CD:最近、見掛ける機会が減っている…(2018.08.16)

2011年か2012年頃まで、「サハリンへ出張」という場合に「何となく楽しみ…」としていたのは、「CD等の音楽ソフトを売っている場所を覗く」ということでした。

新旧様々な楽曲のCDが2011年か2012年頃まではユジノサハリンスクの方々で盛んに販売されていました。通常のプレーヤーで再生可能なモノの他、コンピュータ等で使う“MP3”のデータでディスクに100曲も収められたモノまで在りました。

その種のモノを見付けて、買い込んで稚内へ持ち帰るということをよくやっていましたが、何時の間にかその種の店が減っていました。店そのものが無くなってしまったという例の他、チェーン店の店舗数を減らして、主力商品をゲームソフトや玩具に切り替えているという例ばかりが目に留まるようになりました。

↓そういう中ですが、偶々「往年の有名バンドのベスト盤」というモノが売られていました。
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↑思わず入手してしまいましたが、発売されたのは2011年頃のようです。

この種の音楽ソフトは「ネットで音楽をダウンロード」というのが急激に普及し、急速に売れなくなってしまったようです。或いは、この辺の事情は日本や他の国でも少し似ているのかもしれませんが、ユジノサハリンスクではそれが少し極端なように思います。

更に言えば、CDを再生するようなオーディオ機器や、ノートパソコンに接続するディスクドライブのような機器に関して、家電店で覗きましたが、選択肢が少なくなっています。CDそのものを使う機会が減っているのかもしれません。

そういう状況ではありますが、1980年代後半から1990年代位に輝いていたロシアのバンドの作品は、確りCDで持っていたいと思いました。

レーニン広場の灯り(2018.08.18)

ユジノサハリンスクに在る時に「そう言えば稚内は?」と思い出すという機会以上に、最近は日本国内に在る時に「そう言えばユジノサハリンスクは?」と思い出す機会が増えたような気がしています。

↓稚内での用務に関連して、サハリンから出発する少し前の夕刻です。
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↑日を追って、こういう具合に灯りが入る時間帯が早くなっているのが感じられたところでした。9月に入ってからであれば、そういう度合いも強まることでしょう。

先日お会いした方が、このブログの「レーニン広場関係の写真」に関して「好い」と言って下さったので、「こちらでは未公開の画」が幾分在ったことを思い出していたのでした。

何時の間にか「9月」になっていました。

稚内港からコルサコフ港を目指すチャーター貨物船<サフアイランド>(2018.08.31)

↓稚内港の中央埠頭、国際旅客ターミナル前にサハリンのコルサコフ港から着いた貨物船<サフアイランド>が接岸しました。
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↑やや雲が多目で薄暗い感じもした他方、海は穏やかな状況でした。

稚内港とコルサコフ港との間は、航路の距離としては158㎞程度です。然程速くない船でも「出発すればその日の間に着く」ことが殆どという距離です。貨物船の中には、夜に出て早朝に到着して「朝一番での諸手続き」を待つという船も見受けられるようです。

現在、稚内港からサハリンへの輸出等を拡大することを目指し、貨物船をチャーターする取り組みが進められています。今般、その一環として貨物船<サフアイランド>が稚内港にやって来ました。

稚内港ではサハリンへ送られる貨物が次々と素早く積み込まれました。今回の貨物は、サハリンのチェーンスーパーでの販売に供される果物等の食品、ユジノサハリンスクで9月に催される<物産展>で販売される商品、建設中の施設で使用する各種の資材というような品物です。

今回は一部のモノについて、温度調整が可能な“リーファーコンテナ”を船上に用意し、生鮮品等を冷蔵状態で中に詰め、コルサコフ港ではそのリーファーコンテナを下ろして諸手続きを経て蔵置場へ運び込み、「冷蔵状態のままで輸送」という方式を試行するとのことです。

↓輸出通関を済ませて保税倉庫に保管されていたモノをトラックで船の脇に運び、フォークリフトで下ろして並べます。それをクレーンで吊り、船倉に順次収めて行きます。
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↑手慣れた関係者の皆さんが作業をするので、作業が始まると「存外に速い!?」という感じで、ドンドン貨物が船に収まりました。

