晩秋…:<ガガーリン公園>(2018.10.26)

夏季には、曜日や時間帯を問わずに、存外に人々の姿が見受けられる<ガガーリン公園>ですが、秋が深まって「多少静か…」な時間帯が増えているように見受けられます。遊具やカフェ等の今季の営業は終了している様子です。

↓桜並木が紅葉した状態でした。
26-10-2018 park (1).jpg

↓好天に恵まれ、紅葉した葉が一層鮮やかに視えました。
26-10-2018 park (2).jpg

↓未だ枝に綺麗な葉が残っている箇所も多い他方、「足下に夥しい落葉」という箇所も見受けられました。
26-10-2018 park (3).jpg

こういう様子が視られるのも「あとどの位の期間?」というように感じます。昨年の同時季よりも「ほんの僅かに気温が高い?」という気もしていますが、「寒いですよね?」が挨拶代わりのようになる朝も少しずつ増えたような気がします。

滲む「十六夜の月」:レーニン広場(2018.10.26)

↓午前7時半頃です。未だ灯りが点いています。
26-10-2018 izayoi (2).jpg
↑レーニン像の背中側、西寄りの空には「十六夜の月」が滲んでいます。

↓数分間、様子を眺めていましたが、灯りが程無く消えました。
26-10-2018 izayoi (1).jpg
↑月は少し輝きを失って「沈んで行く少し前」という趣きで、相変わらず滲んでいます。

こうして早朝に月がよく視えましたが、日中も好天に恵まれました。

映画<Несокрушимый>(ニェサクルシームィー)=破れざる者(2018.10.25)

稚内市サハリン事務所からも極近い、コムニスチ―チェスキー通に面した辺りに映画館の<オクチャブリ>が在ります。

この<オクチャブリ>のコムニスチ―チェスキー通側は、恐らく“映画館”と称している施設ではユジノサハリンスクで最大と見受けられる、700名位は入れそうなホールが在ります。そして裏のカール・マルクス通側に廻ると、100名程度が入る小ホールも在ります。

この<オクチャブリ>裏のカール・マルクス通をよく通り掛かります。通り掛かると、<オクチャブリ>の建物の裏側の壁に眼が向きます。映画の広告看板が在るのです。

↓このところ気になっていた看板がこれです。
Несокрушимый.jpg
↑第2次大戦期のソ連軍の軍服を身に着けた、映画の劇中人物と見受けられる人達が出ている看板です。

第2次大戦期のソ連軍の軍服ということに加えて、画の左側の人物達は、当時のソ連軍戦車兵が使っていた少し独特なキャップを被っています。

ユジノサハリンスクでの映画上映ですが、上映の期間が何となく短めであるような気がします。1ヶ月まで続かず、2週間程度で終わってしまうような感さえします。そして、最初は日に何回か上映が、何時の間にか日に1回という感じになって、そして終わっています。当然、作品毎に状況は違うようですが、そういう状態なので「気になった作品を見逃す」という確率も少し高いように思います。

看板を視て作品が気になり、多少の情報収集を試みました。

↓公開されている予告篇です。


「凄い…画だ…」と、見付けた予告篇を何度も観てしまいました。

本作はKV-1(クリメント・ヴォロシーロフ元帥のイニシャルを採って、“KV”と呼ばれました。)という戦車を駆って、1942年の戦いで16輛のドイツ軍戦車を屠る勇戦をした戦車長が居たという史実を脚色した物語です。

予告篇動画の最初の方に在る、戦車が撃破されてしまう場面は、映画の冒頭の方に出て来ます。

セミョーン・コノワロフ大尉は、KV-1型戦車に乗り込んで指揮を執る戦車長です。この戦車には車長のコノワロフ大尉以下、ドライバー、砲手、様々な補助的な役目を務める兵士達と計5名が乗り込んでいます。

コノワロフ大尉の巧みな指揮で敵を撃破した少し後、辺りの様子を伺っていた時、思わぬ至近距離の物陰にドイツ軍の4号戦車が潜んでいました。コノワロフ大尉は乗員達に脱出を促しますが、その時には敵戦車砲の直撃を受けてしまいます。

その出来事から少し経った頃、未だ激しい戦いが続いている同地区のとある野戦陣地です。

戦車隊の前線駐屯地という場所にオートバイで乗り付ける者が在りました。野戦陣地での戦車の機関整備を指導するべく派遣されたエンジニアです。女性でした。このエンジニアは精力的に仕事をこなす他方、部隊の士官の名簿を視て、コノワロフ大尉の名を見付け「これはセミョーン・コノワロフか?」と確かめます。

