<草月流 生け花>のクドリャショーワ常任参与への「日本国叙勲伝達式」(2018.07.13)

サハリンでは「生け花」が存外によく知られています。

ロシアでは、何かと花を贈ることが盛んに行われ、そういう花を綺麗に飾るというようなことへの関心も高いのかもしれません。そういうことと結び付いて、何かの切っ掛けで紹介された「生け花」に関心を寄せる人が多く在るのかもしれません。

↓実は昨年から、「生け花」に関連する催しを、何度かサハリンで視掛けていて、その都度に「そう言えば…稚内では“生け花”に関連する催しというものに足を運んだことも無かった。というより、そういう催しに関して知らずに過ごしていた」等と思っていました。
>><生け花―サハリンでの道程>:草月流の展覧会 オープニング (2017.04.28)

サハリンでは<草月流 生け花>の活動が少し盛んに行われていますが、その活動の端緒を拓いた、草月流の常任参与であるアレクサンドラ・クドリャショーワ氏が、今年春の叙勲(本年4月29日発表)に際し「ロシアにおける生け花の普及を通じた対日理解への寄与」の功績により<旭日単光章>を受けることとなりました。

この勲章について駐ユジノサハリンスク日本国総領事から伝達が行われることとなり、総領事公邸で催された伝達式に御招きを頂いたので足を運びました。50名程度が場内に犇めき、地元メディアの取材も入った中で伝達式は行われました。

クドリャショーワ氏は、サハリンや他の地域で<草月流 生け花>の活動を展開している他、サハリンでは方々の庭園のコーディネートをする造園家としても高名です。他所とは一味違う、「日本庭園に着想」というスタイルなのです。

伝達式で挨拶に立たれた来賓の皆さんは、この造園家としてのクドリャショーワ氏の功績に口々に言及されていました。よく知られている仕事に<サハリン州郷土博物館>の庭が在ります。これに関しては「地元の住民に留まらず、サハリンを訪れる様々な国や地域の人々に強い印象を残す、“サハリンを代表する名勝”ともなっている」という話題が在りました。

↓こういう具合に、厳かに勲章と証書が伝達されました。
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今般は主にサハリンの関係者が集まった伝達式でしたから、式そのものは証書の朗読が日本語で行われてロシア語に通訳されたという以外、ロシア語のみで進められました。

受章されたクドリャショーワ氏は、込上げる思いを集まった皆さんの前で吐露されていました。

2002年頃に草月流を学び、日本側の関係者の熱心な支援の中で学んだ想い出や、日本とロシアとでは互いの芸術に互いに関心を寄せる共通項が在るということに気付いたことから始まり、次第に活動の輪が拡がり、色々な人達の協力を得たことに言及されていました。

↓今般はクドリャショーワ氏による生け花作品が会場内を彩っていました。
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クドリャショーワ氏が端緒を拓いた<草月流 生け花>の活動ですが、サハリンだけではなく、エカテリンブルグやソチでも盛んになっていて、各々が“独立的グループ”として活動を展開出来るまでになって来たそうです。ソチに在っては、児童生徒の課外活動に生け花が取り入れられ始めているそうです。

生け花に魅せられ、それを学んで普及の道筋を拓いたクドリャショーワ氏ですが、彼女が蒔いた種は日ロ友好の花を咲かせ始めていると言えると思います。
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<サハリン日本人会(北海道人会)>の白畑正義会長への「日本国叙勲伝達式」(2018.06.20)

サハリンでは<サハリン日本人会(北海道人会)>という団体が活動しています。第2次大戦以降にサハリンに残留した日本人に関する福祉活動、戦没者等の慰霊碑や墓碑の保全等の慰霊活動を行う団体です。

この<サハリン日本人会(北海道人会)>は、日本側パートナーということになる<NPO日本サハリン協会>と協力し、第2次大戦後にサハリン等に残留することとなった各地の皆さんの一時帰国や永住帰国等の取組をしており、他方で各地の慰霊碑等を保全する活動や、日本人来訪者の墓地訪問の御案内等の活動も続けています。

2018年4月29日に発表された「春の叙勲」で、<サハリン日本人会(北海道人会)>による福祉活動、慰霊活動への永年に亘る功績に対し、同会の白畑正義会長が<旭日双光章>を受章することとなりました。