「物流を盛んに」ということが目指されていますが、「輸送需要は?」という問いに対して「在る!」ということになっても「輸送手段は?」という具合になる感で、素早く状況が動くというのでもないのかもしれません。しかし、「チャーター貨物船の運航を順次広げている」という地道な情報発信を続けるなどしており、少しずつ輸送される品目や量は増えています。

今般、ユジノサハリンスクで建設中の施設の建物内で利用される様々なモノが貨物の中に見受けられました。多くの地元の皆さんが利用して親しまれるであろう施設ですが、そういうモノに「稚内港が関りを持った」ということになります。少し興味深いことです。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 16:34Comment(0)話題

土産向け?<双頭の鷲>の紋章が浮き彫りになったガスライター(2018.08.12)

愛用のモノが現に在って、特段に不具合が発生している訳でもないにも拘わらず、新しいモノを発作的に求めてしまう場合が無い訳ではありません。「また無駄遣いを…」という後悔先に立たずです。

↓こういうモノを入手してしまいました。
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↑ユジノサハリンスクの店で眼を奪われ、何気なく見た価格が「600ルーブル」で、「この位なら…」と次の瞬間には店のおばちゃんに「お願いします!」という次第でした。

↓箱から出すとこういう具合です。
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↑これはガスライターです。下の方から「ライター用ガス」を注入します。

売られていたモノを出して何となく試しに操作すると、火は普通に点きました。若干、ガスが入っていたようです。<ペンギン32>で稚内に引揚げた際の荷物に入れて稚内へ持ち帰りました。暫くそのままになっていたのですが、稚内で「ライター用ガス」を求めて注入してみると、ガスライターに特有な青い炎が点りました。

ロシアでの<双頭の鷲>ですが、これは「ビザンチン帝国(東ローマ帝国)を受継ぐ」という意思表示で、1497年にイワン3世が国璽(国家の表徴として使用される印章)に<双頭の鷲>を用いるようになったのが事始とされているようです。

やがて日本の江戸時代初期に相当する1613年にロマノフ朝が登場し、そのロマノフ朝でも<双頭の鷲>が使用され、1625年から3つの王冠が添えられた形になったそうです。

1917年のロシア革命後、ロマノフ朝の最後の皇帝であったニコライ2世が廃された後、<双頭の鷲>の出番は殆ど無くなってしまい、ソ連体制になって行きます。ソ連体制の後、1993年に<双頭の鷲>が復活しますが、最近使用されているモノとは少し形が違うモノが用いられました。そして2000年に現在使用されている、写真のライターに彫り込まれたモノとなりました。

こういうようなモノなら、ライターとしての実用性と無関係に「一寸、その辺に置いておきたい」ような気もします。しかし、モノは“ガスライター”ですから、飛行機で持ち帰ろうとする場合には、少し気を遣うことも在るかもしれません。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 18:46Comment(0)モノ

友好都市との各種会議について(2018年8月)

8月23日から8月27日の期間で、サハリンの友好都市であるネべリスク市(4名)、コルサコフ市(4名)、ユジノサハリンスク市(3名)、加えてサハリン州政府等(4名)の各代表団が稚内を訪れ、毎年継続している<稚内・コルサコフ定期航路利用促進合同会議>、<第11回 友好都市経済交流促進会議>を7月21日に稚内市内ホテルを会場に開催しました。

稚内市サハリン事務所としては、こうした会議の場合には、開催日程を決めた後にサハリンの関係先への御案内を届けて「稚内を訪れて会議に参加する皆さん」を纏め、渡航に関する査証取得等の手続きが必要な場合に対応を行います。その他、会議の進行に関することや、会議の中での「基調報告」や「基調発言」の準備等、会議そのものに関する調整を行います。他に滞在中の細かい予定が固まって行く中で、必要な連絡等も行います。

そういう事前調整を色々と行って、サハリン側参加者の皆さんを稚内港にお迎えし、会議を催しました。

8月から運航を始めた稚内・コルサコフ航路を利用して各代表団の皆さんは稚内へやって来ました。海上荒天の影響で運航予定の変更が生じた中、稚内での宿泊施設の混雑というような状況もあって、多少気を遣う滞在とはなりました。が、充実した会議を催すことが叶いました。

