工”を視ることが出来ます。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 02:40Comment(0)話題

<СЕВЕРНЫЙ ХОККАЙДО>(シェーヴェルヌィー ホッカイドー)=「道北ブース」:<北海道フェア>(2018.09.08)

サハリンの人達が「“隣人”ということになる北海道の人達との交流」ということに関して、「北海道の産物や商品を紹介する<物産展>が毎年のように催されている」ということを話題にすることが在ります。

概ね2010年代に入ってから盛んになっていると見受けられますが、「サハリンでの商品の紹介。機会が在れば輸出?」ということで<物産展>が実際に毎年開催されています。

稚内を含む道北地域の自治体等でもこうした動向に関心を寄せていて、毎年のように催しを企画することや、何らかの催しに参画することを行っています。道北地域各地で、「サハリンとの交流」と言えば、専ら「〇〇市と〇〇市との友好都市交流」というような「点と点」の交流でした。が、近年は「道北各市が手を携えてサハリンでの<物産展>」というような「面」の交流が模索されています。

↓今般、9月7日から9月9日の期間で催される<北海道フェア>に、道北地域の自治体等による「道北ブース」という型で出展しました。
08-09-2018 (1).JPG
↑会場の商業施設での、9月8日の午前中の様子です。

今般の<北海道フェア>の出展商品の多くですが、稚内港からのチャーター貨物船でサハリンへ運び込まれました。

「9月の休日」に関しては、未だ温かいことから、「天候が好ければ戸外での活動をする人が多いと見受けられる」という事情、或いは「何かと催事が多い時季」という事情で、午前中は「商業施設への人出がやや少なめ?」という感でした。

↓午後に入ると、なかなかに賑わう状況も見受けられるようになりました。
08-09-2018 (2).JPG

今般は、道北地域のスイカやメロン、菓子類、調味料類、その他の加工食品が出されています。<物産展>が「流行り始めた」というような頃は、「とりあえず物珍しい」と相当な人出が見受けられたものでした。最近は「以前にこの種の催しで求めた〇〇が好かったが、あれは在るだろうか?」という具合に立寄る人が多くなっているように見受けられます。

催しの場では、<物産展>としての物販の他に「文化紹介」、「地域情報の発信」ということも試みられ、好評を博しています。

稚内市サハリン事務所でも、この種の催事に関しては色々な意味合いでお手伝いをしています。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 19:53Comment(0)話題

ロシアのミネラルウォーターを頂きながら、稚内港からコルサコフ港に入り、ユジノサハリンスクへ…(2018.09.07)

稚内での催事のために筆者は稚内に滞在していて、サハリンへまた出るという予定になっていました。

9月7日に催事が在る関係上、「9月6日の<ペンギン32>、稚内発コルサコフ行の便」の利用を計画しました。が、<台風21号>関係の海上荒天で運航の予定が変更となりました。そこで「9月6日の新千歳・ユジノサハリンスクの空路」と計画を変更しました。

9月6日に新千歳空港を利用する関係上、9月5日に札幌へ向かいました。<台風21号>関係で北海道内は多少の交通の乱れは在りましたが、稚内・札幌間の都市間バスは平常に運行され、普通に札幌に到着しました。

翌日に新千歳空港へ向かおうと休んでいた訳でしたが、深夜に妙な状態です。「誰だ?!気持ちよく眠っているのを、無理に揺り起こそうとするのは?!」というような変な感じがして意識が半ば覚めたのですが、そのうち「ガタガタガタ…」と揺れました。「地震…というものか?」と思わず寝床で息を潜めました。やがて停電になりました。午前3時台のことでした。

何とか使えたインターネットを視たり、滞在していた場所に在った電池で受信出来るラジオで状況が少しずつ判りました。相当に大きな揺れで被害が発生した場所が在る多方、発電所網のシステムに異状が生じてしまい、北海道全域が停電になってしまっているというのです。

そして、利用予定の新千歳空港の状況を知ろうとしていました。早朝6時前の段階で、滑走路等は無事なので各航空会社は予定の各便を運航するようであると伝わっていましたが、やがて「ターミナルビルが地震被害を受けて危険なので、1日閉鎖するので終日全便欠航」ということになりました。