その「伝達式」が、在ユジノサハリンスク日本国総領事館によって催され、平野総領事から<旭日双光章>が白畑会長へ伝達されました。稚内市サハリン事務所でも御招きを頂いたことから、伝達式に足を運んだところです。

「伝達式」には、90名前後の人達が参集し、地元報道機関の取材陣も集まり、何台ものテレビカメラが撮影しているような中で盛大に、同時に厳かに催されました。

↓白畑会長に<旭日双光章>と証書が贈られている場面です。
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↑筆者は、この種のモノが展示されているのを視た記憶は在りますが、実際に受章した方に伝達が行われている場面は初めて視ました。独特な厳かな雰囲気が漂います。

↓日ロ双方の大勢の参集者の前で、白幡会長が挨拶に立ちました。
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白畑会長は2009年に<サハリン日本人会(北海道人会)>の会長に就任されました。様々な事情で第2次大戦後にサハリン等に残留することとなった皆さんのことに関して、白畑会長御自身は「離散した家族や一族の問題」と表現されていましたが、戦後70年以上を経ても問題は残っているのです。白幡会長の就任以降だけでも、のべで746名が一時帰国をし、61名が永住帰国をしているそうです。

<サハリン日本人会(北海道人会)>では、サハリン州の色々な街に在る日本人に纏わる記念碑、慰霊碑に関して、それらの保全に努めると同時に、日本からの来訪者を御案内するような支援活動も同時に継続しています。

白畑会長は、そうした活動を評価して叙勲という栄誉に浴したことに感謝の意を、そして多くの関係者への御礼を申し上げたいとし、今後も日ロ両国の交流に資する活動を継続したいとされていました。

「伝達式」の席上、来賓や関係者の方達のスピーチが在りました。

ロシア側の来賓の方は「サハリンに、歴代の北海道知事を含むような“北海道代表団”がやって来るような場面では、何時もその傍らに白畑さんの姿が在ったということが思い出される」として、地域間交流を傍らで支えようとし続けて来た白畑会長御自身や<サハリン日本人会(北海道人会)>の真摯な姿勢を話題にし、「“友好交流への寄与で叙勲”という側面も在り、ロシア側としても今般の叙勲を大変な慶事として御祝い申し上げたい」とされていました。

日本側関係者の一方は、<サハリン日本人会(北海道人会)>が1990年に結成されて以来、28年間に亘る活動を続けていることに触れながら「白畑会長や現会員の皆さんに留まらず、多くの人達が活動に関わって来た経過が在る訳だが、そうした全ての人々に対する感謝を形にしようという国の意図が、今般の叙勲なのだと思う」とされ、「国が評価する立派な活動を続けていることを誇りに、活動を次の世代へ受け継がれることを、そして私達と手を携え合った取組を永く続けられることを希望する」とされていました。

<サハリン日本人会(北海道人会)>の皆さんによる一時帰国に関しては、稚内市でも「親族が待つ国への出入口」として永く関わって来た経過が在り、皆さんとは「何時も気持ちは隣り合った場所に在る。実際に物理的な距離も近い」という間柄です。そういう意味も在って、今般の白畑会長の叙勲については、心よりお祝い申し上げます。
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稚内駅に<ルースキー・テーレム>のメンバー??(2018.05.30)

稚内駅の建物に入って通り抜けようとしていました。

↓こういう看板を眼に留めました。
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↑「着物を着て街を歩いてみよう」という体験ツアーの案内で、国外からの来訪者を募るという意味で英語版の看板でした。

稚内でも国外から訪れる人達が時々目に留まるようになっていて、来訪者が増えるこれからの季節には、当然そうした国外の皆さんも増える訳です。

最近は日本国内の方々の街で「着物姿で歩いている一団」を視掛けることが在り、近くで擦れ違うと「国外からの来訪者の皆さんが“体験ツアー”に参加中」という状況だと気づくことが在ります。稚内でも実施している訳です。

そんなことを思いながら看板を眺めましたが、モデルの女性について「何処かで視た?否、会って話したことさえあったような?」と想いながら視ていました。

↓当然、視ていて、会って話したことも在った筈です。着物の体験ツアーの看板のモデルは<ルースキー・テーレム>のメンバーだったのです。稚内のステージで御馴染みな雰囲気の写真を使った「ようこそ!わっかないへ!」の看板と並んでいました。
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率直なところ、横の看板が無い状態で着物の体験ツアーの看板が在れば、「何処のモデルさんをお願いしたのか?」程度に思って通り過ぎてしまったかもしれません。