前の戦いで部下達を失う羽目になり、自身も負傷していたコノワロフ大尉はこの野戦陣地に現れ、部隊の指揮官に着任を報告しました。

コノワロフ大尉はKV-1型戦車の<8号車>(ヴァシミョールカ)の車長に任じられます。彼が率いることになる乗員達は、戦場に遺棄された戦車から使える部品を集めて、自分達の戦車の整備をしようと一生懸命な年配のドライバーと、何時も彼に従っている若い兵士、食いしん坊のとぼけた感じの男ながら何でも器用にこなす男、幾つかの部隊を渡り歩いて世慣れた感じの砲手を務める軍曹の4人でした。

コノワロフ大尉は、この4人の新しい部下達と<8号車>(ヴァシミョールカ)を巧く運用するために“チームづくり”に執心しますが、<8号車>(ヴァシミョールカ)は機関に不具合が発生していて、運用に問題が在る状態でした。ここに女性エンジニアが現れます。実はコノワロフ大尉とエンジニアは古くからの馴染みだったのです。

そういう中、女性エンジニアに好意を抱いた部隊の副隊長である少佐との悶着等も起こる訳です。

少佐は、女性エンジニアが「未だ安定した状態ではない」という意見具申をしたことを敢えて無視して、<8号車>(ヴァシミョールカ)を威力偵察任務に送り出してしまいます。が、戦車は途中で動けなくなってしまいながらも、コノワロフ大尉の巧みな指揮で敵を屠り、味方の他の戦車の支援を受けて<8号車>(ヴァシミョールカ)は帰還を果たします。

やがて、更に大規模な両軍の衝突が発生しようという中、乗るべき戦車を失った形になってしまったコノワロフ大尉以下<8号車>(ヴァシミョールカ)の面々は、“戦車随伴歩兵”(戦車の上に乗って前線に移動し、敵陣地の掃討等の任務に就く歩兵)として出動することになりました。

ここから先に関しては、敢えて綴りません。コノワロフ大尉以下<8号車>(ヴァシミョールカ)の面々の必死な戦いが、映画のクライマックスです。

本作には世界的な配給会社が関わっていますが、ロシアの俳優達が、ロシアの先人達をモデルにした劇中人物達をロシア語で演じている、ロシアの監督による作品です。或いは日本語も含めて、何れ吹替えで各国に紹介されることが在るかもしれません。

そんなことも思いながら、「日本語吹替えなら、何と言うのか?」と気になった台詞が在りました。

コノワロフ大尉達が出発する際、女性エンジニアが出て行くコノワロフ大尉に言う言葉です。「生き残って…」か「死なないで…」が普通なのかもしれないのですが、何か「死なないように…して欲しいの…」という位が合いそうな気がする台詞でした。

本作は、「戦時の英雄譚」というような感でもありません。一介の指揮官と部下達が、何とか生き残ろうと必死だったという姿が、淡々と描かれる物語という感です。

実は<オクチャブリ>では、この作品を小ホールで上映する他方、一部は大ホールで上映しています。多分、大ホールでの上映が設定されるのは、公開の最初の方だけだと思います。今般、その大ホールでの上映の回に作品を鑑賞する機会が得られました。

作中には「1942年のロシアの戦線」に在った、KV-1や各派生型のT-34というソ連戦車、4号戦車の各派生型ということになるドイツ軍戦車やハーフトラックが「本物?!」という感じで動き回っています。そして両軍の戦闘機が上空を舞う短い場面も在ります。凄く手が込んだ画創りが為されていて、大スクリーンで観ると凄まじい迫力でした。

「死なないように…して欲しいの…」という感で必死な主人公達の様子は、観ていて少し熱くなるものも在りました。観た後は、多少の余韻に浸ってしまいます
posted by 稚内市サハリン事務所 at 07:24Comment(0)カルチャー

「十五夜の月」を早朝のユジノサハリンスクで望む…(2018.10.25)

前日に、少し長めの移動と、力を尽くして取組んだ催事が在って、早めに休んでしまったことから、必然的に早起きとなりました。深夜に一旦眼を開けて、また休んで目覚めたのが、未だ暗い午前6時前でした。

一寸戸外の様子を視に出ました。最近の「少し寒い…」という朝の中では「相対的に温かい」と思えた、多分5℃程度の気温です。

↓何か「不自然なまでに向こうが明るい」と様子を伺いました。
24-25OCT2018_moon.jpg
↑レーニン通に交わる、余り名を知られていないと思われる短めな通のインスチトゥーツカヤ通の並木上空に月が煌々と輝いていました。