そういう訳なので、サハリンでの催事に出る予定で札幌へ出ていた同行の皆さんと一緒に、札幌から稚内へ向かう車輛に便乗させて頂いて稚内へ引き揚げました。札幌市内から稚内に至るまでの長い道程で、停電の故に信号機のランプが消えているという場所が多々在りました。そして到着した夕刻の稚内も広く停電です。暗くなった時点で極一部で通電が回復し始めていたという状態でした。

そして9月7日です。<ペンギン32>は「丸1日順延」で運航ということになりました。

↓乗船するとこういうモノが出て来ます。
07-09-2018 on 'Penguin32' vol01 (1).jpg
↑ロシアで出回っているミネラルウォーターです。乗客は自由にボトルを取って飲んで構わないということになっています。序に、クルーの皆さんも飲んでいます。

座席でこのミネラルウォーターを頂きながら、<ペンギン32>で宗谷海峡を渡りました。「航海日和」という感じで、なかなかに快適でした。

今般、「実際の移動距離の何倍も長い距離を、長い時間を動き回って、漸く稚内からユジノサハリンスクへ着いた」という感じです。移動をしようとして荒天等で予定が狂うことが無い訳でもないと思いますが、「台風で変更した予定が、地震関連で更に変更」というのは、筆者自身は全く初めてです。

サハリンに到着すれば、特段に変わった様子も無い感じです。が、北海道内は未だ停電の地区も見受けられ、交通の乱れも続いている様子です。

「とりあえず到着」という感です。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 19:52Comment(0)話題

稚内港からコルサコフ港を目指すチャーター貨物船<サフアイランド>(2018.08.31)

↓稚内港の中央埠頭、国際旅客ターミナル前にサハリンのコルサコフ港から着いた貨物船<サフアイランド>が接岸しました。
SAKHISLAND 31-08-2018 (1).JPG
↑やや雲が多目で薄暗い感じもした他方、海は穏やかな状況でした。

稚内港とコルサコフ港との間は、航路の距離としては158㎞程度です。然程速くない船でも「出発すればその日の間に着く」ことが殆どという距離です。貨物船の中には、夜に出て早朝に到着して「朝一番での諸手続き」を待つという船も見受けられるようです。

現在、稚内港からサハリンへの輸出等を拡大することを目指し、貨物船をチャーターする取り組みが進められています。今般、その一環として貨物船<サフアイランド>が稚内港にやって来ました。

稚内港ではサハリンへ送られる貨物が次々と素早く積み込まれました。今回の貨物は、サハリンのチェーンスーパーでの販売に供される果物等の食品、ユジノサハリンスクで9月に催される<物産展>で販売される商品、建設中の施設で使用する各種の資材というような品物です。

今回は一部のモノについて、温度調整が可能な“リーファーコンテナ”を船上に用意し、生鮮品等を冷蔵状態で中に詰め、コルサコフ港ではそのリーファーコンテナを下ろして諸手続きを経て蔵置場へ運び込み、「冷蔵状態のままで輸送」という方式を試行するとのことです。

↓輸出通関を済ませて保税倉庫に保管されていたモノをトラックで船の脇に運び、フォークリフトで下ろして並べます。それをクレーンで吊り、船倉に順次収めて行きます。
SAKHISLAND 31-08-2018 (2).JPG
↑手慣れた関係者の皆さんが作業をするので、作業が始まると「存外に速い!?」という感じで、ドンドン貨物が船に収まりました。

「物流を盛んに」ということが目指されていますが、「輸送需要は?」という問いに対して「在る!」ということになっても「輸送手段は?」という具合になる感で、素早く状況が動くというのでもないのかもしれません。しかし、「チャーター貨物船の運航を順次広げている」という地道な情報発信を続けるなどしており、少しずつ輸送される品目や量は増えています。

今般、ユジノサハリンスクで建設中の施設の建物内で利用される様々なモノが貨物の中に見受けられました。多くの地元の皆さんが利用して親しまれるであろう施設ですが、そういうモノに「稚内港が関りを持った」ということになります。少し興味深いことです。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 16:34Comment(0)話題

友好都市との各種会議について(2018年8月)

8月23日から8月27日の期間で、サハリンの友好都市であるネべリスク市(4名)、コルサコフ市(4名)、ユジノサハリンスク市(3名)、加えてサハリン州政府等(4名)の各代表団が稚内を訪れ、毎年継続している<稚内・コルサコフ定期航路利用促進合同会議>、<第11回 友好都市経済交流促進会議>を7月21日に稚内市内ホテルを会場に開催しました。