「地元の人気者」が、観光関係の看板でモデルを務めるというようなことは、幾らでも例が在るのだと思います。稚内市の友好都市であるユジノサハリンスク市を本拠地としている<ルースキー・テーレム>ですが、稚内でも継続的に何度も公演活動を行っているので、既に「地元の人気者」という扱い方な訳です。
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<自由港 コルサコフ>の広告看板(2018.04.22)

気持ちが好い青空が広がる日曜日の午後でした。

屋内スケートリンクを擁する<クリスタル>は、車輛の通行量が多いプルカエフ通とゴーリキー通とが交差する、ユジノサハリンスク市街南東の丘陵部の麓に在ります。その辺りを歩くと、ユジノサハリンスク等で「有力な広告媒体」と考えられているらしい、大きな広告看板が幾分眼に留まります。

その種の広告看板は、時々掲出される内容が変わっているので何となく眼が向くのですが、「海?港?」という空撮写真らしきモノが入った看板を眼に留め、近付いて視てみました。

↓こういう看板が在りました。
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↑「自由港 コルサコフ」と在って、問い合わせの電話やウェブサイトが紹介され、「誰でも“レジデント”に」というコピーが末尾に在ります。

“レジデント”(резидент)というのが、多少「耳新しい?」という語であるような感もします。日本語で、「外国語を“カタカナ表現”で採り入れてしまう」というのが在りますが、それに似ているかもしれません。この“レジデント”という語について、「自由港」というようなことに関連する話題以外で、正直、耳にしたことが在りません。“レジデント”という語は、英語であれば「居住者」という意味になります。

「自由港」というのは、「指定された地域内で、申請を経て“レジデント”の地位を得た企業や団体が、一定の優遇措置を受けながら申請した事業等を推進することを通じて地域の発展を目指す」というもののようです。元々は「居住者」という意味の“レジデント”ですが、ここでは「公認を受けた指定地域に立地して活動する企業や団体」を指し示す用語になります。

正式には「ウラジオストク自由港」と言い、「ウラジオストク」がその対象なのですが、ウラジオストクから離れた極東各地の港等についても「適用」の指定を行っていて、「“レジデント”の地位を得た企業や団体が、一定の優遇措置を受けながら申請した事業等を推進」することが目指されています。サハリン州では、コルサコフやウグレゴルスクがこの指定を受けており、ユジノサハリンスクで視掛けた看板にはコルサコフ港のことが取上げられていた訳です。

ロシアでは「極東」は「発展の余地が大いに在る」と捉えられているようで、その発展を促す方策が色々と考えられているのですが、この「ウラジオストク自由港」もそうした方策の一つということになります。

この「自由港」の肝となる考え方は「500万ルーブル以上を3年間投資」という事業計画を保護し、促すというものです。コルサコフでは、制度の導入から1年余りを経て幾つかの事案の話しが持ち上がっていると聞きますが、こうした広告を出して更に投資を募ろうとしていることになります。

何気なく眺めた広告看板でしたが、少し興味深いモノでした。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 07:00Comment(0)話題

氷が緩んでいる…:上空から望んだサハリンの海(2018.03.15)

新千歳空港からユジノサハリンスク空港へ向かうフライトに搭乗しました。

新千歳空港辺りは曇っていて、乗っていた飛行機は離陸して間もなく「雲の上を淡々と飛行」という具合になりました。

そういう具合になると、何やら眠気を催して、抗えずに居眠りに陥ってしまいます。

↓やがて高度を下げて着陸準備というようなアナウンスが流れると、急に眼下に「サハリンの景色」が拡がります。
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↑氷が浮かぶ海です。

↓2月には色々な状態になった海の氷を視る機会が在ったのですが、海上の氷は緩んでいる感じです。
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↑木曜日のフライトでは「午後5時半過ぎ」に、海の上から空港側へ進むことになりますが、現在の時季であればハッキリと機窓から下の様子が視えます。12月頃であれば、暗くて見え難い訳で、「季節が進んだ」というように思いました。