日付は既に10月25日ですが、月齢は10月24日のモノである筈で、所謂「十五夜」の満月です。

深まった秋の「黄葉」の木が街灯に照らされ、その更に上から月光です。暫らくぼんやりと見入ってしまいました。

こうした天体現象は、国境と無関係にユジノサハリンスクでも視られます。当然と言えば当然なのですが、何となく感慨が湧き起こる場合も在ります。

ネベリスク:在ユジノサハリンスク日本国総領事館による<日本文化紹介事業>(2018.10.24)

サハリンには「在ユジノサハリンスク日本国総領事館」という日本の在外公館が設置されています。こうした在外公館には色々な役目が在る訳ですが、その一つに「管轄地域内の人々に日本文化に親しんで頂くような取組」が在ります。

在ユジノサハリンスク日本国総領事館では、日本の中高生に相当する年代の生徒達に向けて、学校を訪ねて文化紹介を行うことに取組んでいます。その種の催事は、ユジノサハリンスクでの開催ということが多くなる訳ですが「サハリンの他の地域での開催?」ということになり、稚内市との永い友好都市交流の経過が或るネベリスクでの開催ということになりました。

そういう計画が決まり「稚内市との永い友好都市交流の経過」に鑑みて、稚内市サハリン事務所にも何か関係の話題での講演と、文化体験での講師役という要請を頂き、筆者がそれに参加する運びとなりました。

訪ねたのはネベリスクの<第3番学校>です。1年生から11年生までの600人程度が学ぶ学校とのことです。場所に関しては、稚内市内の高校生とネベリスクの高校生相当年齢生徒とによる<サハリン友好都市青少年交流>でネベリスクを訪れた際に立寄っている場所でした。

ネベリスク市内には永く4つの学校が在ったということですが、2007年の地震災害で各校舎が傷んだこと、そして災害後に地域の人口が流出したことに鑑みて、学校は<第2番学校>と<第3番学校>の2校となったそうです。

<第3番学校>に関しては、地震災害後の2010年に完成した校舎を使用しています。「概ね400人が学ぶ」というような想定で建てられた校舎ですが、近年は「人口減少が多少落ち着き、災害前の人口に回復したでもない他方、児童生徒の数が多少増えた」という様子だということでした。

ネベリスク地区側、学校側ではネベリスク市内の2校と、隣町という形ながら日常からネベリスク市内との往来も盛んな“同一地区内”であるゴルノザヴォツクの学校の「9年生から11年生」、日本の中高生に相当する年齢の生徒達の参加を募りました。

そうしたところ、3校の「9年生から11年生」が130人程度、一部の教職員も加わってホールが溢れそうな参加者が集まりました。正直、驚きました。後から校長先生が言っていたのは、「あの子は8年生?」という生徒も散見したそうです。

1 集まった生徒達.jpeg

日本の文物に纏わる話題の講演に、多くの生徒達や教職員が関心を寄せてくれていました。様子を視る限り、皆さんがなかなかに真剣に話しを聴いていました。

最初は「日本の高校?」という話しです。学校が小学校、中学校、高校と在ることや、高校でのクラブ活動や学校行事、高校生を対象とした「将来の夢」というアンケートに関する話題等を取上げました。

続いて、筆者が担当したのですが、稚内とネベリスクとの交流に関することです。

2 稚内の話し.jpeg

稚内とネベリスクとの友好都市提携は46年前の1972年で、最年長が17歳というような集まった生徒達にとっては、多少想像し悪い昔です。「ソ連の指導者のブレジネフが米国のニクソン大統領と会談」という出来事が在ったと言っても、そういうのは“歴史の教科書”に出て来る挿話です。1972年には冬季が札幌、夏季がミュンヘンというようにオリンピックが開催されましたが、生徒達にとっては「冬季と夏季が交互に2年毎」という90年代以降のやり方の方が馴染んでいる筈です。

そういう古い時代、更に古い時代に<稚斗航路>で結ばれていたという縁等に鑑みて友好都市提携が行われたのでした。そうした歴史や、往年の航路が発着した辺りに築かれた稚内港北防波堤ドームのことや、当時走っていた鉄道車輛に関すること、稚内港北防波堤ドーム建設の際に参考にしたというコンクリート橋梁のこと等を話題にしました。

そして、北海道とサハリンとを結ぶ定期交通路が確立する少し前の時期、ネベリスクの人達が「交通手段が無い?では、そこに在るヨットで訪ねてみよう」と挑戦したことが端緒となって、やがて交通路が確立して行く中で地域間の交流が盛んになって現在に至っていることも御紹介しました。