稚内市サハリン事務所としては、こうした会議の場合には、開催日程を決めた後にサハリンの関係先への御案内を届けて「稚内を訪れて会議に参加する皆さん」を纏め、渡航に関する査証取得等の手続きが必要な場合に対応を行います。その他、会議の進行に関することや、会議の中での「基調報告」や「基調発言」の準備等、会議そのものに関する調整を行います。他に滞在中の細かい予定が固まって行く中で、必要な連絡等も行います。

そういう事前調整を色々と行って、サハリン側参加者の皆さんを稚内港にお迎えし、会議を催しました。

8月から運航を始めた稚内・コルサコフ航路を利用して各代表団の皆さんは稚内へやって来ました。海上荒天の影響で運航予定の変更が生じた中、稚内での宿泊施設の混雑というような状況もあって、多少気を遣う滞在とはなりました。が、充実した会議を催すことが叶いました。

<稚内・コルサコフ定期航路利用促進合同会議>

「稚内・コルサコフ航路」に関しては、北海道とサハリンとを結ぶ重要な航路であるとして、「是非とも運航を継続したい」ということで稚内側、サハリン側の認識は一致していますが、そうした中で真摯な意見交換が行われました。

2015年に長く活躍した<アインス宗谷>が撤退した後、高速型双胴船で旅客輸送を専らとする<ペンギン>が宗谷海峡を行き交うようになって3年目ということになりました。定員80名と小型で、海上荒天の影響を受け易い現行の船による旅客輸送と従前とでは様子も変わっています。そういった状況を認識しながらも、従前と変わらず、旅客が利用し易い体制を目指すことが稚内、コルサコフの双方で目指されなければならないと話し合われました。

「旅客の快適性」という意味で“課題”も在るということで、稚内側とサハリン側との認識も一致しましたが、サハリン側から「サハリン州内での用途に向けて建造が計画される2隻の貨客船の中、1隻を稚内・コルサコフ航路で運用することも検討したい」という発言が在り、注目されました。

今年の運航の状況をみながら、今後に関しても検討がなされなければなりません。この<稚内・コルサコフ定期航路利用促進合同会議>は、稚内、コルサコフという「航路の発着地」としての旅客や貨物の輸送体制、利便性の向上に向けた意見交換を行おうとして起こった会議で、既に長い伝統を有するものとなっていますが、引き続き協議を行うこと、来年はサハリンで開催するということが合意されました。

24AUG-P.JPG
(会議の様子)

<第11回 友好都市経済交流促進会議>

稚内市と、ネべリスク市、コルサコフ市、ユジノサハリンスク市の3友好都市との間では、長い間に亘って地域の産業や経済交流に関する意見交換を行って来た経過が在ります。そうした中から起こった<友好都市経済交流促進会議>も既に11回目となりました。

各市からの「基調発言」を受けて意見交換を行うという、4市の間で定着している方式で会議は進められました。

「近年の流れ」という感もするのですが、最近は「観光振興への期待」が大きくなっている状況です。日本国内外の旅客が北海道北部を多数訪れている中、北海道北部と各友好都市が在るサハリン南部が「一体的な周遊圏」となって行くような姿が望まれます。

そしてこの会議では、各市の産業関連の話題が毎年のように紹介され、一部の市は「前年も話題にした事項の“その後”」が判るような内容の発言をする場合も在ります。

更にこの会議でしばしば話題になるのは、稚内商工会議所で25年間にも亘って続けている「研修生受入事業」です。こうした人的なつながりが「地域の尊い財産」ということで一致しました。

24AUG-E.JPG
(4市代表による議定書調印の様子)

この会議に関して、「来年はサハリンで実施」ということを合意しました。

<友好都市親善交流会>

2本の会議を終えた後、関係者が一堂に会しました。

この席では2本の会議の主な内容を伝える『議定書』の調印が行われます。

<稚内・コルサコフ定期航路利用促進合同会議>の議定書は稚内市とコルサコフ市の両代表が、<第11回 友好都市経済交流促進会議>の議定書は稚内市、ネべリスク市、コルサコフ市、ユジノサハリンスク市の4代表が各々署名しました。

『議定書』の後は楽しい懇談の席となりましたが、アトラクションとして<稚内海峡太鼓>が披露されました。勇壮な和太鼓の音、大人から子ども達までのメンバーの熱演が、サハリン側の皆さんに大変の好評でした。

24AUG-Taiko.JPG
(<海峡太鼓>の様子)