ユジノサハリンスクは、未だ氷点下10℃程度の気温にもなるようですが、それでも極最近は「プラス1℃」に到達した日も在ったようです。2月末から3月に入ってからの稚内の様子も視ていますが、ユジノサハリンスクの方が稚内より「やや雪が少ない」ような気もします。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 18:26Comment(0)話題

「プーチンの選挙」?(2018.02.14)

昨年末―速いもので、もう年が明けてから「丸2ヶ月」です。―のことでしたが、「2018年3月18日 ロシア連邦大統領選挙」という広報看板を視掛けました。

↓看板を視掛けた経過を御紹介しました。
>> <2018МАРТА>という看板(2017.12.26)

こんな看板を目に留めるようになった少し後、友人が「少し可笑しかったこと」と紹介してくれた話しが在ります。

友人の同僚が「一寸、教えて…」と尋ねて来ました。

「どうしたの?」と話しを聴くと、同僚は「プーチンの選挙は何時?」と尋ねます。

友人は「確か3月で…」と思い出し、近くに在ったモノの中に「3月18日」と書いて在ったので、それを教えてあげました。

やがて別な同僚が現れて尋ねました。別な同僚は「プーチンの選挙は何時?」と尋ねます。

友人は「さっきも言っていた人が居た。3月18日!」と即答しました。

そういう些細な出来事でしたが、少し経って友人は酷く気になりました。「“プーチンの選挙”というのは何だろう?」とです。

友人の同僚達が“プーチンの選挙”と口々に言及していたのは「大統領選挙」に他なりません。

↓実はそのプーチン大統領の写真が大きく載った看板をユジノサハリンスク市内で視掛けました。
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↑こういう街角の大きな看板は、サハリンでは「有力な広告媒体」と考えられているようで、色々なことで利用されているようです。

このプーチン大統領の写真が大きく載った看板ですが、所属政党の<統一ロシア>で用意したのか、支援者や支持者が用意したのか、“出自”がよく判りません。また、左側に「2018年3月18日」で、右側に「強き大統領。強きロシア」という文字が在るばかりで、「大統領選挙に立候補しているプーチン氏の宣伝」なのか否かが些か不明確な感じもしないでもありません。

上述の、選挙管理委員会が掲出する投票日を報せる看板以外で、大統領選挙関係と見受けられる広報関係のモノは、他にも色々と在るのかもしれませんが、この看板を視掛けただけです。更に、日本の選挙では“選挙カー”が街中を走り回りますが、その種のモノは今般の大統領選挙ばかりではなく、秋のサハリン州議会議員選挙でも視掛けませんでした。政党や候補者の関係と見受けられる、街頭の看板は色々と在りましたが。

「大統領選挙」を口々に“プーチンの選挙”と言う人が存外に居ることに気付いたということを話題にした友人は言葉を継ぎました。

友人は30代で、“プーチンの選挙”と言っていた同僚達も近い世代です。そういうような世代の人達にとって、「概ね人生の半分か、それ以上」が「プーチン政権の時代」です。更に30代の人であれば、日本の中学生や高校生に相当する年代、国政の仕組み等を学んで知るような年代以降、ずうっと「指導者」は基本的に変わっていない訳です。

こういうことなので“プーチン”という「大統領の個人名」が、半ば「大統領」という「一般名詞」と混同されてしまっているのかもしれないということなのです。

この選挙に関して、選挙管理委員会による「投票の呼び掛け」もなかなかに盛んです。

筆者は、夜の限られた時間に住まいのテレビを点けて視るのですが、その限られた時間の中だけでも「投票の呼び掛け」を趣旨とするコマーシャルが存外に多く流れます。

その「投票の呼び掛け」を趣旨とするコマーシャルの中、少し驚いた内容が在りました。

「3月18日の選挙で投票して下さい」と言われても、例えば「その3月18日の前後1週間は出張中で地元を離れている」というような事例は多く在ると思われます。

コマーシャルの中で、「投票日に他地域へ出ている方は、事前に選挙管理委員会に申し出て手続をして頂くと、出先で投票が出来ます。是非、予定が決まったら直ぐにその手続を!」と呼び掛けているのです。

