海獣のオブジェ:ガガーリン公園(2018.09.11)

現在の<ガガーリン公園>に関しては、同じ場所が豊原時代に既に<豊原公園>と呼ばれていました。

その<豊原公園>の時代に「王子ヶ池」と呼ばれていた池は現在でも在ります。

↓その池の畔です。
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↑海獣のオブジェが据えられていますが、何か少しリアルな感じで、ぼんやりしていると「動物が居る!?」と驚いてしまいそうです。

サハリン州に関して、ロシア国内等に向けて「島々から成る州」という紹介がされることが在ります。「海に浮かぶ島」ということで、像のような海獣が「地域の象徴」のように考えられているようで、それを踏まえて公園にこの像が登場したのだと見受けられます。

未だ日中は温かいので、<ガガーリン公園>には存外人出が見受けられます。静かになる、少し寒い時季ももう少しという感です。
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観覧車:<ガガーリン公園>(2018.08.02)

現在のユジノサハリンスク市街の基礎のようになっている「豊原」の都市建設が始まった頃から「公園」であった場所が、現在も<ガガーリン公園>となっていて、多くの市民が憩う場所となっています。

↓宇宙飛行士のユーリー・ガガーリンを記念して、<ガガーリン公園>という名称になってから半世紀を経たということは、過日このブログでも御紹介したところでした。
>><ガガーリン公園>として「50年」(2018.06.17)

最近は「夏らしい」という感の温かい日も増え、児童生徒や学生の夏休みで、一般の人達も各々に休暇を取得する場合も在る時季に入っているので、ガガーリン公園は何時でもなかなかに賑わっています。

園内は散策路が整備され、スポーツを行う施設等も在るのですが、多くの遊具を備えた“遊園地”も在ってなかなかに人気です。

↓その“遊園地”の観覧車です。
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↑存外に古くから在ることを想起させる、クラシカルな美しいデザインの観覧車であると思います。何処かの旧い映画にでも登場しそうな感です。

↓青空を背景に、ゆったりを園内や近隣を望む観覧車がなかなかに映えます。
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“遊園地”には、こういう老若男女がゆったりと楽しめるモノの他、「挑戦?怖い?」というタイプの遊具も在ります。曜日や時間帯にもよるでしょうが、「大行列」という程でもない感じで愉しむことが叶うようです。
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25℃超の日…:<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>(2018.07.21)

雲が多く、少し湿った空気という朝の気温は15℃を切っていたという土曜日でした。日が高くなって行く中で、雲が流れ去って青空が覗くとドンドン気温が上がりました。

↓こういう具合に、青空と陽射しが眩しいような状況で、気温が25℃を超えました。
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↑丸い独特な形の屋根“クーポル”が陽射しを跳ね返しているのが眩しいのですが、大聖堂を見上げると、青空に吸い込まれそうな感でした。

25℃を超えたのは「今季初めて?」というような気がしました。歩き回れば酷く汗をかきました。

こういう状況であった日中ですが、夕刻には雲が多くなって俄かに薄暗くなり、少し強めな夕立が見受けられました。

漸く“夏”という趣が強くなった感のユジノサハリンスクです。
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<遠藤米七記念碑 メモリアル>の除幕式(2018.07.19)

ユジノサハリンスク都心部の少し北東に寄った辺り、<ガガーリン公園>の出入口の一つ、大きな池が在る辺りに「非常に目立つ大きな建物」が在ります。

↓<メガパレスホテル>というホテルです。
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↑近くを通ると「仰々しい感じのビル…」と、思わず見上げてみたくなります。

2006年にオープンしたホテルです。

↓オープン当時の様子を御紹介した記事が、稚内市ウェブサイトのサハリン関係のコーナーにも在りました。
>>極東一を誇る「メガパレスホテル」がグランドオープン(2006年5月)

地上10階建てで地下も利用されている建物なのですが、幅が広い構造物が複数組み合わさっているような外観で、辺りは公園で背が高い建物が無いことから、物凄く大きく視えます。

宿泊施設の他に、レストランやナイトクラブが在り、会議室等も色々と利用されている施設です。ホテルは、連邦政府の要人がサハリンを訪れた際に滞在することがある場所としても知られています。

下記のホテルのウェブサイトで、館内の写真等が色々と御覧頂けます。

↓<メガパレスホテル>のウェブサイト(露語)
>>Mega Palace Hotel - Главная

話しは、この大きなホテルが建設されようとしていた2003年に遡ります。

<メガパレスホテル>の運営に携わる会社のアン会長は、自身の会社で手掛けようとする、サハリン随一の規模、極東屈指のものになる筈のホテルが出来上がる様子を思い描きながら、建設予定地を検分していました。