話しの中で、稚内とネベリスクとが友好都市提携を行った1970年代頃には、蒸気機関車の運用を止めた、路面電車を廃止したというような、「世の中の様子の変化」も色々と見受けられた時代であったということも話題にしました。

全部ロシア語で、100人規模の生徒達に一定の纏まった話しをするというのは、然程機会が在るでもないので何日間かで準備をしたのでしたが、反応は良好でした。というよりも、「他所の人が学校にやって来て、何やら話しをする」ということに「関心を持って耳を傾ける」という姿勢が強く感じられました。

その後は文化体験です。総領事館で招聘した著名な講師であるアレクサンドラ・クドリャショーワさん達による生け花の体験の他、総領事館の皆さんが囲碁や将棋の体験教室を催しました。更に筆者は書道の担当です。

書道の体験には、色々な意味で日本語や、彼らの目線では「不思議なモノ」に視えるであろう日本で使う文字に好奇心を抱く生徒達が集まっていました。

3 書道.jpeg

最初に、日本語の文字に関して、最初は漢字が導入され、カタカナや平仮名が登場して現在に至っていることや、日本の学校では漢字の読み方、書き方、意味を学び、小学校の6年間で概ね1000字を学ぶということを御紹介しました。

そしていよいよ書道に挑戦です。筆を使って文字を書く訳ですが、漢字を使わない国々の人達は「描く」という感覚を抱くのが通例です。そこで、これは「描く」ではなく「書く」であると説き、“永”という文字を使って説明される「基本的な運筆」、所謂<永字八法>から試しました。

暫らく練習してから、四季を示す「春夏秋冬」の字や、“愛”や“夢”というような好まれそうな言葉の字を書いてみました。皆さん「どうしてこういう具合に!?」と不思議がったり、「何となく好く出来たかな?」という按配で各々に挑戦していました。漢字が意味も併せて示す“表意文字”であることを話題にしていましたが、生徒達の中には書いてみた感じの脇に、意味をメモ書きしているという例も見受けられました。

講堂での講演の際は然程気にならなかったのですが、この催事にはネベリスクで「地元の話題を伝えるコンテンツ」も制作しているケーブルテレビの<ネベリスクTV>が取材に入っていました。<日本文化紹介事業>のことが、そして参加した生徒達の様子がネベリスク地区の多くの皆さんにも紹介される訳です。

4 ケーブルテレビ.jpeg

学校で色々なことを学ぶ一環として、隣国日本に纏わることを大きく取り上げて頂けていること、率直に嬉しく思う面が在りました。今般の催事に限定ということでもなく、学校では一寸した絵画作品の制作で「テーマは…“日本”にしよう!」というようなこともしていて、そういう生徒達のイラストが貼られた場所も校内では視掛けました。

或いは、ここで「日本語の文字」という話しを耳にした生徒達の中から、遠くない将来に日本語を学んで何かに活かしてくれるような例が一つでも出てくれば、それは望外の喜びです。

稚内市サハリン事務所では、在ユジノサハリンスク日本国総領事館等の関係機関とも手を携え、こうした文化交流に協力して行きたいと思います。
posted by 稚内市サハリン事務所 at 07:14Comment(0)カルチャー

サハリン州郷土博物館(2018.10.21)

「好い感じ!」という眺めの場所は記憶に留まって、何度もそこに立寄り、時々写真まで撮ってしまうのですが、「サハリン州郷土博物館の西寄りに在るフェンス辺りから、屋外展示の大砲と一緒に独特な建物が覗く」という地点は、そういう場所の一つです。

↓昨年の10月下旬に何となく気に入って、その後も「季節の移ろい」を追掛けるように、同じ地点で写真を撮っています。(下記リンクで、各々の時季に撮った写真の入った過去記事が御覧頂けます。)
>>冬へ向かう感…:サハリン州郷土博物館(2017.10.26)
>>サハリン州郷土博物館(2018.02.13)
>>サハリン州郷土博物館(2018.04.18)
>>サハリン州郷土博物館(2018.06.05)

この同じ場所に関して、最近の様子を視ました。

↓日曜日の早朝でした。こういう具合に視えます。
2018OCT21-Museum-in-morning.jpg
↑博物館敷地内の灯りが消える前で、紅葉し、半ば散っている木々を「敢えて照らし出している?」というようにさえ見えます。

何となく「描いた」というようにも視えるのですが、これは「撮った」という画です。或いは「昨年の同じような時季よりも、枝に葉がやや多く残っている」というような気もします。