<稚内・コルサコフ定期航路利用促進合同会議>

「稚内・コルサコフ航路」に関しては、北海道とサハリンとを結ぶ重要な航路であるとして、「是非とも運航を継続したい」ということで稚内側、サハリン側の認識は一致していますが、そうした中で真摯な意見交換が行われました。

2015年に長く活躍した<アインス宗谷>が撤退した後、高速型双胴船で旅客輸送を専らとする<ペンギン>が宗谷海峡を行き交うようになって3年目ということになりました。定員80名と小型で、海上荒天の影響を受け易い現行の船による旅客輸送と従前とでは様子も変わっています。そういった状況を認識しながらも、従前と変わらず、旅客が利用し易い体制を目指すことが稚内、コルサコフの双方で目指されなければならないと話し合われました。

「旅客の快適性」という意味で“課題”も在るということで、稚内側とサハリン側との認識も一致しましたが、サハリン側から「サハリン州内での用途に向けて建造が計画される2隻の貨客船の中、1隻を稚内・コルサコフ航路で運用することも検討したい」という発言が在り、注目されました。

今年の運航の状況をみながら、今後に関しても検討がなされなければなりません。この<稚内・コルサコフ定期航路利用促進合同会議>は、稚内、コルサコフという「航路の発着地」としての旅客や貨物の輸送体制、利便性の向上に向けた意見交換を行おうとして起こった会議で、既に長い伝統を有するものとなっていますが、引き続き協議を行うこと、来年はサハリンで開催するということが合意されました。

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(会議の様子)

<第11回 友好都市経済交流促進会議>

稚内市と、ネべリスク市、コルサコフ市、ユジノサハリンスク市の3友好都市との間では、長い間に亘って地域の産業や経済交流に関する意見交換を行って来た経過が在ります。そうした中から起こった<友好都市経済交流促進会議>も既に11回目となりました。

各市からの「基調発言」を受けて意見交換を行うという、4市の間で定着している方式で会議は進められました。

「近年の流れ」という感もするのですが、最近は「観光振興への期待」が大きくなっている状況です。日本国内外の旅客が北海道北部を多数訪れている中、北海道北部と各友好都市が在るサハリン南部が「一体的な周遊圏」となって行くような姿が望まれます。

そしてこの会議では、各市の産業関連の話題が毎年のように紹介され、一部の市は「前年も話題にした事項の“その後”」が判るような内容の発言をする場合も在ります。

更にこの会議でしばしば話題になるのは、稚内商工会議所で25年間にも亘って続けている「研修生受入事業」です。こうした人的なつながりが「地域の尊い財産」ということで一致しました。

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(4市代表による議定書調印の様子)

この会議に関して、「来年はサハリンで実施」ということを合意しました。

<友好都市親善交流会>

2本の会議を終えた後、関係者が一堂に会しました。

この席では2本の会議の主な内容を伝える『議定書』の調印が行われます。

<稚内・コルサコフ定期航路利用促進合同会議>の議定書は稚内市とコルサコフ市の両代表が、<第11回 友好都市経済交流促進会議>の議定書は稚内市、ネべリスク市、コルサコフ市、ユジノサハリンスク市の4代表が各々署名しました。

『議定書』の後は楽しい懇談の席となりましたが、アトラクションとして<稚内海峡太鼓>が披露されました。勇壮な和太鼓の音、大人から子ども達までのメンバーの熱演が、サハリン側の皆さんに大変の好評でした。

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(<海峡太鼓>の様子)

こうやって毎年の仕事を着実に推し進めています。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 19:00Comment(0)話題

ロシアの“学習帳”(2018.08.19)

ロシアで「新学期」と言えば「9月1日」からです。サハリンもその例に洩れません。

8月の第3旬に入ろうというような時季になると、「〇〇ちゃんが新学期に学校で使うモノを用意しないと…」という具合に、色々な買物をしている親子連れの姿が散見します。「親子連れ」の延長線上のようなものかもしれませんが、祖父母に連れられた児童という例も比較的多く見掛けます。

偶々立ち寄った文具店で、メモ用のノートを求めた経過が在りましたが、その店では安価なノートは「学校用品」というモノが集められた箇所に在りました。

↓その「学校用品」のコーナーで、色々な用途に使うノートに交じって、こういうようなモノが在りました。
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↑メモ用に使おうとしていたノートは入手出来たのでしたが、面白いので序でにこれも求めてしまいました。サハリンの文具店でよく視る、A5変形というようなサイズの使い勝手の好いモノで、余分に持っていたからと邪魔になる訳でもありません。