2003年頃というのは、サハリンでの資源開発を軌道に乗せようという動きが活発であった時期に相当し、俄かにビジネスマン等のサハリンへの出入りが盛んになっていた中、ホテルビジネスに注目が集まっていた時期でもあります。そして社会資本の整備が進み、商業や各種サービス業も盛んになって行き、地域の人達の所得も伸びていたという時期です。そうした追い風を受け、<メガパレスホテル>の計画も注目されていたようです。

アン会長は、そのホテルの建設予定地の中に、奇妙なコンクリートの塊が立っていることに気付きます。道路側からも視えたそうですが、概ね4mもの背が高い構造物でした。

「一体、これは何なんだ?」とアン会長は思い、そのコンクリートの塊を視ながら考えたそうです。「この型は、記念碑の台座か何かではないか?」とです。そして「恐らく、旧い時代に大切にされていたのであろう。粗末にも出来ないのではないか?」と思い、「これを保存し、可能であれば少し綺麗に整備すべきではないだろうか?」との考えに至ったそうです。

そこでアン会長は関係者を集めて協議し、不思議な“台座”を保存すべく、ホテルの建物を建てる場所を数メートル道路側にスライドさせました。そして“台座”はホテルの建物の裏、レストランのテラスの脇に残ったのです。

その後、「現在の<メガパレスホテル>の場所に、4メートル程度の高さの、記念碑の台座らしきモノが在る。あれは一体、何なのか?」という疑問が解決されるまでに数年を要しました。地元の歴史研究者等、色々な方に尋ねながら調べ続け、コンクリートの台座が1936年に建立された<遠藤米七記念碑>の台座であったことが判明しました。

「遠藤米七」という人物は、樺太時代の実業家です。建設業を核とする企業グループ<遠藤組>の創業者で代表を務めていた他方、1920年代に設立された豊原商工会議所の初代会頭を始めとする公職を多く歴任し、他方で数々の社会事業への協力を惜しまず、方々への多額の寄附を行った篤志家としても知られた人物とのことです。

日露戦争後、南樺太に移り住んだ最初期の入植者達の中に、遠藤米七の姿が在りました。遠藤米七が営んだ<遠藤組>は、様々な社会資本整備や施設建設の需要が在った南樺太で、建設業者としての実績を積上げて成長を遂げて行きました。<遠藤組>が手掛けたという建物等は現在でも残っているものが見受けられるとのことですが、最も有名であるのは往時の<樺太庁博物館>の建物、現在の<サハリン州郷土博物館>の建物ということになるでしょう。

1935年に遠藤米七が逝去し、翌1936年には当時の豊原市長が発起人となって記念碑が建立されたとのことです。

↓<遠藤米七記念碑 メモリアル>の除幕式の会場に、1936年建立の記念碑の写真が展示されていました。
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↑4m程の台座に、3m程の銅像が乗っていたのです。

↓外観を美しく整えた台座に幕が掛かった状態のものが、40人程度集まった除幕式の参集者やメディア関係者を迎えました。
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↓そして、アン会長とゲストの平野駐ユジノサハリンスク日本国総領事とで除幕が行われました。
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大きな建物を建てようという場合、「数メートル位置を変える」というようなことは、簡単には出来ないようにも見受けられますが、そうまでして「大切な記念碑」を伝えようとして頂いた関係者の皆さんの御尽力には感謝しなければならないでしょう。

↓<遠藤米七記念碑 メモリアル>は<メガパレスホテル>の裏に、こういう具合に佇んでいます。
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↑館内に入って、レストランを通り抜けてテラスに出る以外には、道路側から正面入口の左側に向かって壁沿いを進み、テラスの辺りに至れば直ぐに近付けます。

↓記念碑と、その台座が保存された経過を記したプレートです。
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「樺太時代」を伝える、「旧くて新しい場所」が登場しました。
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スキー場<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>の山頂にて…(2018.07.08)

ユジノサハリンスク市街の東寄り、丘の上に在るスキー場<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>は、オフシーズンには「大展望台」の様相です。

日曜日の午後―と言って、午後5時台でしたが―に、「久し振りに好い感じの晴天」であった状況に誘われて戸外に出て、ゴンドラで山頂に上ってみました。

↓「何時の間に立っていた?」という、少し面白い看板を見付けました。
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↑ロシア国内では携帯電話等で御馴染の通信会社が提供した、広告も兼ねたモノですが、「ユジノサハリンスクから方々への方角や距離」が示されているような看板です。