照らし出されるような紅葉と落葉の色合い、大砲や独特な形状の建物、背景の明るくなろうとしている空の感じの絶妙な組み合わせです。

この場所も、やがて昨シーズンの画のような感じで雪に覆われて行く訳です。恐らく今シーズンは、また昨シーズンとは少し違う様子に視えることでしょう。

バスケットボールの<スーパーリーグ>がサハリンへ還って来た!:新チーム<ヴォストーク65>始動!!開幕4連勝!!(2018.10.19&22)

↓切っ掛けは、こういう看板を視掛けたことでした。
30528302967_4d3471be64_k.jpg
↑写真は近所のホテル<サハリンサッポロ>の脇に在る、随時内容を替えている大きな看板なのですが、これと同じ絵柄の看板を方々のバス停等で随分と視掛けました。

黄色い地に男性の写真が入っています。男性が手にしているのはバスケットボールの球で、着衣はバスケットボール選手のユニフォームです。男性はバスケットボール選手に視えます。そしてユニフォームに「3」という番号が入っています。バスケットボールに関して、アマチュアの試合やナショナルチームの試合では「4~15」の番号をユニフォームに入れるのが基本です。「3」ということは、「プロのリーグ?」ということになります。

サハリンでは「プロスポーツのチームを起こして地域を盛り上げよう」という考え方が在って、ロシア国内の男子のプロリーグである<スーパーリーグ>に参加するチームが活動していた経過が在ります。極短い期間でしたが、かなり善戦していて「最も期待される新興チーム」という様相だったそうです。が、諸般の事情で解散してしまいました。

それが10月から始まる<スーパーリーグ>の「2018-19シーズン」に、新たに起こしたサハリンのチームが参戦することとなったというのです。10月19日と10月22日に、「今季初のホームゲーム」ということで、それを告知する看板がユジノサハリンスクの方々に登場した訳です。

ロシアのバスケットボールですが、大掛かりなプロリーグが存在します。1990年代頃から色々と変遷が在って現在に至っています。

現在の“トップリーグ”は<ユナイテッドリーグ>などと呼ばれていますが、ロシア国内の他に旧ソ連諸国のベラルーシ、カザフスタン、ラトヴィア、エストニアのチームが参加しています。現在、14チームが参加しているようです。

そして<スーパーリーグ>が在ります。現在、16チームで競っています。ロシア国内各地にチームが点在し、「ホーム&アウェイ」で試合を戦います。

<ヴォストーク65>というサハリンの新興チームはこの<スーパーリーグ>に参戦し、アウェイで開幕後の2試合を戦い、そしてホームでシーズン初の試合を開催することとなったのです。

ロシアはソ連時代からバスケットボールが盛んで、形としては“2部リーグ”ながら、<スーパーリーグ>の試合はなかなかに期待出来るものだと思いました。そして「観戦に!」と思い立ったのです。

「観戦に!」と思い立ったのですが、「多少の曲折」が生じました。

先ずは「場所」がよく判りませんでした。看板に「ミール通501」という住所が在りました。「ミール通」は幹線道路で、「サハリンを南北に縦断する道路の一部」という格付けになっているらしく、色々な場面でよく聞く通の名ですが、「501」というのは訳が判りません。初めて聞く番地の数字でした。そして看板に誤記が在って、通常は「пр.」(プロスペクト)と言う箇所に「ул.」(ウーリッツァ)と在るのです。これが「誤記」とハッキリ判るまでに多少時間を要しました。誤記の方の住所をネット検索で探そうとして、「該当が…無い!?何処のことを示している?」と考え込んで、「多分…誤記…」と思い始め、そのとおりだと判明した訳です。

この「ミール通501」というのは、ユジノサハリンスクの都心から南下し、<シティーモール>が在って、空港へ続く道が在るホムトヴォを通り越し、コルサコフへ向かう側にもっと進んだ辺りだったのです。そして脇の路へ入ると、新しいスポーツ関係施設群が「地方の新興の大学キャンパス」というような風情で建ち並んでいて、その中の建物の一つが会場なのです。

DSCF6650.JPG

訪ねてみて「地方の新興の大学キャンパス」というような風情と感じましたが、<ヴォストーク>というのは、スポーツや教育活動のための複合施設として極近年に整備されている場所のようです。何やら建築中の建物も見受けられるような場所でしたが、プロや大きな競技会に出場するようなスポーツ選手が練習をすることや、少年少女の各種競技等に関する活動をすることが想定されているようです。そして、<スーパーリーグ>のバスケットボールの試合も開催可能な、客席が千席程度配置出来るホールが在るのです。

この場所とユジノサハリンスク都心を往復しようとすれば、路線バスであればユジノサハリンスクとコルサコフとの間を往来する、運行系統115番または333番のバスということになります。