こうやって毎年の仕事を着実に推し進めています。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 19:00Comment(0)話題

【速報】“ネベリスクTV”のコンテンツ:『稚内の子ども達がネベリスク訪問』(2018.08.03)

ネベリスク地区では、地区内の話題を取材して伝えるコンテンツを主に放映する“ネベリスクTV”というテレビメディアが運営されています。

ネベリスクでは「長い友好交流を続けている稚内」への関心も高く、稚内との交流に関する話題は、この“ネベリスクTV”でも取り上げられます。

<稚内国際文化交流協議会>(事務局:稚内市サハリン課)では、日程の一部にホームステイを盛り込みながら、市内高校生をサハリンの友好都市へ派遣し、また、サハリンの友好都市の生徒を稚内に迎えるという「サハリン友好都市青少年交流事業」に取り組んでいます。2012年に現行の方式で催し始めていますが、「西暦下一桁が偶数」の年にはネベリスクとの間でこの事業を催しています。2018年はこの「西暦下一桁が偶数」で、ネベリスクとの間で事業が催されています。

稚内市内の2高校から、各校男女各1名が参加し、計4名がネベリスクを訪ね、ネベリスクの生徒宅にホームステイし、逆にネベリスクの生徒を稚内に迎えるということになります。稚内の生徒は7月30日から8月4日の日程でサハリンを訪ねています。

稚内側生徒4名のネベリスク滞在は、7月31日と8月1日で、8月2日朝にはユジノサハリンスクへ移動しました。この稚内側生徒のネベリスク滞在中、“ネベリスクTV”の取材グループは全体プログラムの殆ど全てに同行して取材を続けていました。

↓その取材内容が纏まって放映されました。

↑“ネベリスクTV”では、主な内容をインターネット上でも公開しており、この『稚内の子ども達がネベリスク訪問』と銘打ったコンテンツもインターネット上で視ることが出来ます。

ネベリスクでは、稚内側4人とネベリスク側4人の計8人が地区行政府庁舎にアレクセイ・シャベリニク市長を訪ねたという初日の到着後の様子から、幼稚園や博物館を訪ねた場面や、芸術学校でダンスをした様子、スポーツ学校でサッカーをやった様子、色々なモノを作ることをした様子等、ネベリスクでの活動を殆ど網羅しています。

更に何回かに分けて収録した双方の生徒達のインタビューも在りますが、何れも生き生きとしています。

稚内側の生徒は、各々に関心が在って応募して参加が決まった訳ですが、とりあえず現地に着くまでは「参加はしてみたが…どうしたものか?」というような感が少し強かったのかもしれません。が、実際にネベリスク側参加生徒達と共に過ごす中、各々に「共通の“言葉”」を見出し、打ち解けあって行ったようです。

ネベリスクから移動しようという場面では、「何時までも名残を惜しむ」という風情でした。そして、ネベリスク側生徒を稚内で8月10日に迎えるという段取りなのですが、「再会を楽しみにしよう!」と握手で別れました。

「社会へ踏み出して行く手前」というような年代の高校生達が、隣国の同世代と時間を過ごしてみるということは、色々なことを学んで行く「貴重な契機」になって行くものであると考えられることから、多少実施し悪いかもしれない状況であっても、何とか続けている取組がこの「サハリン友好都市青少年交流事業」です。

ネベリスク側としては、現行の形式の以前からの長い伝統の在る青少年交流で、隔年実施している意義在る取組と評価して頂いている様子で、放映されたコンテンツの中でも「次回は2020年が見込まれる」と紹介している程です。

目下のところ、稚内側生徒はネベリスクの「新しい友人達」を迎えることを心待ちにしている訳です。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 00:00Comment(0)話題

<草月流 生け花>のクドリャショーワ常任参与への「日本国叙勲伝達式」(2018.07.13)

サハリンでは「生け花」が存外によく知られています。

ロシアでは、何かと花を贈ることが盛んに行われ、そういう花を綺麗に飾るというようなことへの関心も高いのかもしれません。そういうことと結び付いて、何かの切っ掛けで紹介された「生け花」に関心を寄せる人が多く在るのかもしれません。

↓実は昨年から、「生け花」に関連する催しを、何度かサハリンで視掛けていて、その都度に「そう言えば…稚内では“生け花”に関連する催しというものに足を運んだことも無かった。というより、そういう催しに関して知らずに過ごしていた」等と思っていました。
>><生け花―サハリンでの道程>:草月流の展覧会 オープニング (2017.04.28)