「遙かな北西」のサンクトペテルブルグは、ユジノサハリンスクから9772㎞とのことです。「少し南西」のウラジオストクは1651㎞とのこと。

上の方から、この辺りまでは好いのですが、そこから下は「方角??」と思いました。

韓国のスキー場が1660㎞という距離は正しいのでしょうが、「南東?何故?」という感です。日本のスキー場の<ルスツリゾート>も447kmは正しいのでしょうが、殆ど「東」の方角を示しています。10406㎞のカリーニングラードや、913㎞のハバロフスクも「真北、または北東」という方角です。

↓「どうなっている?」と首を傾げ始めると、こういう状態に気付きました。
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↑「モスクワ9337㎞」というのが「ずり落ちた」ようになっています。何かの拍子に、この看板の「方角」は少しずれてしまったのかもしれません。

看板に掲げられた遠い土地ですが、何れも「地図上で直線を引いた距離」だと思われます。この種の看板は方々で色々な例を視掛けますが、視る都度に少し面白いと思います。
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ユジノサハリンスクの<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>(2018.07.08)

日曜日の朝は雲が多い感じでしたが、天候は時間を追って好転し、午後からは「よく晴れている」という状態になりました。他方で、気温は20℃に届くか届かないかという具合でした。寒くはありませんが、暑いという程でもありません。爽やかな雰囲気でした。

↓久し振りに、“オフシーズン”は「大展望台」という様相のスキー場の上に上りました。
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↑往復で300ルーブルの券を求めて上った山の上から視えているユジノサハリンスク市街ですが、「日頃、動き回る機会が多い」ような場所は粗方が眼下に視えています。

下の中央やや左寄りに競技場や大聖堂が視え、右側に向かうと<ガガーリン公園>の緑地が在って、日本国総領事館も入居している<北海道センター>の建物が認められます。

気温が高いという程でもないので、遠景が「モヤーッ」とした雰囲気にならず、景色がスッキリと視えました。上空の雲は、一定の速さで流れていて、時間が少し経つと雰囲気が少し変わりました。

↓偶々ですが、丁度1年前にもこの場所に立寄っていました。
>>ユジノサハリンスクの<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>(2017.07.08)

昨年は「急に暑くなった…」という中で、今年は「珍しく好天な休日」という中で、各々にこの場所に寄っています。

「街を一望」という場所は方々で見受けられるのだと思いますが、何れも一寸寄ってみて、なかなかに愉しい場所だと思います。ユジノサハリンスクでは、この<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>がそういう場所の代表格だと思います。
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<ガガーリン公園>として「50年」(2018.06.17)

ユジノサハリンスクの街の都心部で、北東寄りな辺りに「市民の憩いの場」として親しまれている<ガガーリン公園>が在ります。

街の少し東寄りを南北に延びているコムソモリスカヤ通を北寄り側へ進み、東西に延びるサハリンスカヤ通との交差点が視えるような辺りに公園の“メインゲート”が在ります。

↓<ガガーリン公園>という名前の由来になっている、「初めての有人宇宙飛行」を成し遂げたユーリー・ガガーリンの像が入口近くに設置されています。
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↑見上げるような感じになる、背が高い台座の上にガガーリン像が載っていますが、大きさが少し判り悪いように思います。ガガーリン御本人は小柄な方だったとは聞きますが、それでも等身大のようにも、等身大より一回り小さいようにも見える微妙な感じです。

↓普段から公園のイメージの看板、催事に因む飾りや御報せ、または広告らしきものが見受けられる場所ですが、ここに「公園の歴史」のような紹介が入った内容の看板が掲出されていました。
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↑画の左側、看板の一部にモノクロの人物写真が入っています。宇宙飛行士のユーリー・ガガーリンの肖像写真です。

「公園の歴史」の内容を読んでみました。

1906年、“豊原”の都市建設の中で現在地が「公園」ということになりました。1946年には、ユジノサハリンスク市における「公園」という指定を受けています。

1968年、「初めての有人宇宙飛行」を成し遂げたユーリー・ガガーリンが他界した際、「ガガーリンを記念した公共施設を」という市民の請願が起こり、この公園を<ガガーリン公園>と命名したということです。

2018年は、<ガガーリン公園>となってから50年、半世紀となった記念の年ということになります。

↓この日に初めて気付いたのですが、何時の間にか園内に在った看板です。未だ新しいモノのように見受けられました。
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↑「ハート」を「愛する」という意味の「リュブリュー(люблю)」と読ませ、「ヤー リュブリュー パルク」、「アイ ラブ パーク」ということにしている訳です。

この「ハート」を「愛する」という意味の語に読ませるという看板やイラストのようなモノは、方々で視掛けるような気がします。ロシアと言わず、日本国内でも少し前に視掛けました。