何やら「判り悪い、訪ね悪い場所」ということがハッキリして、「観戦に!」との思いが萎みかけていたのでしたが、直前になって朗報が在りました。<ヴォストーク65>のウェブサイトで「送迎バス」というモノが動くことと、運行の仔細が発表されたのです。

それによると、ユジノサハリンスク鉄道駅と<ヴォストーク>との間で「ミール通経由」と「レーニン通経由」の2系統の送迎バスが出るということで、何れの系統に関しても利用が便利であると判りました。往路は決まった時間帯に停留所でバスを待ち、復路は試合終了後に会場の建物前でバスが待機しているのです。このバスを利用しました。

こういうような「多少の曲折」を経て、新興チーム<ヴォストーク65>が試合を催すアリーナに辿り着きました。

<ヴォストーク65>というチーム名ですが、「ヴォストーク」は「東方の」という意味で、「65」は「サハリン州の地域コード」ですから、「東方のサハリンのチーム」という程の含意になります。

コート内で対戦する両チームの選手が交錯するバスケットボールでは、原則的に一方が濃い色のユニフォームを着用すると、他方が明るい色のユニフォームを着用するので、チームでは濃淡2色を用意するのが普通です。<ヴォストーク65>は、黄色と黒の2色を用意しています。

10月19日と10月22日の試合で、サハリンのバスケットボールファンの前に現れた<ヴォストーク65>は黄色のユニフォームを着用していました。胸には「ロゴマーク」として“図案”のような扱いにしていると見受けられる<VOSTOK>という英語のアルファベットのチーム名が在ります。そして選手の背番号が小さく入ります。背中は大きな背番号の上にロシア語のアルファベットで選手の姓が入り、下には<САХАЛИН>(サハリン)と地元の名前が確りと入っています。

会場内はチームカラーの黒と黄色が多用されて華やかに設えられ、電光掲示で随時内容が代わる広告の掲出も多々在る感じです。こういうのは、今や各国のプロスポーツに共通なのでしょう。

DSCF3716.JPG

試合開始に際しては、アウェイのチームから選手が紹介され、ホームの<ヴォストーク65>に関しては場内のスクリーンに“プロモーションビデオ”風になっている選手の姿と名前と背番号が映し出されます。この種の紹介は先発5人の紹介に留まる場合も多いと思いますが、ベンチ入り12人を全て紹介していて少々驚きました。

試合そのものは「迫力の攻防戦」なのですが、これもプロスポーツとしてのバスケットボールでは各国で見受けられる演出が多用されていました。タイムアウトを取るチームが在って試合が中断するとダンスチームが登場して場内を盛り上げて観衆を楽しませます。このチームが、男女混成でなかなかにユニークなダンスを披露していて面白かったです。更にマスコットキャラクターも居て、ダンスチームに絡んでいました。

DSCF3008.JPG

<スーパーリーグ>に参加の各チームですが、上位進出や優勝を目指して戦うことは共通ながら、「各々の思惑」というのか、「各々の位置付け」のようなモノも感じられます。

16チームのプロフィールを少し調べると、かなり永い歴史を有するスポーツクラブの流れを汲むチームや、<ヴォストーク65>程に新しくはなくとも比較的新しいチームで、<スーパーリーグ>への参加とその中での活躍を飽くまでも目指しているチームが多いかもしれません。が、“トップリーグ”の<ユナイテッドリーグ>に参加しているチームの明確な傘下のチームで、「トップチームでのプレイや、レベルの高い各国のリーグで活躍する選手を育てる」という主旨らしいチームも見受けられます。チーム名に「фарм」(ファルム)とか「2」と付されている例さえ在ります。日本のプロ野球チームで“2軍”のことを「ファーム」と呼ぶ場合が見受けられますが、「фарм」(ファルム)とはそれのことに他なりません。

DSCF2839.JPG

<ヴォストーク65>が10月19日に迎えた<ブレヴェストニク>(「ミズナギドリ」という鳥の名ですが、ロシア語では「嵐(動乱)を告げる者」というニュアンスで使われる場合も在る語です。)は、ヤロスラヴリで活動しているスポーツクラブの流れを汲むチームで、2015年から<スーパーリーグ>に参戦しているということです。

DSCF6951.JPG

10月22日に登場した<ヒムキ・ポドモスコヴィエ>は「モスクワ郊外のヒムキ」とチームの本拠地の場所そのものをチーム名としています。実はこのチームは<ユナイテッドリーグ>のチームである<ヒムキ>の傘下に在る「若手育成」という主旨のチームです。選手達は何れも若く、「平均年齢が20.4歳」だといいます。<ヴォストーク65>に関しては、敢えて選手達の平均年齢に言及している情報は出回っていませんが、30歳前後の選手が目に付く感じなので、平均すれば<ヒムキ・ポドモスコヴィエ>よりもかなり上なのは間違いないでしょう。