例えば、ユジノサハリンスクに住んでいる方が、何かの都合でウラジオストクやモスクワ等に出る場面は幾らでも在ります。過日も、用事の在る方達と電話連絡を取ってみれば「ウラジオストクへ行くので空港に着いたところである」と応えた人や、「今はサンクトペテルブルグで、時差の関係で深夜だから寝ていた」と応えた人が在った―そういう時は戻る予定等を極々手短にお尋ねして「妙な時間にすみません。おやすみなさい…」ということになります。―ことを思い出します。こういうような、ウラジオストクやサンクトペテルブルグへ出掛けるという人は、事前手続きをして、本来のユジノサハリンスクの指定場所ではなく、ウラジオストクやサンクトペテルブルグの指定場所で投票が行えるというのです。

日本の選挙で行われる<期日前投票>は、嘗ては<不在者投票>と呼ばれていて、投票日当日の不在を理由に、投票日の前の定められた期間に指定場所で投票を行うことが出来る仕組みです。こういうのに対して、ロシアの盛んに宣伝されている仕組みは<滞在地投票>とでも呼ぶべき仕組みです。

こういう<滞在地投票>というルールが形成されたのは、「飽くまでも“投票日”に有権者が示す意志」を尊重するということなのかもしれません。

或いは、“プーチンの選挙”と「大統領選挙」の日付を友人に尋ねた人達は、2月頃や3月頃の色々な予定を思い浮かべていて、「場合によって<滞在地投票>というようなことも?」と想いを巡らせていたのかもしれません。

この<滞在地投票>というようなルールは、「ロシア全土の有権者」が投票を行うことが出来る、「大統領選挙」だけのルールなのだと見受けられます。地方レベルで、何人かの候補者の中から意中の候補に投票するようなことになっている選挙であれば、「滞在中の他地域で投票」というようなことをやり出すと、酷く混乱してしまいそうです。

こういう「社会の仕組み」に関することは、色々と興味深いものです。
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月がオレンジ色?―ユジノサハリンスクで視られた皆既月食(2018.01.31 - 02.01)

「スーパーブルーブラッドムーン」などと聞けば、アニメか特撮のヒーロー関係の何かの名前のようであると思ってしまいましたが、「1月31日の夜に視られる月」のことだと知りました。

「スーパームーン」は月が大きく視えることです。「ブルームーン」は、1ヶ月間に2回視られるという満月の、2回目の満月を指すということです。「ブラッドムーン」は、皆既月食で赤味を帯びた色になる月のことです。3つの現象が同時に発生しているということで、呼び名が「合体!!」ということで「スーパーブルーブラッドムーン」となるというのです。

この現象は、日本国内向けに出ていた情報によると、「20時48分頃に部分食が始まる。21時51分頃に皆既食が始まり、22時29分頃に食の最大となり、23時8分頃に皆既食が終わる。24時11分(翌2月1日0時11分)頃に部分食も終わる」ということでした。地域毎の「時間の前後」は無いということでもありました。

こういうことであれば、サハリンでは「日本で現象が観測される時刻“プラス2時間”の時刻」で、皆既月食が視られる筈です。

夜、暗くなってから「月は何処だ?」と暗い空を視ると、大きな満月が、ユジノサハリンスクの街の東寄りに在るスキー場のコースを照らす照明が視える辺りの上空で、力強く輝いていました。

やがて「20時48分頃+2時間=22時48分頃」を過ぎると、「月が?欠けた!?」という状態が見受けられるようになりました。

ここまでは、屋内の窓から視られたのですが、皆既食になるという「22時台+2時間=24時(翌2月1日0時)台」になると、月が南寄りの高い空に在る関係で、屋内から視えなくなりました。思い切って、防寒用の上着や帽子を確り着用した上で戸外に出てみました。

↓建物の上に、少し変わった色の月が視えます。
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↓少しだけ動き、街路樹の辺りで、電線等に妨げられない位置を見付けて月を見上げました。
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↑日本の報道では「赤銅色」と表現されている色ですが、実際に見上げていた時には「オレンジ色?!」と感じました。

最近はズーム機構を備えない“単焦点レンズ”のカメラを多用するのですが、この時はズーム機構を備えた方のカメラも用意しました。

↓可能な範囲で最大の望遠で、「ユジノサハリンスク上空に輝く皆既月食の月」を捉えました。
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↑こういう様子を視ながら「オレンジ色の月が溶けて♪時計を忘れたままに♪」という、かなり懐かしい感じの歌の歌詞が頭の中に過りました。