大きくロシア語のアルファベットのデザインが表紙に描かれたノートです。何となく惹かれるデザインでした。よく視れば「ГЕОГРАФИЯ(ゲオグラーフィア)」、「РУССКИЙ ЯЗЫК」(ルースキー・イズィーク)、「ИСТОРИЯ」(イストーリヤ)と、大きくデザインされたアルファベットで始まる語句が下の方に入っています。

「ГЕОГРАФИЯ(ゲオグラーフィア)」は「地理」、「РУССКИЙ ЯЗЫК」(ルースキー・イズィーク)は「ロシア語」、「ИСТОРИЯ」(イストーリヤ)は「歴史」と、何れも「学校で児童生徒が学ぶ科目の名前」なのです。勿論、他にも色々と在るのですが、筆者は“Г”(ゲー)、“Р”(エル)、“И”(イー)というようなアルファベットの形が何となく好きであることと、小学生位の頃には歴史や地理や国語が何となく得意だったというノスタルジーで、この3冊を選んでしまいました。

これはロシアの“学習帳”とでも呼ぶべきモノです。この画のシリーズ以外にも、恐らく方々のメーカーで製造しているのでしょうが、色々なシリーズのモノが売られていました。

<サハリン友好都市青少年交流>の際に、ネベリスク市内の学校に御邪魔した経過が在りました。「夏休みで誰も居ませんが、教室の様子を一寸視ましょう」と学校の方に御案内頂きましたが、入った場所について「数学の教室」と紹介されました。

サハリンの学校、或いはロシアの方々の学校で一般的なのだと思われますが、教科担任制で各科目の授業を受ける生徒たちは「〇〇科の先生が居る各教室を巡る」ようにして授業を受けているということでした。日本国内では、教科担任制で各科目の授業を受ける場合、各科目の担当の先生が「X年X組」を順番に廻って授業を行っています。そこは「180度違う!?」と驚きました。

サハリンの生徒達は、この各科目の“学習帳”や教科書を抱えて、各科目の先生が待っている教室を巡っているのでしょう。そういう時季が間近になって来ました。

この“学習帳”ですが、中身は「普通のノート」です。ですから、「メモ用のノート」ということにして使うことも出来なくはありません。

↓それでも、表紙に掲げられた科目に関連する「豆知識」のようなモノが刷り込まれているページが若干在ります。
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↑「ГЕОГРАФИЯ(ゲオグラーフィア)(地理)」の“学習帳”には、地理の授業で話題になりそうな情報が幾分刷られています。「ロシアの島」というのが紹介されていてサハリン島は「面積がロシア国内の島として第2位」ということで掲載されていました。

偶々、一寸面白いモノに出くわしました。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 17:29Comment(0)モノ

ネベリスクの皆さんの土産:オリジナルカップ(2018.08.27)

8月24日、稚内で<稚内・コルサコフ定期航路利用促進合同会議>、<第11回 友好都市経済交流促進会議>が催されました。定期航路を巡って、またその他の地域間での経済交流を巡って各友好都市の皆さんと意見交換を行う恒例行事です。

当初は8月22日に稚内入りし、8月25日にコルサコフへ引揚げる予定でしたが、海上荒天の影響で運航の延期が相次いだことを受け、8月23日に着いた一行は8月27日の朝に引揚げて行きました。

各友好都市の皆さんが来る場合、皆さんが元気に到着して、有意義で愉しい稚内滞在をしてくれればそれで非常に好い訳ですが、彼らは大概は“土産”を持参します。

↓ネベリスクの皆さんから、こんな“土産”を頂きました。
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↑ネベリスクで「地域のシンボル」のようになっているトドの写真を使ったオリジナルカップです。

こうしたオリジナルカップは、最近のサハリンで見掛ける機会が増えたような気がします。この種のモノが気軽に作ることが出来るようになったという証左かもしれません。

稚内に在っても、このトドのカップを使うと、何となくネベリスクでの色々なことを思い起こすことが叶うかもしれません。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 18:40Comment(0)モノ

<復活主教座聖堂>(2018.08.17)