<ヒムキ・ポドモスコヴィエ>の“兄貴”ということになる<ユナイテッドリーグ>の<ヒムキ>は、1997年に登場して然程時日を経ずにリーグ内で頭角を現し、モスクワの伝統を誇るチームの好敵手になりましたが、チームの背景にはモスクワ州が運営するスポーツ学校が在るようです。<ヒムキ・ポドモスコヴィエ>も、そのスポーツ学校の生徒達の選抜チームが起源であるようです。そういう例のように、「地域のスポーツ活動の“流れ”の中に在るプロスポーツ」というのは、ロシアを含む欧州諸国では比較的多く見受けられます。そしてそういう国々が、国際試合に好チームを送り込んで来る訳です。

DSCF3800.JPG

<ヴォストーク65>はそれぞれのチームと対峙し、何れの試合も見事に勝利で飾りました。開幕直後にサンクトペテルブルグで戦った2試合に勝ち、そのまま地元の2試合で勝って「4試合で4連勝」と目下「10割」の勝率です。

↓<ヴォストーク65>関係のグッズです。
43610392970_8be3b11944_k.jpg

黄色のTシャツは、10月19日の初戦で来場者全員に贈られたモノです。こういうのは、各国のプロスポーツで時々見受けられるサービスです。通常は700ルーブルで販売されているモノです。黒のモノも在ります。10月22日に黒のモノも思わず入手してしまいました。

これからの時季のユジノサハリンスクで役に立ちそうなニットキャップは、会場内で1000ルーブルで販売されていました。Tシャツに在るロゴが入ったモノも在りますが、「VOSTOK」という文字のモノが落ち着いた感じで気に入りました。他に黄色のキャップも在ります。

他に10月19日の場内で配られた応援用サインボード、選手紹介の名簿や試合日程等の載ったプログラム、更に入場券を10月19日の試合を愉しく観戦した余韻に浸りながら並べて眺めていました。

ユジノサハリンスクでプロスポーツの試合と言えば<アジアリーグアイスホッケー>も在ります。<アジアリーグアイスホッケー>は、「ロシア国内」では「やや特殊な独立リーグ」という趣きも在るのかもしれません。対してバスケットボールの<スーパーリーグ>は、「ロシア国内の他地域のチームに伍して競う」ということになります。

<ヴォストーク65>は快調な滑り出しです。その活躍が楽しみですが、バスケットボールというゲームを観ること自体が愉しいことです。「試合終了の瞬間まで、たった1点でも構わないから、少しでも多く得点を重ねることを競う」というもので、攻守の入れ替わりも速く、観て愉しいバスケットボールの試合ですから、観戦機会を設けるのが酷く楽しみです。

>><ヴォストーク65>のウェブサイト(ロシア語)
posted by 稚内市サハリン事務所 at 07:21Comment(0)スポーツ

レーニン広場の一日…(2018.10.21)

ユジノサハリンスクの都心部に、巨大なレーニン像が建つ広場が在ります。

レーニン像の背中側が西寄りに相当するので、好天な日の日没時刻前後には、レーニン像の周辺では空の様子が美しいことが多く、これを眺めるのが一寸した楽しみとなっています。

そういうように思っていますが、空の様子は一日の中で大きく変わりますから、時間帯毎に「好い感じ」と思わず足を停める場合が在ります。

休日の日曜日、朝、午後、夕刻と戸外で近くを通り掛かったので、少しレーニン広場の様子に注目しました。

↓これは朝8時台です。“時差”の関係で、「稚内の朝6時台」の空の感じに似ているかもしれません。
2018OCT21-Lenin (1).jpg
↑積雪が無い時季には、ユジノサハリンスク市内の主要な通に、夜の間に散水車が登場します。そういう訳なので、特段に雨ではなくても、朝は路面が濡れていることが多いです。

この朝は、雲が殆ど無い「蒼の色画用紙?」というような空でした。そういう空の色やレーニン像が、濡れた路面に映り込む感じに視えます。そして東側からの光を跳ね返して、低い空が仄かに染まっている様子も視えます。

↓これは午後3時台です。気温は10℃を超えるか超えないかという具合ですが、他方で陽射しが少し強めに感じられました。
2018OCT21-Lenin (2).jpg
↑日中には「蒼天に白雲が流れる」という様子がよく見受けられます。強めに感じられる光線の故に、雲が非常に立体的に視えて面白い感じです。