この時の戸外は、恐らく氷点下15℃程度だったと思いますが、珍しい現象を見上げていて寒さを忘れてしまいました。

そして一旦屋内に入って、「23時8分を少し過ぎた頃+2時間=翌2月1日午前1時8分を少し過ぎた頃」に戸外の月を見上げ易いような位置に再び出てみれば、「次第に明るい部分が広くなって行く」という、月が輝きを取り戻すような部分食が始まっていました。

更に2月1日の早朝には、前夜に暗くなってから月が視えていた東寄りと反対側、ユジノサハリンスクの街の西寄りであるレーニン通の側に、大きな満月が煌々と輝いていました。

輝く満月が陰り、やがて赤味を帯びた不思議な状態になり、暫らく経つと次第に輝きを取り戻すという現象は興味深いものでした。多少気に掛けて、何となくそれを観察したというのも、筆者自身としては余り前例が思い当たりません。が、そんな興味深い現象を視て面白かったということ以上に、「国境と無関係に展開する天体の動き」ということに想いが巡り、少し感動を覚えました。
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2018年を迎えました!!(2017.12.31-2018.01.01)

ユジノサハリンスクの12月31日は、「人が出ている」とも言える他方、「やや静かな日曜日」とも言えそうな雰囲気で、然程寒さも厳しくはない一日でした。商店や飲食店は、休業や短縮営業が目立ちました。

夜が遅くなるに連れ、方々で花火を上げている様子も見受けられるようになりました。午後11時を過ぎて、レーニン広場の辺りに足を運んでみました。広場周辺のレーニン通は車輛の通行を停め、広場で新しい年を迎えようという人達が大勢集まっていました。

徐々に集まる人も多くなる中、広場でも花火が多少上がり始め、午後11時55分頃になれば『新年まで5分』とでも呼べば好いのか、ロシアの歌謡曲で「新年を迎える前の定番」という音楽が流れ始めます。そして、「クレムリンの鐘の音」の録音で、「うゎー!」と歓声が上がって新年です。「Здравствуй! Новый Год!」(ズドラフストヴィ!ノーヴィー・ゴード!)と「新年よ!こんにちは!」というような歌詞が入った音楽が入ります。

↓そして盛大に花火です。ヨールカがより華やかになる感じです。
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↓どういう仕掛けなのか、色々な角度でドンドン花火が上がります。
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日中、この市庁舎の近所で「花火業者?」という車輛も視掛けていたのですが、随分と手を掛けて準備に勤しんだようです。

ロシアで「新年」と言えば、こういう広場に繰り出すというよりも「“シャンパンスカヤ”(スパークリングワイン)を用意し、テレビの前に集まって、クレムリンの鐘の音で新年を告げる様子を視ながらボトルを開栓でグラスに注いで乾杯し、“大統領の新年挨拶”というのを何となく眺める」という程度の過ごし方が定番らしいです。そういうことも聞いていたので、広場で「2018年が無事に到来」を見届けた後、直ぐに住まいへ引揚げて、用意して在った“シャンパンスカヤ”(スパークリングワイン)を開けて飲みました。

飲んで、休む前に戸外の空気を吸おうと玄関前に出てみました。方々で花火が散発するような様子は、日付が変わって1時間以上経っても終わっていないという按配で、少々驚きました。

そんな中、更に驚かされる事態が生じました。近所のホテルの方角に、大きな炎が上がり、暗い空に煙が少し拡がりました。

「ホテルの火事?」と心配しましたが、そうではありませんでした。華々しく乱発していた花火で、レーニン広場のヨールカに引火してしまったというのです。レーニン広場のヨールカは、金属の骨組みに針葉樹の葉を貼り付け、星の飾りを付けて電球を仕込んでいます。その針葉樹の葉が燃えてしまった訳です。夜中にも拘らず、起きている人が多い年越しでもあったので、素早く噂が駆け巡ったようです。

↓朝、様子を視に行きました。燃えたモノを片付けて、骨組みだけになってしまっていました。
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多少のハプニングのような出来事も在りましたが、とりあえず無事に「2018年」がスタートしました。

1月1日は「静かな祝日」という感じで、辺りはかなり静かでした。
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<2018МАРТА>という看板(2017.12.26)