サハリンでは<草月流 生け花>の活動が少し盛んに行われていますが、その活動の端緒を拓いた、草月流の常任参与であるアレクサンドラ・クドリャショーワ氏が、今年春の叙勲(本年4月29日発表)に際し「ロシアにおける生け花の普及を通じた対日理解への寄与」の功績により<旭日単光章>を受けることとなりました。

この勲章について駐ユジノサハリンスク日本国総領事から伝達が行われることとなり、総領事公邸で催された伝達式に御招きを頂いたので足を運びました。50名程度が場内に犇めき、地元メディアの取材も入った中で伝達式は行われました。

クドリャショーワ氏は、サハリンや他の地域で<草月流 生け花>の活動を展開している他、サハリンでは方々の庭園のコーディネートをする造園家としても高名です。他所とは一味違う、「日本庭園に着想」というスタイルなのです。

伝達式で挨拶に立たれた来賓の皆さんは、この造園家としてのクドリャショーワ氏の功績に口々に言及されていました。よく知られている仕事に<サハリン州郷土博物館>の庭が在ります。これに関しては「地元の住民に留まらず、サハリンを訪れる様々な国や地域の人々に強い印象を残す、“サハリンを代表する名勝”ともなっている」という話題が在りました。

↓こういう具合に、厳かに勲章と証書が伝達されました。
13JUL2018ordena (1).JPG

今般は主にサハリンの関係者が集まった伝達式でしたから、式そのものは証書の朗読が日本語で行われてロシア語に通訳されたという以外、ロシア語のみで進められました。

受章されたクドリャショーワ氏は、込上げる思いを集まった皆さんの前で吐露されていました。

2002年頃に草月流を学び、日本側の関係者の熱心な支援の中で学んだ想い出や、日本とロシアとでは互いの芸術に互いに関心を寄せる共通項が在るということに気付いたことから始まり、次第に活動の輪が拡がり、色々な人達の協力を得たことに言及されていました。

↓今般はクドリャショーワ氏による生け花作品が会場内を彩っていました。
13JUL2018ordena (2).jpg

クドリャショーワ氏が端緒を拓いた<草月流 生け花>の活動ですが、サハリンだけではなく、エカテリンブルグやソチでも盛んになっていて、各々が“独立的グループ”として活動を展開出来るまでになって来たそうです。ソチに在っては、児童生徒の課外活動に生け花が取り入れられ始めているそうです。

生け花に魅せられ、それを学んで普及の道筋を拓いたクドリャショーワ氏ですが、彼女が蒔いた種は日ロ友好の花を咲かせ始めていると言えると思います。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 08:11Comment(0)話題

<サハリン日本人会(北海道人会)>の白畑正義会長への「日本国叙勲伝達式」(2018.06.20)

サハリンでは<サハリン日本人会(北海道人会)>という団体が活動しています。第2次大戦以降にサハリンに残留した日本人に関する福祉活動、戦没者等の慰霊碑や墓碑の保全等の慰霊活動を行う団体です。

この<サハリン日本人会(北海道人会)>は、日本側パートナーということになる<NPO日本サハリン協会>と協力し、第2次大戦後にサハリン等に残留することとなった各地の皆さんの一時帰国や永住帰国等の取組をしており、他方で各地の慰霊碑等を保全する活動や、日本人来訪者の墓地訪問の御案内等の活動も続けています。

2018年4月29日に発表された「春の叙勲」で、<サハリン日本人会(北海道人会)>による福祉活動、慰霊活動への永年に亘る功績に対し、同会の白畑正義会長が<旭日双光章>を受章することとなりました。

その「伝達式」が、在ユジノサハリンスク日本国総領事館によって催され、平野総領事から<旭日双光章>が白畑会長へ伝達されました。稚内市サハリン事務所でも御招きを頂いたことから、伝達式に足を運んだところです。

「伝達式」には、90名前後の人達が参集し、地元報道機関の取材陣も集まり、何台ものテレビカメラが撮影しているような中で盛大に、同時に厳かに催されました。

↓白畑会長に<旭日双光章>と証書が贈られている場面です。
JUN20-2018 (1).JPG
↑筆者は、この種のモノが展示されているのを視た記憶は在りますが、実際に受章した方に伝達が行われている場面は初めて視ました。独特な厳かな雰囲気が漂います。