↓午後6時半近く、日没が近付く頃です。
2018OCT21-Lenin (3).jpg
↑日中の雲が流れ去ってしまっていて、上空の高めな辺りを漂う雲が、西日の光線で複雑な色彩を見せます。

↓少し経って、陽が沈んだような頃です。
2018OCT21-Lenin (4).jpg
↑レーニンの背中の辺り、低い空が日没直後に見受けられる独特なグラデーションになっています。

↓最近では午後6時45分頃に広場の街灯が点きます。これは灯りが点いた少し後です。
2018OCT21-Lenin (5).jpg
↑灯りが点いて、暫らくは空の明るい感じが残る場合が多く在ります。そして、こういうような時間帯に至っても、通行人は完全には途切れません。

こうした一日の様子ですが、毎日変わるもので、「全く同じ」ということは決して在りません。この場所に或る日の或る時間帯に立寄って、何気なく視る空は、「その瞬間」にしか視られないものです。不意にそういうことを考え、眼にしている辺りの様子が酷く愛おしく思える場合も在ります。

急速に季節が進む…(2018.10.18)

好天の日に「寒い感じの朝」と「少し温かい日中」とが併存する感じは月始め頃と大きく変わらないような気がするのですが、最近は朝早くの「寒い感じ」の度合いが少し強まった感じがします。戸外に出て「多少手が冷たい…」と思う場面も在ります。そして温かい日中であっても「風が冷たい」と思う場合が少し増えました。それでも、稚内と比べれば、ユジノサハリンスクは風が微弱な場合が多いので、寒くなり始めるような時季には「少し幸い…」というように思う面も在るのですが。

↓サハリン州郷土博物館の前、コムニスチ―チェスキー通の広い歩道です。
18-10-2018morning.jpg
↑広い歩道の中に、やや大き目な街路樹を植栽する場所が設えられています。そこの地面が「落葉を敷き詰めた」というようになってしまっていて、街路樹の枝が随分と剥き出しになってしまいました。

奥に博物館の建物が覗いていますが、木の葉が繁っている時季には、敷地内に在る木の葉の陰で建物が視え悪かったものです。「季節が動いた」と、小さな実感が湧き起こります。

歩道の、人々が歩く部分は、存外に頻繁に行われている清掃作業で落葉が片付けられています。街路樹が植栽される場所は、歩くという前提になっていない関係上、落葉がそのままです。「歩くという前提になっていない」というようですが、「散歩中の愛犬に引っ張られて一寸足を踏み入れて」という感じで歩いている方も時々視掛けますが。

本当に「何時の間にか」という按配でこういう様子が見受けられるようになりました。10月には、季節の進行の「急速さ」を感じます。

「明るい感じ」が少し長く続く夕べ…:レーニン広場(2018.10.17)

1970年に「生誕100年」ということで、ソ連全土の方々に建てられたレーニン像の一つで、目立って大きなモノがユジノサハリンスクの都心部に在ります。

このレーニン像の背中側が西寄りな空で、殊に好天の日の夕刻には、流れる雲と映ろう光が紡ぐ美しい光景が視られる場所です。そして流れる雲の動きは「毎日必ず様子が異なる」もので、「全く同じ光景」というのは「二度とない」ということになります。

そういう意味で、何となく寛いだ気分の夕刻に、このレーニン広場の光景をぼんやりと眺めるというのは、「どうでもいいようなさり気ないことながら、存外に贅沢なこと」のようにも思えます。

↓最近では、こうやって「灯りが少し目立つ」という感じになるのが午後7時頃となりました。本当に「少し前」には、午後7時は「マダマダ明るい」という感じだったので、多少驚きます。
17OCT2018 (2).jpg
↑この時は、低空の雲が少々分厚い感で、西日の光で空が染まるという様子ではありませんでした。しかし、低空の雲と、上空を勢いよく行き交う雲との中間のような空が「何時までも明るい」というような感じでした。

少し前に、用事でユジノサハリンスクへやって来た皆さんと一緒にこの広場の辺りを歩き廻ったことが在りました。巨大なレーニン像を視て、或る方が言いました。「大きな像は、金属材料の独特で重厚な好い色をしている。他方であの台座は?何を貼り付けているのか、変にテカテカしていないだろうか?」とです。

本当に台座は光沢が在る材料が貼り付けられて、テカテカしていますが、街灯の灯りのような強めな光を跳ね返しています。実際よりも多数の街灯が在るかのように錯覚してしまいます。

現在は午後7時頃に「こういう雰囲気」ですが、こんな感じに見える時間帯は12月までにドンドン早くなって行く訳です。