ユジノサハリンスク市内で、「公園」を意味する「парк」(パルク)という呼称を持つ場所は、この<ガガーリン公園>だけです。それ故に、地元の人達は<ガガーリン公園>を指し示して、漠然と「パルク」と表現する場合が多々在ります。

実際、昨年の4月、5月に筆者がユジノサハリンスクに来て、この漠然とした「パルク」を聞いて「何処の?」と思いました。ユジノサハリンスク市内には、日本国内の感覚で“公園”と呼びたくなる都市緑地が多く在ります。それらは「広場」を意味する“сквер”(スクヴェール)と呼ばれていたり、近くの目印になるモノを挙げてみる、「〇〇通と〇〇通との交差する辺り」という言い方をするなどして場所を特定しています。

<ガガーリン公園>で待ち合わせでもしようということになれば、「パルクで会おう!」ということになりますが、厄介なのは公園が広いことです。そういう場合には「パルクの〇〇の場所で会おう」と言います。そういう場合の「〇〇」の例として、ガガーリン像は御馴染な例の一つということになります。
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<稚内市樺太記念館>(2018.05.26)

今回は「稚内市内」のお話しです。

5月25日、稚内市内の<稚内副港市場>に<稚内市樺太記念館>がオープンしました。

<稚内副港市場>はJR稚内駅から然程遠くない国道40号沿い、稚内港の繋留濠となっている第一副港の辺りに在る―駅からゆっくり歩いて15分弱という感です。―施設で、館内には温泉浴場や飲食店等が入っています。ここに「通年開館の郷土資料館」と言っても差し支えない展示施設がオープンしました。

↓<稚内副港市場>の2階に在る、存外に広い場所を利用した施設となっています。
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全国樺太連盟から寄贈を受けた貴重な資料を中心に、展示内容を入れ替えながら展示するようになっているようです。

現在は樺太から引き揚げて来て活躍した経過が在る横綱の大鵬に関連する展示や、稚内と樺太とを結んでいた船が発着した稚内港北防波堤ドームに関係する展示が目立っています。

↓館の入口近くの大き目な柱に、古い樺太の絵葉書をポスター風にしたモノが掲出されていて、こちらも少し興味深く視ました。
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1905年から1945年の“樺太時代”を核に、サハリンやサハリンと関りが深い稚内のこと、その他の企画展示が行われる場所となります。今後の活動に期待したい、色々なことを学ぶことが出来そうな資料館です。

午前10時から午後5時の開館(入館は午後4時40分まで)となっています。
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上空から望むサハリン島西部の海岸線(2018.05.19)

現在、サハリンと日本国内を往来するとすれば空路を利用する他在りません。

ユジノサハリンスク空港と新千歳空港や成田空港とを結ぶ便の他、ウラジオストク空港へ飛んでから乗換て成田空港へ向かうというようなルートも在り得ます。他にも可能性が在るのかもしれませんが、そこまでは調べていません。

↓ユジノサハリンスク空港を離陸して、10分経つかどうかだと思いますが、機窓の様子です。
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↑天候が好いと、普段は視る機会が無い「上空からの眺望」が面白いので、経過した時間が気にならなくなります。

一時帰国のために搭乗した飛行機は西寄りな空へ上昇しました。山がちな地形が視えて、直ぐに海が見えました。そして西海岸です。

飛行機は後部の列、右の窓側に陣取りました。上の画は、概ね「南側から北側へ海岸の線を望む」ような感じです。
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旧 王子製紙眞岡工場(2018.04.24)

ホルムスクに立寄る機会が在りました。

樺太時代には「眞岡」(まおか)と呼ばれていたホルムスクには、樺太時代に建てられ、ソ連時代にも長く稼働していたた製紙工場の跡が見受けられます。

↓多少、御無沙汰していたので一寸だけ、この工場の跡を眺めました。
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↑集合住宅が建っている、少し高い辺りから、日本海を背景にした概ね全体の様子が視えます。

↓少し角度を変えると、「街中に巨大な廃工場?」というようにも視えます。が、街の中心のように見受けられる辺りから少しだけ離れた辺りにこの工場跡は在ります。
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↑未だ辺りの草が伸びておらず、何か「早春らしい感じ」もしました。

樺太時代、「摂政宮殿下の樺太行啓」の少し後、1925(大正14)年8月に樺太旅行をした北原白秋は、旅行のことを綴った『フレップ・トリップ』の中で、眞岡のこの工場を訪ねたことを綴っています。

フレップ・トリップ (岩波文庫)




背後の海を視ると、廃工場となっている現在も、北原白秋が見学したというような現役の工場であった頃も、「きっと同じように、穏やかな日には碧く輝いていた?」というような感慨も湧き起こります。
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