↓日ロ双方の大勢の参集者の前で、白幡会長が挨拶に立ちました。
JUN20-2018 (2).JPG

白畑会長は2009年に<サハリン日本人会(北海道人会)>の会長に就任されました。様々な事情で第2次大戦後にサハリン等に残留することとなった皆さんのことに関して、白畑会長御自身は「離散した家族や一族の問題」と表現されていましたが、戦後70年以上を経ても問題は残っているのです。白幡会長の就任以降だけでも、のべで746名が一時帰国をし、61名が永住帰国をしているそうです。

<サハリン日本人会(北海道人会)>では、サハリン州の色々な街に在る日本人に纏わる記念碑、慰霊碑に関して、それらの保全に努めると同時に、日本からの来訪者を御案内するような支援活動も同時に継続しています。

白畑会長は、そうした活動を評価して叙勲という栄誉に浴したことに感謝の意を、そして多くの関係者への御礼を申し上げたいとし、今後も日ロ両国の交流に資する活動を継続したいとされていました。

「伝達式」の席上、来賓や関係者の方達のスピーチが在りました。

ロシア側の来賓の方は「サハリンに、歴代の北海道知事を含むような“北海道代表団”がやって来るような場面では、何時もその傍らに白畑さんの姿が在ったということが思い出される」として、地域間交流を傍らで支えようとし続けて来た白畑会長御自身や<サハリン日本人会(北海道人会)>の真摯な姿勢を話題にし、「“友好交流への寄与で叙勲”という側面も在り、ロシア側としても今般の叙勲を大変な慶事として御祝い申し上げたい」とされていました。

日本側関係者の一方は、<サハリン日本人会(北海道人会)>が1990年に結成されて以来、28年間に亘る活動を続けていることに触れながら「白畑会長や現会員の皆さんに留まらず、多くの人達が活動に関わって来た経過が在る訳だが、そうした全ての人々に対する感謝を形にしようという国の意図が、今般の叙勲なのだと思う」とされ、「国が評価する立派な活動を続けていることを誇りに、活動を次の世代へ受け継がれることを、そして私達と手を携え合った取組を永く続けられることを希望する」とされていました。

<サハリン日本人会(北海道人会)>の皆さんによる一時帰国に関しては、稚内市でも「親族が待つ国への出入口」として永く関わって来た経過が在り、皆さんとは「何時も気持ちは隣り合った場所に在る。実際に物理的な距離も近い」という間柄です。そういう意味も在って、今般の白畑会長の叙勲については、心よりお祝い申し上げます。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 07:00Comment(0)話題

稚内駅に<ルースキー・テーレム>のメンバー??(2018.05.30)

稚内駅の建物に入って通り抜けようとしていました。

↓こういう看板を眼に留めました。
稚内駅 (1).JPG
↑「着物を着て街を歩いてみよう」という体験ツアーの案内で、国外からの来訪者を募るという意味で英語版の看板でした。

稚内でも国外から訪れる人達が時々目に留まるようになっていて、来訪者が増えるこれからの季節には、当然そうした国外の皆さんも増える訳です。

最近は日本国内の方々の街で「着物姿で歩いている一団」を視掛けることが在り、近くで擦れ違うと「国外からの来訪者の皆さんが“体験ツアー”に参加中」という状況だと気づくことが在ります。稚内でも実施している訳です。

そんなことを思いながら看板を眺めましたが、モデルの女性について「何処かで視た?否、会って話したことさえあったような?」と想いながら視ていました。

↓当然、視ていて、会って話したことも在った筈です。着物の体験ツアーの看板のモデルは<ルースキー・テーレム>のメンバーだったのです。稚内のステージで御馴染みな雰囲気の写真を使った「ようこそ!わっかないへ!」の看板と並んでいました。
稚内駅 (2).JPG

率直なところ、横の看板が無い状態で着物の体験ツアーの看板が在れば、「何処のモデルさんをお願いしたのか?」程度に思って通り過ぎてしまったかもしれません。

「地元の人気者」が、観光関係の看板でモデルを務めるというようなことは、幾らでも例が在るのだと思います。稚内市の友好都市であるユジノサハリンスク市を本拠地としている<ルースキー・テーレム>ですが、稚内でも継続的に何度も公演活動を行っているので、既に「地元の人気者」という扱い方な訳です。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 07:03Comment(0)話題