↓「日本風の設えを採り入れた」という話しの庭園の向こうに、ロシアの古い様式を採り入れている聖堂が見えるという場所が在ります。
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↑ユジノサハリンスク市内の「気に入っている眺め」の一つです。

庭園も未だ出来上がって数年ですし、聖堂も現在の姿になって20年に満たない筈で新しい感じなモノです。が、「異なる起源を有する、異なる時代のモノが同居」というのは、「ユジノサハリンスクらしい?」というような気がして興味深いような気がします。

久々に夜遅めな時間帯に辺りを通って眺めた光景を写真に収めましたが、そのうちに夕刻の早めな時間帯からこういう画のような様子が見られるようになって行きます。日が短くなり始めたことが自覚し易くなると、変化は「あっという間」となります。

プルカエフ通とレーニン通との交差点:夏の午後…(2018.08.19)

思い立って買物に出掛けた午後、プルカエフ通の辺りを歩きました。

曇ったり、晴れたりと変わり易い天候の中、晴れ間の時間帯に歩き回っていました。

↓陽射しが少し強めに感じられました。
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こうして陽射しが強めであれば、歩くとやや汗ばむのですが、気温は20℃を挟む程度でした。何となく季節が移ろっている感です。

<ピョートル大帝>と名付けられたブレンドのコーヒー豆(2018.08.19)

ユジノサハリンスク市内の少し規模が大きなスーパーを覗くと、「家庭やオフィスで頂くコーヒー」を淹れるためのモノが色々と見受けられます。インスタントコーヒーも、豆を挽いたモノも在りますが、コーヒー豆も袋詰めになって売られています。

コーヒー豆に関しては、「稚内市内のスーパーで出くわす頻度よりも、ユジノサハリンスク市内のスーパーで出くわす頻度の方が高い?」というように思うことが在ります。実際、家電製品等を手広く扱う店を覗けば、「コーヒー豆を挽く器具」そのものや、それが組み込まれたようなコーヒーメーカーが色々と売られています。コーヒーメーカーに関しては、日本国内でも多く見掛けるようなドリップ式を基礎にしたようなモノの他、エスプレッソマシーンの系譜と見受けられるモノも色々と在ります。

↓ユジノサハリンスク市内の大きなスーパーで見掛けて、コーヒー豆を求めてみました。
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↑500グラム入りで450ルーブルでした。

コーヒー豆に関しては、「ロシア国外の業者による製品が輸入されている」という、日本国内で出回っている―稚内市内では余り視掛けません―ようなイタリアの有名なモノまで在りますが、それらは上述の価格の倍や三倍という価格のモノも見受けられます。「手頃」と考えられる上述の価格の製品は、ロシアの企業がロシア国内や旧ソ連諸国を中心に販売しているモノと見受けられます。

ユジノサハリンスク市内のスーパーで、寧ろ「挽いてあって粉になっている」というコーヒー豆の方が種類が多く出ているように見えますが、豆も色々と在って、ロシア国内の会社で色々と工夫をしたブレンドを出しているようです。

写真のモノは<ピョートル大帝>という名が冠せられています。何となく趣が在るデザインの袋にコーヒー豆が詰まっています。

ピョートル大帝は17世紀末から18世紀初頭に活躍した皇帝で、サンクトペテルブルグの建設に着手した皇帝として知られています。そして当時のロシアでは「新しいモノ」であった文物や様々な制度を欧州諸国から導入することに積極的で、「何でも自身で試してみたい」とするような一面が在ったそうです。欧州諸国での「コーヒーの事始」に関しては色々な挿話が在るらしいですが、ロシアでのコーヒーに関してピョートル大帝が関わっているとは聞きません。が、ロシアでは「やや新奇?」であったコーヒーをピョートル大帝が用意して「おまえもどうだ?飲んでみろ…」と居合わせた廷臣に薦めて、廷臣が「恐れ入ります、陛下…」と首を傾げながら新奇な味のコーヒーを啜ってみる様子というのが「在ったかもしれない?」と想像してしまうものも在ります。

実はこのロシアの会社による、有名な皇帝の名を冠したブレンドは、「稚内で頂こう」と入手したもので、<ペンギン32>で無事に持ち帰りました。稚内のアパートで、ゆったりと頂いて―専用の器具で使う分の豆を挽き、ドリップ式で淹れています。―います。