「2017年」も本当に残り少なくなって来ました。

ユジノサハリンスクでは、「新年を迎える飾り」である「ロシア流なクリスマスツリーの“ヨールカ”」が華々しく輝いていますが、恐らく日本国内では大きなクリスマスツリー―11月下旬から12月初めに一時帰国した際、移動の途中に通った札幌で非常に大きなクリスマスツリーを久し振りに視ました。―が既に片付けられ、同じ場所に“迎春”とか“賀正”というような文字の入った「お正月の飾り」が出ていることでしょう。或いは門松を準備してある場所も在るかもしれません。稚内でも、市役所から近い辺りで毎年のように門松を一生懸命に準備している場所が在ったのが思い出されます。

例年、1月に何かで日付を書こうとすれば、「前の年の“年”を書いてしまう」というのを筆者はよくやってしまいます。週明けからは「2017年」ではなく「2018年」なのだと、頭の隅に置いておくようにしているつもりですが、今の時点から「うっかり間違えそう…」な気がしてしまっています。(書き間違えたとして、何か深刻な事態になるのでもないかもしれませんが。)

↓そんなどうでもいいようなことを想う年末、ユジノサハリンスクでは不思議な看板を視掛けるようになりました。
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↑ユジノサハリンスクでは御馴染な、通の脇に在る看板に<2018МАРТА>(2018年3月)というロゴマークが現れました。同じマークが、街を行き交う路線バスに広告として貼り付けられているというのも頻繁に視るようになりました。

<2018МАРТА>のロゴですが、「18」の色を変えています。これは本来「18МАРТА2018」と書くべきものです。ロシア語での日付の書き方として、一般的な書き方は「日/月/年」で、「18МАРТА2018」は「2018年3月18日」ということです。

この「2018年3月18日」は「ロシア連邦大統領選挙」の日であるとのことです。<2018МАРТА>のロゴの下にもその旨が記され、ロシア国旗の色のリボンのようなデザインが在ります。そして看板の左下に<ЦИК России>と在りますが、これはロシアの「中央選管」のことです。

↓ロシア語のウェブサイトが在って、写真の看板と同様の「大統領選挙のマーク」も載っていました。
>>Центральная избирательная комиссия Российской Федерации

大統領制の国での大統領選挙というのは「国で最大の選挙」であることは間違い在りません。「外国のニュース」ということになりますが、日本国内でさえも話題が伝わる場合も在ります。ロシアに関して、余りそういうような話題―有力候補の活動、情勢分析、有力候補の過去の言行のこと等々―は聞こえません。

ロシアの大統領選挙を巡っては、「“結果”は想定済み」という雰囲気で、「選挙と言えば、毎回出ている御馴染な人達の名前と顔を久し振りに視るという話し…」と“盛り上がり”というようなものは感じられません。

他方、「大統領の新たな任期のスタート」という状況で、連邦政府や各地の地方の行政府で「人事が色々と…」という観方、漠然とした期待や不安のようなモノは「何処となく漂っている?」ような感は少しだけします。

いずれにしても「2018」と大きく書かれた看板が目立つようになっても、違和感が少ない程度に、2017年の日々も残り少なくなりました。そして考えてみると、曜日の関係で「2017年に稚内市サハリン事務所のオフィスを開ける日」としては、12月29日が最後となっていました。序でに、4月下旬からリニューアルということにした稚内市サハリン事務所のブログですが、この記事が「400本目」です。
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ヨールカの点灯:サハリン州政府本庁舎前(2017.12.16)

12月は早くも「折り返し地点」に至った感です。「年末年始」が間近になったような気もします。

ロシアでは「ヨールカ」と呼ばれる「ロシアの流儀のクリスマスツリー」が飾られますが、「ロシア正教のクリスマス」は「教会の催事では古い暦を現在でも使用」という事情の故に「1月7日」なので、「ヨールカ」は寧ろ「信念を迎える飾り」という感が強めなようです。

ユジノサハリンスクにもその「ヨールカ」が登場しています。日本やヨーロッパや方々の国々で祝う「12月25日」のクリスマスより「若干遅い日付の祝い」ということなので、ロシアの「ヨールカ」は、他の国々より「やや遅め」に準備が整って、灯りが入る傾向が在るようです。

ユジノサハリンスクの街では、「一気に準備を整えて、一気に灯りが入る」という感でもなく、何か「順次、準備が整えられて行く」という感で「少し飾りが増えた?」、「あそこに新たに灯り?」というような具合になっていました。

こういう中、「際立って大きなヨールカ」はサハリン州政府本庁舎前に据えられています。建物との比較で、ヨールカの高さは20m前後は在ると見受けられます。州政府本庁舎前のモノは<知事のヨールカ>と呼ばれているようです。

この<知事のヨールカ>は、随分と時間を掛けて準備が進められていました。何度も「試験点灯」を繰り返すようなこともしていた様子を視ました。それが12月16日の土曜日に「いよいよ点灯!」ということで、催しの旨のテレビコマーシャルまで流れていました。

この種のモノの“点灯式”とでも言えば、何か立場の在る方や、著名人のゲストが壇上に登場して、スイッチのようなモノを押して「点灯!」となって、喝采が沸き起こるというような様子を連想します。そういう状況を想像して、サハリン州政府本庁舎前にコマーシャルにも在った「午後6時」の催事開始の少し後に足を運んでみました。が、様子は何となく想像したモノと大きく異なりました。

<知事のヨールカ>の点灯ですが、特設ステージでの劇によって点灯へ導かれるという趣向で、午後6時過ぎからその劇が始まり、点灯されたのは午後7時10分過ぎでした。サハリン州政府本庁舎の周辺、コムニスチーチェスキー通の車輛進入を停めて催しが行われ、老若男女、夥しい数の人々が集まっていました。

特設ステージでの劇は、ストーリーとしては「壮大なファンタジー」かもしれません。

サハリン州設立70年、ユジノサハリンスク市建都135年であった記念すべき2017年が過ぎようとしている中、新しい年を迎えようと色々な人達が集まって歌や踊りを繰り広げています。

そういう中、「食べ物が美味しいサハリンは居心地が好い」等としながら<記念の年を司る精霊>がやって来ます。好い一年を振り返り、更に好い一年を迎えようということになり、<マローズじいさん>と孫の<スネグーロチカ>(雪娘)が迎えられます。

「国中で最も早い方で新しい年を迎えるサハリンの人々よ!」と<マローズじいさん>が言えば、「佳き土地の善き人々よ!」と<スネグーロチカ>は言い、居合わせた<記念の年を司る精霊>と会えたことも含めて「大変に素晴らしい!」ということになります。

早速「新しい年の扉を開けなければならない」ということになるのですが、扉の鍵を預かっているという<記念の年を司る精霊>が「無い!何処かで無くした?忘れて来た…」と言い出します。

<マローズじいさん>は、<季節の女神達>を訪ねて鍵の在処を探ろうと言い出し、季節を巡る旅が始まります。秋、夏、春と順に巡り、<秋の女神>、<夏の女神>、<春の女神>が次々に現れ、歌や踊りを交えてサハリンの人々の季節毎の暮らしの様子や、催事や産業上の成果等の話題が提起されます。

<春の女神>が、サハリンの人達は春になれば“スボートニク”と呼ばれる奉仕活動に集まって、街のゴミを集めて清掃を立派に行うということを紹介すると、<ゴミのモンスター>が現れます。

<ゴミのモンスター>は、「大事なモノはゴミの山に埋まっているかもしれないぞ…」等と言い出します。そこに<冬の女神>がやって来て、四季の女神達が揃い、<マローズじいさん>達と一緒に「皆の願いで新しい年の鍵を引き寄せよう!」ということになり、「奇蹟だ!!」とその鍵が現れます。

こういう壮大なファンタジーが展開し、いよいよ「カウントダウン」になります。

↓「3!2!1!」と盛り上がります。
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↓「来る新しい年を祝して!」と灯りが入り始めます。
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後ろの方に特設ステージの様子が視えるモニターまで設置で、壮大な―「制作費がどの位?!」と野暮なことを考えてしまう程度です。―ファンタジー劇が展開し、そしてヨールカに点灯です。

正直なところ、0℃程度と見受けられ、少しずつ気温が下がっていた中、多少「寒さがキツい…」と思い始めた頃、漸く点灯で、少し安心した次第でした。小さな子ども達も大勢いましたが、真剣に劇に見入っている子ども達が多く、少々驚きました。

↓やがてヨールカの灯りは色を変え始めます。
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こういう時点になると、流石に「無事に点灯で安心」と素早く引揚げることにしました。

↓「より好い一年を迎えられるように」という願いが籠ったヨールカは、暫くの間、静かに輝き続けることになります。
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posted by 稚内市サハリン事務所 at 06:50Comment(0)話題